phase2「独りの宇宙人」
足で踏む、地面の感触。体をさすって逃げていく、風の肌触りと匂い。どこまでも広がる、青色の空。
全て、知らないものだった。全部、未知のものだった。どれもこれも、何もかもが初めてで埋め尽くされていた。
でも。すれ違いざま、“彼”を振り返る人々の送ってくる、目つき。視線。表情。それらは全部、知っていた。それだけは、見覚えがあった。彼が、今までで一番見たことのある種類のものだったから。
胸の辺りが苦しくなってきて、クラーレは足を止めた。来ているガウンごと、心臓のある辺りを鷲掴みにする。
はあはあと漏れる、乱れた息を整えながら、後ろを向いた。あの地球人も、地球人に紛れた宇宙人も、ロボットも、誰一人ついてきていなかった。
なかなか呼吸は整わなかった。深く息を吸い込もうとすると、喉の辺りがつっかえ、むせそうになってしまう。吸ってない息を吐き出すのは困難だったが、ゆっくりと、長く息を吐き出し、吐き出す時よりも更にゆっくりと、息を吸い込んだ。
血が、体の中を巡っているのを感じる。体液が、体内を絶えず巡り回っているのが、わかる。
何度か深呼吸を繰り返すうち、体全体を震わすかのごとく大暴れしていた心臓が、次第に収まっていった。
マスクの内側では、額から頬、顎へと、汗が流れていた。顔全体を覆っているものだから、目を覆っている部分が曇り、視界がぼやけてしまった。
こんなに速く走ったのは、実に久しぶりだ。
霞んだ目の部分が元通りになるのを待ってから、クラーレは再び歩き出した。また一度振り向いてみたが、やはり、彼を追ってくる者はいなかった。
前を向いた瞬間、二人の地球人と、ばったり目が合った。
一人の通行人は、クラーレを指さし、連れであろう隣の人物に向かって、何かを言った。地球の言語などわからないのだが、何を言っているか、大体予想がつく。
もう一人の人物は同調するように頷くと、通行人二人はクラーレと目を合わせないように、しかしちらちらと覗き見しながら、そそくさと通り過ぎていった。二人の表情は、どちらも驚きと恐れが、綺麗に二種類混ざっていた。若干驚きのほうが、配分が多いように見えた。
どちらにせよ、クラーレはうんざりとした。面倒臭い。煩わしい。舌打ちしながら勢いよくポケットに手を突っ込むと、何かに当たった。
何か持っていただろうか。取り出してみてみると、それはカプセルと、通訳バッジだった。カプセルは確か、姿を消す機能がついたものだったろうか。馴染みがある、あの星の言語を喋ることの出来るロボットが、そう説明していた。
登録した存在以外からは、クラーレの声も姿も、存在を感じ取られなくなる、と。
クラーレはカプセルをつまむと、誰の目もないことを確認してから、クラーレはガウンの内側へ手を運び、シャツの胸の辺りにカプセルを取り付けた。
バッジはポケットに戻した。この星の住民と言葉を交わすつもりは一切無いからだ。
たとえ言葉が通じても、自分自身の訴えをちゃんと聞く奴などいない。クラーレにとって、他人とはそういうものだ。
でもあのロボットや、地球人達は、ずっと話しかけていた。それはとても、面倒臭く、鬱陶しかった。あんなに近くで人と長く接したのは久しぶりすぎて、人の会話というものはああも乱雑でうるさいものだということを忘れていた。
バッジはもう絶対につけない。しかし、このカプセルだけは、このままつけていてもいいかもしれない。むしろそのほうがいいだろう。誰からも見られないなら、誰からも話しかけられずにすむ。気が楽だ。
ふと、脳裏に過去が蘇る。クラーレはいつの間にか、歩を早めていた。逃げられない存在から、逃げるように。
そんなクラーレの後ろを、控えめについていく存在が二ついることに、クラーレも、その場にいる誰も、気づいていなかった。
ダークマター本社。最上階に位置する大会議室。そこで、セプテット・スターによる定例会議が、間も無く行われようとしていた。
定期的に行われてはいるが、実はセプテット・スターが今の代になってからというもの、メンバー全員が集まることはあまり無かった。大体、一人か二人の欠席者が出る。
全員、それぞれに大量の仕事があるのだから仕方ないのだろうが、明らかに私用と思われる案件で欠席する者もいるので、タチが悪い。
それもこれも、今期が狙ったかのように選りすぐりの癖者揃いなのがいけない、とサターンは準備をしながら、内心で舌を打った。
だが、今日は久々に、全員が集まりそうであった。会議の時間はあと一時間をきっていたが、まだ誰からも、欠席の連絡が来ていない。
常に真顔の顔がほころびはしないが、久しく忘れていた上向きの気分でいた。その満足した思いを壊したのは、後ろに控えて同じく淡々と準備を進めていた、プルートの一言だった。
「今回の定例会議ですが、一人欠席者が出ました」
またか、と半ば予想はしていたが、それでもひどく落胆した。心の中ではなく実際に舌打ちし、自分でもわかるくらいの厳しい口調で、一体誰だと問うた。
「ウラノスさんです」
プルートがあげたのは、恐らく最も私用で休んだことがある人物の名だった。
「理由はなんだ? また面倒だからとかそんな理由か?」
「いえ、例の星に行くからとのことです」
サターンはしばらくその身を固まらせた。ここでいう例の星とは、一つしか指さない。
「……なぜ、また?」
「興味が沸いたから、とのことです。それ以外の連絡は来ておりません」
「早く連絡をとれ! そんな勝手な真似は許されないぞ!」
「お言葉ですが、ウラノスさんはもう出発しているとみられます。最後に連絡がきたのは昨日の朝です。それ以降、新しい連絡は入ってきておりませんし、こちらの連絡にも応答がありません。……顔色が悪いようですが、大丈夫ですか」
サターンがテーブルに手をついた瞬間、会議室のドアが開き、三名の人影が現れた。
「うわあ、どうしたんですか、その顔。どこか悪いんですか? 休みますか? 今日の会議は無しにしますか?」
彼は細目の持ち主だった。そこからわずかに覗く黄色い瞳を睨み付けると、冗談ですってと笑いながら、マーキュリーは離れた。
「あらまあ、いつにも増してしかめっ面ね」
「あたい達、遅刻してないだろ? 何をそんなに怒ってるんだ?」
くすくすと手で口元を抑えるビーナスの横で、マーズがぞんざいに聞く。
ウラノスが突如として例の星に向かったと短く答えると、三者興味を失ったような顔をした。
「ああ、彼ね……。まあ、無しでもいいんじゃないんですか、別に。大した支障もないでしょう」
「いつも発言しないどころか話も聞いてないじゃんか」
「それに、正直無しのほうが気が楽だわ。あの人、なんだか怖いもの」
ビーナスが体をぶるぶると震わせたが、芝居じみていた。
「でも、もしこれで、彼があのロボットを捕らえたら……手柄も名誉も何もかも彼のものになるってことか……」
へらへらと笑っていたマーキュリーだが、突如無表情に切り替わった。ビーナスも、それはそれで面白くないわねと、眉をひそめている。マーズのみが取り残されていた。
「別にいいんじゃないか? あいつはそこまで強くないし、いつも変だし、平気だろ」
甘い、とサターンは吐き捨て、プルートのほうへ顔を向けた。
「プルート、繋がるまで、ウラノスに連絡を入れ続けろ。繋がったらすぐに戻るよう、伝えるんだ。今すぐに」
「かしこまりました」
規則正しい足音を響かせながら、プルートは部屋を出て行った。
なんでそこまでするんだと首を傾げるマーズに、サターンは低く言った。
「彼は危険だ。生身は弱いが、そんなものは関係無い。危ない。絶対に単独行動をさせてはいけない人種だ。……お前も大概だがな」
目の色を鋭くさせると、マーズはびくりと肩をふるわせた。反射的に出たもののようだった。
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