phase3.1

 これ以上、絶望的と呼ぶに相応しい状況はないだろう。なにせ、命の宿っていない鉄塊の集団が、目の前にいるのだ。


 胴体に描かれている七つの角がある星形と、顔についてある一つ目が、赤い光を放っている。陽の光を反射させて、銀色の光沢が不気味に輝いている。それらが、十、二十を超える数がいる。


「全て戦闘能力が高い、こちらの戦力で捌ききるのは不可能だ」


 美月の背後から、ハルが早口で、今の状況を簡潔述べた。ハルはココロを深く抱きしめながら、はっきりと口を動かした。


「逃げる」


 逃げ切れるのか。大丈夫なのか。


 そのような懸念はもちろん浮かんだ。美月だけでなく、穹も未來も思っただろう。


 だが三人は、頷いた。逃げる以外の解決策が思い浮かばなかったのは、美月だけではなかった。


 ハルが「君もだ」と、しゃがみ込んだクラーレを引っ張って立ち上がらせた。彼の足は、かたかたと震えていたが、両腕は震えていなかった。その中にいるシロは、耳を後ろに倒し、上半身を引いていた。ふるふると、震えている。


 シロをぎゅっと抱きしめ、走り出したクラーレとハルを先頭にし、とりあえず神社の外に向かって、全員が駆け出した。とクラーレは振り返りながら、ロボットの胴体の紋章と、それと同じものが描かれている、空にいる円盤を、交互に見た。円盤の中からウラノスが、寝不足特有の濁った目で、見下ろしていた。


「あんたらはあいつらと、戦ってるのか……?」


 足と同じように震える声で尋ねてきたが、ハルが短く、あとで説明する、と答えただけだった。クラーレは納得していないように何か呟いていた。が、ハルも、美月も、穹も未來も、きちんと説明する余裕はなかった。無くなった。


 ハルのテレビ頭が、突如美月達のほうを振り返り、わずかに左に傾いた。そのすれすれを、赤い色をしたビームが、すり抜けていった。


 それは、そのまま歩いていたら、ビームはハルの頭に当たっていた。という事実を、示していた。


 未來が刀を構え、戦闘ロボットとの距離を詰めた。その後ろで、穹がきょとっと呆けた顔が、徐々に強張り、震えていく様を、美月は見ていた。まさしく自分の姿と同じだ、と感じた。


 一瞬のことだった。ロボットの群れの中の一部分が、赤色に光った。その光は、美月と穹の間すれすれをすり抜けていった。


 頬に、髪に、熱い感触のする、鋭い何かが走り抜けていった。あと一センチずれていたら、当たっていた。間違いなく。


「無理だ、逃げられないよ!」


 美月が言おうとしたことを、穹が代わりに叫んだ。


 鉄色の群れの中から、一体が飛び出してきた。

ハルと、クラーレと、その前に立ちはだかる未來に、突進してくる。


 ぶつかる、と美月が思った瞬間、ふわりとスカートとマントをはためかせながら、未來が飛び上がった。


 お構いなしにハルに向かって一直線にぶつかっていくロボットの背中に、たじろうことなく、赤い刀が振り下ろされた。


 左方向へ、真っ直ぐに斬られる。異変に気づいたロボットが未來を捉えた目に目掛けて、今度は右方向に真っ直ぐ斬る。


 よろめいたロボットの脚にある関節部分を、未來は一気に斬った。

 両足が、ロボットの身体から分離する。だがロボットは、そのまま地に伏さなかった。


 紋章と目が同時に光る。目の赤い光が増していき、その水準は未來に向かっている。

 そんなロボットの胴体に、美月の拳が食い込んだ。もろにパンチを受けた部分は大きく凹み、外壁が剥がれて中の機械が見えた。

 ロボットは煙を出しながら、今度こそ地面に倒れ込んだ。


「未來、協力しよう! 穹も!」

「で、で」

「でもは禁止!」


 かかってくる数が、今度は三体に増えた。

未來が再びジャンプし、空中から攻撃する。


 放ってくるビームを刀で斬りながら避ける。飛び跳ねつつ、的確にロボットに斬撃を与えていく。音からして、決定打となる攻撃は入っていないようだが、ロボット達の注意は三体とも、上空に向けられている。


 今だ、とインカムから、未來の声が聞こえた。美月は走り出すと同時に、拳をロボットの顔面に打ち込んだ。


 顔を殴られても、ロボットは怯む様子を見せない。実に機械的な動作で、ロボットの右腕が上がった。振り下ろされたそれを、左腕で受け止める。重い衝撃が骨まで響き、美月の顔が思わず歪んだ。パンチに使った右腕も、防御に回そうかと考えた刹那だった。


 ふ、と顔に影がかかった。横に、別のロボットが立ったのだ。美月の口が小さく開いた。瞬きをしたとき、金属を突き破るような音が、耳に届いた。


 未來の刀が、ロボットの背中を、深々と突き刺していた。

礼を言おうと綻んだ美月顔は、また強張った。


 ふらつくロボットを見る未來の背後に、もう一体、ロボットが立ったのだ。

未來が振り向いたのと、ロボットの打撃が繰り広げられたのは、同時だった。


 打撃は、未來に届かなかった。穹のパンチが、ロボットの横っ腹にあたる部分にヒットしたのだ。


 意を決したものではなく、不承不承という表情の穹は、眉をひそめながら、未來が彼方で刺したロボットに追撃し、美月が相手しているロボットに向かって拳を固めた。


 美月も右手に力を込める。放たれた二人の拳は、鈍い音を連れて、ロボットにぶつかっていた。

 後ろ向きに倒れるロボットの片足を、美月は両手で掴んだ。その重さと手応えから、いけると確信した。


 普段は無理だが、変身している今ならば。


「ちょっと下がってて!」


 未來と穹に大声を出し、二人が離れたのを確認すると、美月は自身の体を、回し始めた。

 最初はゆっくり。しかし一度回り始めたら、その速度はどんどん上がっていく。

景色が恐ろしい速さで回転し、ごうごうという風を切る音以外、耳に入ってくるものはない。


 美月は大きく目を見開いた。ぱっと手から力と、ロボットの脚を離した。

ロボットは綺麗な放物線を描きながら、地上に落ちていった。その先にいたのは、ロボットの群れだった。中心から落下音が鳴り響き、土煙が立ち上った。


 ぐるぐる回ることは好きだったが、さすがにあそこまでいくと少し怖かった。美月は遠心力でまだ回転しているような頭を抑えながら、目を閉じた。じっとしていると、回っていた世界はすぐに収まった。


「ふふん、大成功!」

「大成功じゃないでしょ危ない!」


 親指を立てた美月に、穹が人差し指を向けた。

「他の倒れてるロボットも全部ぶちこんでくよ!」

「おお~美月頭良い!」

「いや軌道間違えたら逆にこっちが」

「大丈夫だ、私が軌道を計算し、合図を送る」


  インカムから聞こえてきた冷静すぎるハルの声に、美月と未來はにっと歯を出した。穹は、顔を青白く染めながら、のろのろと後ずさった。美月はまた別のロボットの脚を抱え、同じように回転を始めた。未來も楽しそうな笑顔を浮かべながら、一緒になって回転した。


 そしてハルの今だの声と共に、同時に投げ飛ばす。


 合計で、倒れていた四体のロボットを、全部固まっているロボットの集団に投げ飛ばすことに成功した。


 どれくらい相手にダメージを与えたかわからないが、立ち上る煙を見るに、相手の戦力は相当削がれているだろう。


「やられた……。うざ……」


 円盤の中から、気だるい声が聞こえてきた。拡声器でも使っているのか、離れているのに、しっかり聞こえてくる。若干苛ついたような低い声も、舌打ちの音も、ちゃんと拾われていた。


「命令。狙いはプレアデスクラスター。……あ、あとハル。他はどうでもいい。目標を捉えることを最優先しろ」


 円盤の下に穴が空き、ぼとぼとといった調子で、またロボットが落ちてきた。それらはざっと見て、ゆうに二十以上はいた。


 美月は先程のロボット達と比べて、少し様子が変だと感じた。

土煙がやみ、何体かのロボットは無事だとわかった。そのロボット達と、新しく追加されたロボットが、一つの場所に固まった。

次の瞬間のことだった。一斉になって、走り出したのだ。鉄色をした何かが、束になって押し寄せてくる。灰色の巨大な弾丸が、音を立てて、砂埃を巻き上げながら、迫ってくる。


「え、あれ……」

「ちょっと待って、これは……」


 もちろん、そのまま指をくわえて攻め入られる気は全く無い。美月と穹はハル達の前に立ち塞がった。


 だが。鉄の集団が近づいてくるにつれ、恐ろしく嫌な予感が脳を埋めていった。

衝撃風が肌まで届き、掠めていく。髪全体、服の裾全てを揺らす。


 この風を、止められる自信が、全く沸いてこなかった。

暴風が目の前まで迫ってきた。


「危ない!」

「離れろ!!!」


 二つの声が重なった。どちらも聞き覚えのある声だった。誰がどの声の主か考える前に、美月と穹の体は、同時に宙に浮いていた。


 内蔵がふわふわ浮いているような、心許ない無重力の感覚。唯一引っ張られている感覚のある手を見てみると、未來の手が、美月のそれを掴んでいた。もう片方の未来の手は、穹の手と繋がれていた。


「二人とも、今凄く危なかったよ!」


 さっき危ないと言ったのと同じ声で、未來が口にした。未來は冷や汗の滲む顔で、美月の目を呆れ混じりに見た。


 下を見ると、一つの巨大な鉄の塊が、煙を上げて一方向に向かって走っている最中だった。集団の行く先にいるのは、ハルとクラーレだった。


 穹と未來が、大声で逃げてと声の限り叫んでいる。美月も声を上げようとして、ふとその言葉は、脳の思考によって阻まれた。


 さっき、離れろと言った声は、ハルのものではなかったような気がする。じゃあ、誰だろう。


 が。今、じっくり考えている暇はなかった。


 ロボット達が、もう目前まで迫っている。ハルがトレンチコートを翻して走り出す体勢をとり、美月がせめて集団に少しでもダメージをと蹴りの体勢をとった、その時だった。


 あーん、と、クラーレの腕の中にいるシロの口が、大きく開いた。どこかで見たような構図だった。


 冷静に頭が巡る前に、シロの口から、光が漏れ出した。 周囲が真っ暗になったように見える、強い光。シロどころか、大人の男性と同じくらいの身長のハルよりも高く、太い光。ハルとクラーレに突っ込もうとしていたロボットの軍勢は、あっという間にその青白い光に包まれた。包まれた刹那、その姿は見えなくなった。音一つ発生しなかった。


 美月達三人が地上に戻った時、既にロボットがさっきまで駆けてきた場所には、何もいなかった。部品一つも落ちていなかった。地面が光の太さと同じだけ、えぐられていた。


「あん、た……」


 震え、かくかくとしすぎているせいで、誰の声なのかわからなかった。消去法的に、その声がクラーレの発したものだと判明した。

今までしっかりと抱きしめていたクラーレの腕から、わずかに力が抜けた。


 呆然としているのは美月達も同じだった。見るのは二度目だが、たとえ何回見ても拍子抜けすることだろう。


奇妙な音が、前方から聞こえてきた。それは、円盤の底に穴が空く音だった。

二十体程のロボットが地面に落ち、むくりと体を起こす。その周囲が、また周囲が眩い光に包まれた。ロボットは一つの鉄塊になる前に、塵と化した。


「もう諦めなよ!」


 美月は円盤を睨み付け、あの光からなんとか逃れたと思われる、足下に転がっていたロボットの腕を拾った。助走をつけ、あらん限りの力を込めて、ダークマターの乗り物、ダークマターの紋章目掛けて投げ飛ばした。


 腕は当たる直前、円盤からにょきりと現れたレーザー砲らしきもののビームに当たり、消滅した。


「普段なら飽きてるけど、そのプレアデスクラスターは諦められないんだよね。絶対に手に入れたい」


  ダークマターという組織の目的であるハルのことなど、すっかり忘れているようだった。穹が目配せをし、ハルを下がらせ、円盤からなるべく距離を取らせたことにも触れなかった。


「なんでそんなにシロが欲しいの?」

「研究だ、けんきゅう。プレアデスクラスターはな、“バルジ”の研究力を持ってして

も、今だその全容は明らかになっていないんだよ。宇宙中の科学者は、血眼になって研究している」

「研究して、どうするつもり?」


 刀を鞘から抜きながら、未來が聞いた。


「あんたも見ただろ、スターバーストの威力。あの力の理由が解明されたら……そうだな、まず武器や兵器に応用されるだろうな。そうしたら、ハルの捕獲がもっと簡単になるだろうし……」


 未來の目がつり上がった。美月は怒りよりも前に、恐怖の感情が沸いた。着ているスーツの下の肌が、粟立った。


「まあ俺はどうでもいいんだけどな、そういうの……。興味あるのは、プレアデスクラスターの生態の全容を明かすこと。今、プレアデスクラスターを生きたまま捕獲することができる最大のチャンスが目の前にあるんだ。逃す気はない」


 シロの、プレアデスクラスターの話の時だけ、ウラノスはやたら饒舌になった。


「ちょうど、疲れているようだし」


 美月はシロを振り返った。シロの様子が、明らかにおかしかった。ぐったりと体をクラーレの腕に預け、口を開けたまま、荒い息を吸っては吐いている。


 クラーレはどうした、おい、などと声をかけながら、頭を撫でようとしては手を引っ込めるを繰り返していた。


 弱い呼吸を繰り返すシロに、美月が駆け寄ろうとした。


と。


 その場に割り込んできたのは、一匹の小さな羽虫だった。すっと。自然に。いつの間にか現れたかのようにして。溶け込むようにして。


 あまりにも唐突な割り込みだが、誰も、その虫に興味を示さなかった。というより、誰も気づかなかった。ただ一人、ハルは、そのテレビ頭を前に傾け、その虫をじっと見つめた。


 美月がその虫の存在に気づいたのは、シロの目の前でホバリングを始めたときだった。


 なんだろうこの虫は。ハエや蚊ではないようだけど。


 プシュッ。


 思考を寸断したのは、霧吹きを吹きかけるような音だった。音の発生源を耳で辿った。音は、虫から発生したものだった。シロの頭が、かくんと前に下がった。


 たちまちその虫に、その場にいる誰もが向けていなかった注意が集中された。

虫は、その小さな小さな体から、何か細長いものを生やした。それは、手足だった。ロボット達と同じような手足、材質に見えた。体に釣り合わないほど長いものなのに、よろめくことなく、その“虫”は飛んでいる。


 手足の先は、アームのようになっていた。虫は、ゆるりとシロの頭上まで来ると、その体に、アームを挟み込み、上昇した。


 シロは、するりと、クラーレの腕から抜けた。どさりと、クラーレが膝から崩れ

落ちていった。


「ああっ!!!」


 その音で、美月達は現実に返った。ハエほどの虫が、子犬ほどの大きさのシロを持ち上げて飛ぶ。そんな状況が、幻ではなく、現実だと理解した。


 既にシロは、円盤に向かって上空を飛んでいた。黄緑色の瞳は閉じられており、力なく、されるがままになって、アームに体を預けている。


「エネルギー反応が見えなかった、あんな、あんなロボットがいたのか?!」

「ハルさんは、逃げて隠れててください!」


 前に出ようとしたハルを、穹が慌てて引き留めた。その横で、美月は一気に飛び上がった。


「シローーー!!!」

「待て、気をつけろ! どんな性能なのか、私にも一切分析が出来ない!」


 ハルの声はちゃんと聞こえたが、無視する形しかとれない。美月は精一杯両手を伸ばし、シロを捕まえようとした。


 ふわ、とした体毛が、グローブの指先を掠めた。更に腕を伸ばそうと、力を入れたときだった。


 美月の体は、地上へと落下していた。


 両手と両足を駆使して、ダメージは抑えられた。

だが、今何が起こったのか。

見上げると、その答えが提示されていた。


 円盤から、美月が投げたロボットの腕を消した、あのレーザー砲が出ていた。

肩の辺りが妙に痛み、そちらを見た。黄色いジャケットの一部分が、焦げていた。


「ね、姉ちゃん……」


 穹の声で、美月は上を向いた。指さす先を見て、声が凍り付いた。

上空に、シロをアームで掴んだ虫が、ホバリングしている。その虫の姿が、緑の光に包まれ出した。


 シロの放つ光とは、違っていた。温かみもなければ荘厳さもない、ただ目が痛くなるだけの、強い光。無機的な光の中に唯一あったのは、不穏感だった。


 光がどんどん強くなっていく。シロの姿も包み、あっという間に見えなくなった。

それでもまだ飽き足らず、光の強さはどんどん増えていく。


その光が、突如として、消え失せた。

緑色で描かれた、七芒星の内側に二重のハートの、ダークマターの紋章。


 それが頭部に、大きく輝いていた。

美月は口を開けた。そこからは空気しか出てこなかった。穹は口を両手で抑えた。未來が、 一歩、二歩と、後ずさった。


 先程まで、シロをひっさげた虫がいた場所。今、そこに、別のものが飛んでいた。


 ハエか蚊を、そのまま、美月の部屋を軽くはみ出すくらい大きくしたような見た目。

真っ黒な体に、二枚の灰色の羽。どこまでも機械的であり、無機質な姿。

無機物の光を宿した一つ目が、赤く光った。


 美月も、穹も、未來も、ハルも、そのロボットに、目を奪われていた。

クラーレだけが、そちらを見ていなかった。ペストマスクが見つめていたものは、地面を歩く一匹の蟻だった。

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