phase2.1
町の中をあてもなく歩き回り、人の波に呑まれていくうち、ただ歩いているだけなのに、クラーレはすっかり疲れ切ってしまった。
四方八方から聞こえてくる、全く聞き取れない人の声をずっと耳に入れ続けるというのは、予想以上に疲労が溜まるものだった。
更に、人と人とが接することによって生まれる活気も、ずっと当たっていると息苦しくなっていく。
クラーレの姿は見えなくなっているので、誰も彼も彼のことなど気にもとめず、ありのままの生活を送っている。そのすぐ近くに居続けること、それがこんなにも体力と気力を消耗するものだとは、知らなかった。
なにせ、ずっと、そんなものから離れた日々を送っていたから。
異星人がたくさんいる町の中。人の持つエネルギーが渦を巻き、うごめいている。それがひどく煩わしく、不快だった。
体ではなく、心が重い気がする。同時に頭も重く、どくんどくんと脈打つような痛みが生じている。
これはまずいと、危機を感じたクラーレは、町から離れることを決めた。
人の少ないところはどこだろうか。
クラーレは、地理もきかない、そんなものは全く存在しないこの星で、なるべく静かな場所を探してまたあてもなく歩き回り始めた。
とにかく、誰もいないところへ。
それだけを念じながら、目についた道に入り、分岐に当たる度に適当に決めた道を選び、ひたすら進んでいった。
いつの間にかクラーレは、先程自身が捕まりかけた商店街に着き、そこも抜けていた。途端に、ぐっと人通りが減った。
ほっと息を漏らし、そのまましばらく歩き続けてみると、規模の小さい森があるのが見えた。
ここは町の中のはずなのに。訝しみながら近づいてみると、森の入り口らしきところに石で出来た階段と、更にクラーレが今まで見たことも無い、大きな門がそびえていた。
この場所は神社で、門は鳥居という名前なのだが、もちろんクラーレは知らない。
門の向こうに大きな家が建っているのが見えたので通り過ぎようとしたが、人の気配は感じられなかった。
入り口で立ち尽くしたまま、どうしたものかと悩んでいると、ひゅう、と門を通って、外は暑いのに、冷たい風が向こうから吹いてきた。それがまるで、一瞬だけ、自身を招待されたように感じた。
息はずっと苦しく、体も重く、足も痛い。そろそろ座って一息つきたかった。クラーレは、門をくぐることを決意した。
階段を上ってみると、やはりそこには誰もいなかった。入り口から見えた家の中にも、人がいそうな気配はしない。
ベンチのような座れる場所が見当たらなかったので、仕方なくクラーレは、家の
帽子を取ったとき、また風が吹いた。木々に囲まれ、屋根の下で直射日光が当たらないので、涼しいと感じる風だった。毒々しい紫色の前髪が緩やかに躍り、結んだ後ろ髪が揺れた。
この冷たい風を、直に肌で受けたら、どういう心地がするんだろうか。
突然クラーレに、そんな考えが沸いた。
このマスクをずっとつけていると、さすがに熱くなってくる。この星は、気温が高く、湿度も高い。誰もいないし、そもそも見えていないのだし、取ってしまおうか。
考えが纏まるよりも早く、両手はマスクへと伸びていた。金具を取ろうと、後頭部に手をかける。
金具を外そうとしたとき、クラーレは、その動きを止めた。
目の前に、何か白い生き物がいた。
真っ白い体躯。竜のような翼。頭に生えた角。薄い緑をした目が、一直線に、クラーレに注がれている。
こいつは、確か。
あのロボットや地球人達と一緒にいた奴だ。名前は確か、シロといったか。
この星に落とされたあの夜、あのロボットの宇宙船に案内されたとき、紹介を受けた。なんとかいう種族の子供で、名前はおぼろげだが、クラーレもその存在は知っている、有名な宇宙生物だった。
この生き物は、たまにピイピイと甲高い声で鳴く以外は、大人しかった。というより、自由気ままにやっているという印象だった。うろうろと落ち着かずにずっと動き回っていて、子供というだけある。好奇心が旺盛なようで、ロボットが連れていたあの赤子と同様、クラーレに対しても興味津々の様子だった。
シロは、短い四本足で、真っ直ぐクラーレのもとまで走り、ぴょんと膝の上に飛び乗った。お座りをし、陽の光を受けてきらきらと輝く瞳で、クラーレの顔を覗き込む。
見えていないはずなのに。まさか、シロには見える設定にしているのか。服につけてあるクリアカプセルに目を落としたが、すぐに手に負えないと諦めた。どうすれば設定を変えられるか、全くわからなかった。
代わりに、がっしりとシロの体を両手で掴んだ。じたばたともがくシロなどお構いなしに、膝の上から強引に下ろす。
地面に下ろされたシロは、きょとんとした目で、虚空を見つめていた。
それでいい。お前の居場所はここにはない。
届きはしないが、シロに向かって心の中でそう呼びかけ、距離をとろうとすると。ぼんやりとしていたシロの目が、またしっかりとした目つきに戻った。だだだっと駆け、えいやっと膝の上に飛び乗った。固まったクラーレを、お座りをして見上げている。
つい先程見た光景が繰り返されて、今度はクラーレが呆ける番だった。すぐに我に返り、前よりもおざなりに、シロを下ろした。
シロは全くめげる気配を見せない。というより、下ろされているということがどういう意味なのか、まるでわかっていないようだ。こちらの気持ちなどお構いなしに、膝の上に乗り続ける。クラーレもクラーレで、シロの気持ちなどお構いなしに、乗ってくるシロをひたすら下ろし続ける。
両者共にクリアカプセルをつけているので、お互い以外、誰の姿にも目には見えない。一人と一匹の攻防は、誰にも見えない中で、しばらく続いた。
クラーレの息が、段々と切れ始めた。シロは、元気そのもののようで、けろっとしている。
撫でろ。遊べ。口には出さないが、顔にしっかりとそう書いてあるし、目が物語っている。それ以外の感情が、見えてこない。
わからない。このクラーレという存在に対して、どう感じているのか。わからない。他とは違う。それがわからない。それがとても。
「……もう、いい加減にしろ!」
とても、気分が悪かった。
大声を上げたというのに、シロは怯えなかった。ただ首を傾けただけだった。
変わらずに竜のような短い尻尾をぴこぴこと振り、無垢な瞳を惜しげも無くぶつけ続ける。
今はこんなにしていても、痛い目を見れば、すぐにここから去っていくだろう。
一目散に膝から下りて、背中を向けて、仲間の元へ、自分の居場所へ、帰っていくだろう。
クラーレは、片腕を上げた。腕は見る間に、高度を下げていく。
シロは、怪訝に感じる様子も見せず、じいっとクラーレのことを見上げ続けている。
腕は、シロのふわふわの体にぶつかるすれすれのところで――止まった。だらん、と力の入っていた腕は、最早抜け殻と同じになった。
乾いた音が響いた。シロがびくっと体を強張らせた。
クラーレの腕が叩いたのは、クラーレのもう片方の腕だった。
彼は、抜け殻となった両腕を、自分の頭に持って行った。
「……もう、何したいんだよ、一体」
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