phase1.4
美月が突如、クラーレをレストランに連れて行くと言い出した。言葉通り辿り着いた場所は、宇宙船ではなく、ミーティアだった。
なぜそうしたのか、特に穹はわけがわからないようで、どうしてと何度も聞かれた。美月はその度に、奥の手を使うと返した。穹はその返答に、全く納得していないようだった。
美月としても、何か理屈や理論があるわけではない。ただ、ここでなら、できるのではと感じていたのだ。クラーレの壁を崩すことが。鎧を脱がすことが。ハルとココロと、このレストランでごはんをご馳走したことにより、距離が縮んだように。
店内には、客が数名訪れていた。軽いものやデザートを食べている者、飲み物のみ頼んで一人過ごす者など。全員、顔見知りの常連客だった。
お客も、浩美も、厨房から顔を覗かせた弦幸も、クラーレの姿を見て全員ぎょっと目を剥いた。すかさず美月は、さっき警官に言った嘘を、同じように言って説明した。
演劇の主人公で、役作りをしている外国人。最初にそう言ってしまえば、全員あっさりとその嘘を信じた。どこの国から来たかと尋ねる者はいなかったので、穹の考えたやたら長い国の名前を言う必要もなかった。
常連客が座っている場所からも、厨房からも遠い、一番奥まったテーブル席を美月は選んだ。クラーレを強引に引っ張っていき、強引に二人がけ用のソファに座らせる。
美月と穹はテーブルを挟んで向かいの椅子に。未來とハルは、その隣の席に向かい合って座った。
シロがハルの腕から下り、ソファの部分をしばらくふんふんと嗅ぐと、クラーレの隣に腰を下ろし、伏せた。
「……――」
ちら、とシロを見たクラーレが、何かを口にした。
「え、なんて? ……いや、ううん。待って」
通訳をしようと身を乗り出したハルを、美月は制した。代わりに、バッジとカプセル出して、と手を出す。ハルはポケットから、美月の言った品物を取り出した。
「さあ、クラーレ。どっちかをつけてもらうわよ。通訳バッジかクリアカプセル。もちろん両方つけるに越したことはないけど」
ずい、とバッジとカプセルが乗った手を突き出す。
「……」
だが、クラーレは手を伸ばすどころか指先一つも動かそうとしない。顔を下に向けたまま、ぴくりとも動かない。
「あのね、あなたが勝手に外に出て行ったせいで、こんな騒ぎが起こっちゃったんだよ? 地球にそんな格好をしている人なんていないんだから。その上言葉も通じない、何言ってるかわからないとなると……」
ハルに通訳して伝えてもらったが、クラーレのしてきた反応は、帽子を深く被り直しただけだった。つばの広い帽子のせいで、ただでさえずっとうつむいていてよく見えないペストマスクが、更に見えなくなる。
「ハル、理屈と正論で攻めちゃって!」
「む、つまり具体的にどうすれば?」
「バッジとカプセルつける理由とかメリットを、クラーレに合理的に説明して!」
そういうことか、とハルはクラーレの顔を見、そのまま口を動かし始めた。聞き取れない言語が、次から次へと、息つく間もなく飛び出してくる。実際、ロボットなので関係無いのだが、ハルは間に呼吸を挟んでいない。
クラーレが自分の名前を言ったのは、このハルの理屈と正論をひたすら投げかけ続ける攻撃に根を上げたからだ。だから今回もこれで根負けしてくれれば。そう思ったのだが。
地を這うような低い声が、クラーレから発せられた。瞬間、ハルの口が、ぴたりと止まった。
「……駄目だな。黙れ、絶対につけない、構うな、放っておいてくれ、とのことだ。これ以上言っても、聞き入れてはくれないだろう」
ハルが負けるとは。美月はその事実に呆然とし、穹はハルの通訳したその台詞に怯えを見せた。未來とココロは、クラーレを見た。ただ未來が睨んでいるのに対して、ココロはじいっとクラーレのマスクを食い入るように見ている。残ったシロは変わらずに、ソファの上で寝そべりながら、時折羽根を動かしている。
ハルが美月からバッジとカプセルを取り、ゆっくりとした口調で、クラーレに何かを言った。クラーレは黙ったまま、奪い取るようにその二つを手にした。
「その姿のまま、この星を出歩くのは危険だ。とりあえず持っているといい。さっきのような騒ぎだったりなどを回避しやすくなるだろう。とりあえず、そう言っておいた」
そこだけは聞き入れてくれたのだろう。しかしクラーレは、バッジもカプセルもつけずに乱暴にポケットへ突っ込むと、固く腕を組み、顔を伏せた。
「この調子じゃ、まだ話すこともままならないね……」
こちらが言葉を言うにせよ相手が言うにせよ、まず話ができる状態でないと何も始まらない。言葉がずっと伝わらない状態では、ましてや相手が話すことを拒否しているようでは、距離どころかコミュニケーションもろくにとれない。
「美月、どうするの? これじゃあ、仲良くなんてできないよ?」
まだクラーレに向けていた睨みが残っている目つきで、未來が聞いてきた。
「うん、もう奥の手を使っちゃうわ」
美月はメニューを取ってざっと見、一つの料理に目を止めた。これしかない、と自身の独断と偏見が告げている。美月は厨房にいる弦幸に直に注文しに行き、お題はお小遣いから引いていいと、苦渋の表情で付け加え、席に戻った。
「美月、奥の手って?」
「すぐにわかるよ。もし食べられないものでも、私も穹も食べられるし」
私も穹も食べられる、という部分に、穹は何かに気づいたようだった。大丈夫かなとうっすらぼやいた弟に、美月はふと、さっきからずっと彼に言いたかったことを思いだした。
「そういえば穹……。さっきのユニバ……なんちゃらかんちゃら王国って何? 言うにしてももっとありそうな……というか既にある国の名前で良かったじゃないの! 何よあの変な名前は!」
「か、格好いいでしょ……?」
「どこが!!」
「美月~、姉弟喧嘩はダメだよ~」
「そうだ、ミヅキ。それに、ここは店内だ。他に客もいる。TPOをわきまえなさい」
「でもね……!」
「ミヅキ、本当にやめなさい」
浴びせられたハルの声は普段よりも低く、ばっさりとしていた。源七が怒るときの声を彷彿とさせるもので、思わず美月は口を閉じた。
クラーレがはあ、と肩を上下させるのが見えた。言葉はわからなくても、行動で何を言い、何をしてるか大体がわかったのかもしれない。さすがの美月も、恥ずかしくなり、縮こまった。
それからは、奇妙な沈黙の時間が続いた。クラーレは変わらずに一言も言葉を発さず、顔を伏せたままだ。彼だけ置いて会話を始めるのも気まずすぎてやろうとも思わなかったし、かといってクラーレに話しかけるのも諦めていた。どんなに話しかけても、クラーレはまず返さないだろう、という確信があった。それは皆も同じなようで、穹も未來もハルも、クラーレに話しかけようとしなかった。
ココロの相手をしているハルを除き、美月も穹も未來も、クラーレと同じように、目を伏せ、誰の顔も見ようとしなかった。沈黙は、場をどんどん気まずく、息の苦しいものにさせていく。
だから、美月、と弦幸に自分の名前を呼ばれたとき、美月はそこから逃げ出すごとく、助かったとばかりに急いで立ち上がった。その後ろ姿をクラーレが見ていることが、なんとなく視線と気配で伝わった。気にしない振りをして、美月は厨房へ向かった。
注文していた料理を受け取ると、万一落としたりしないよう慎重に席まで戻った。テーブルの上に置いたその料理に、穹はやっぱりと肩をすくめ、未來は感心したように目を見開き、ハルは興味深げに顔を近づけた。
「ミヅキ、これは?」
ハルが尋ね、未來が顔を上げ、視線で同じことを聞いてきた。美月は胸を反らし、一字一句はっきりと言った。
「星くずパンケーキです!」
大きな真っ白い皿に、湯気の立つ、大きく厚みのあるケーキが二つ。触らなくてもふわふわとしていることがよくわかる質感。そのてっぺんに登頂しているのは、四角形のバター。かけられ、そしてケーキを伝って皿に滴り落ちているメープルシロップは、惜しげもない量というのがよくわかる。バニラアイスと共に添えられているのは、今の時期にはぴったりな、納涼感をそそるミントの緑。パンケーキを彩るようにちりばめられているのは、星形にくり抜かれた様々な果物だ。
ごはん部門で一位を飾るのがオムカレーなら、デザート部門は間違いなくこのパンケーキだろう。美月も穹も、幼い頃から、このパンケーキが大好きだった。食べたら必ず、笑顔になったものだ。
「うわあ、美味しそう!」
未來が目をきらきらと輝かせて、パンケーキを見つめている。「この食べ物、是非とも食して成分を分析してみたいものだ」とハルが呟いた。その腕からココロが、熱のある目線を送り続けている。
「これは私でも、なんなら穹でも作れるから、皆の分はまた後でね。今は、この人に食べてもらうことが大事だから」
ナイフとフォーク、パンケーキをクラーレの前まで移動させ、どうぞ、手で示す。
「召し上がれ!」
クラーレは動かない。目は、パンケーキを見ていることがわかる。けれども、それだけだ。見ているだけだ。
見かねたように、ハルが何かをクラーレに言った。だが話し終わっても、クラーレの手は、ナイフにもフォークにも伸びない。
「見た限りで成分を分析し、その上で、この料理に彼の害となる物質は入っていないと伝えておいた」
「うーん。あと、なにせうちのお父さんが作ったんだから、味は食べる前から美味しいってことが保証されてるから、安心して食べていいよってことも伝えて」
またハルがクラーレに何かを言った。クラーレは黙ったまま、ペストマスクに両手を添えた。頬の部分に手を当て、首が横に動いた。
「美月は、マスクとらせたくて料理持ってきたんじゃないよ?」
未來の顔が、ハルのほうを向いていた。ハルがそのまま、クラーレに話しかける。
わかるんですか、と穹が尋ねた。未來はのんびりと、なんとなくだけどと答えた。
クラーレは首を下に向け、また静止した。なんとなくでも、当たっていたようだ。
「ハル。料理を出したのは、クラーレがお腹空かせてるかもしれないから。パンケーキなのは、私がこの地球で大好きな料理を、はるばる宇宙からやってきたクラーレに食べてもらいたいからだって、伝えてくれない?」
ハルが頷き、クラーレと向き直る。地球人には聞き取れない音で、クラーレに話しかけ始めた。
少しは、狙いもあった。美味しいものを食べれば、簡単に心というものは解ける。クラーレはやたら壁を作っているが、暖かくて美味しいものを口に運べば、ある程度は、その壁を薄くしてくれるのではないかと。
けれども、今ハルに伝えてといった台詞も、間違いなく本心だ。
ハルが宇宙船内で出したお茶も飲まなかった。お冷やも、コップに手を伸ばそうとすらしない。
でも、美月は見ていた。パンケーキを運んでくるとき。クラーレがふっと顔を上げて、美月の手にしていたパンケーキのお皿を見たまま、固まったこと。テーブルの上に置いてクラーレの前へ移動するまでの間、そのパンケーキを目で追っていたこと。
目は隠れているので視線はわからないが、顔の動きに合わせてペストマスクが動いてくれる。なので、よくわかった。マスクの下の目が、じいっとパンケーキに注がれていることに。
絶対にクラーレは空腹だ。なにせ、自分の空腹状態の反応と、全く同じなのだから。
ハルの通訳が終わった。どう反応するだろう、と美月を筆頭に、穹も未來も、クラーレの顔を見つめていた。
クラーレは黙っていた。ぐ、と手袋を嵌められた拳に、力が入った。
パンケーキから立つ湯気がゆらゆらと漂い、空気中に溶けていく。長い沈黙が続いた。衣擦れの音もしなかった。厨房や、店内から聞こえてくる音が、とても遠いところから聞こえてきているようだった。
「だあだあ」
その空気を壊したのは、ココロだった。抱っこ紐から身を乗り出し、手を伸ばしていた。小さくまんまるな手を、クラーレのつけるペストマスクに。目一杯伸ばしていた。ココロがもっと大きくなっていれば、その手は届いただろう。あるいは、クラーレが近づけば、ココロが今のままでも届くことだろう。
しかし、もしもでない現実のクラーレの行動は、そうでなかった。
クラーレの体が高くなった。今まで座っていたのが、立ち上がったからだ。テーブルとソファの隙間を滑っていく。家具の角やら何やらにぶつかりながら、それでも歩く。
席から離れたクラーレは、そのままレストランの出入り口まで走り出した。よろよろとした足と、ふらふらとした体。それでも動くことをやめない。
ドアノブを掴み、ドアを開ける仕草が全てもたついていた。
「クラーレ!」
美月が大声で呼ぶ。けれども、ドアの向こうに体を滑り込ませたクラーレは、遠のいていく一方だった。その、閉じていくドアの隙間から、店内から外へ、またもや何かが飛び出していくのが見えた。白く、小さな塊だった。
「シロ……!」
穹の声に、美月はシロがいないことに気づいた。今までクラーレが座っていた席の隣が、空っぽになっていた。
「なんかもう、わからなずぎて、怪しすぎて、怖いよ……」
穹は怪しむことすらもしなくなっていた。残されているのは、恐れと怯えしかないようだった。
「どうして、あそこまで……」
未來の声には、怒りはないように見えた。その声色から感じ取れたのは、純粋な探究心だった。
美月は黙って、誰もいなくなったソファに、視線を注いでいた。
本来なら食べられるはずだったパンケーキは、そっくりそのまま、手つかずの状態で残されている。まだなのかなと、待っているように見える。美月は目線を、ソファからハルに移動させた。
ハルの頭、ブラウン管テレビの部分から、冷蔵庫のモーターのような音が、わずかに聞こえてきた。
「……言うべきタイミングかも、しれないな」
その音が止まった。
「考えた結果、今がその時と判断した。ミヅキ、ソラ、ミライ。なぜクラーレが、乗り合い宇宙船から降ろされたのか、説明しよう。それは、彼が、本来どこの星に生まれたのかということに、最も深く関わっているんだ。そして、クラーレの、この一連の態度にも、説明がつくだろう」
ハルの口が、ゆっくりと動き出した。
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