phase1.3
山を下り、町に出てすぐ、美月は道の向こうから二人の女子が走ってくるのが見えた。その二人は、どちらも知った顔だった。というのも二人とも、美月のクラスメートだった。
ちらちらと後ろを振り返りながら駆けるその顔には、焦りと怯えが浮かんでいる。
美月はそれを見て、またもや嫌な予感が胸をかすめた。
二人は美月の姿を視野に入れるや、助かったとばかりにこちらに近寄ってきた。
「ああ、美月! ちょっと聞いてよ!」
高い声を発しながら美月に縋り付き、もう一人が興奮を隠さない態度で、今し方彼女達が走ってきた方角をぴんと指さした。
「不審者! 不審者が出たのよ!!!」
「ふしんしゃ?」
おうむ返しすると、二人は交互に頭を縦に振りながら、早口で捲し立てた。
「変なマスクつけてるのよ!」
「コスプレでもあれはナイわ!」
「しかもオーラが全然違うのよ!」
「いかにも危ない人!」
「しかもね、変なこと喋ってるのよ! なんて言ってるか全然わからなくて!」
「目が合っちゃったから、急いで逃げてきたの!」
美月は二人の今見たものに対する懸命な訴えを聞きながら、頭の中では別のことを考えていた。
ちら、と視線を移動させた。美月ではない別の人から見たら、その視線の先には何もなく、誰もいないように見える。しかし美月の目には、別のものが見えていた。
クリアカプセルをつけているシロは尻尾を振り、ココロは目をぱちぱちさせており、ふたりを抱いているクリアモード中のハルが、浅く頷いていた。
「その人は、どっちに行った?」
「あっち……って美月まさか見に行くつもり?!」
「やめておいたほうがいいわよ! どうなるかわからないわ!」
「下手すれば殺されるかも!」
「というか既に何人か殺してますなオーラ出てたし! なんか!」
「いや、それはどうかなあ……?」
確かに、彼からは近寄るなという気迫は出てたが、そんな物騒なオーラは感じなかった。けれども、今この二人にそれを伝えても、信じてはくれない。それどころか、そもそも話を真面目に聞いてもらえないだろう。
「好奇心で見に行って良いものじゃない! 行くなら警察よ!」
「私達が通報しておくから、美月は急いで帰ったほうがいいって!」
「あ、ありがとう。いやでも見に行くわけじゃないから。ちょっと気になっただけだから。ちゃんと用心するよ。二人も、通報は置いといて、すぐ帰ったほうがいいよ」
今だ騒ぐ二人の間になんとかそう言って入ると、やっと彼女達の早く動く口元が落ち着いた。
「そ、そうね。わかった。美月、本当に気をつけてね」
「美月の家、あっちの方角でしょ? ……ってああ! あたしの家も向こうの方角だったし!」
「わたしもだよ! うああどうしよう!」
「なるべく遠回りして、人の多い道通って帰りなよ」
「う、うん。そうするわ。って、あれ。その子、もしかして美月の弟?」
今気づいたのか、二人は少し後ろに立っていた穹と目が合った。穹はわたわたとしつつも、「こ、こんにちは」と頭を下げた。
「弟君も気をつけてね!」
「それじゃあね、美月。また学校で!」
二人は忙しない足取りで、立ち去っていった。その瞬間、二人は美月の隣に立つ未來の顔を、やっと見た。
かくかくと頭を下げ、こちらに駆け寄ってきたときとは違う、こそこそと、そして慌ただしく、去って行った。
「未來……」
「あの人、やっぱり町に行ったみたいだね……。騒ぎになる前に、早く追いかけよ!」
美月は頷いた。今はとりあえず、クラーレを見つけることに集中しようと思った。
「あの二人の様子を見る限り、地球人はクラーレを見るととても驚くようだな……。もっとひどい事態が起こる前に、なんとか見つけないといけない。急ごう!」
ハルの力強い口調に、今度は全員が頭を縦に振った。教えられた方角に向かって、一斉に駆け出した。
住宅街の中心地に近づくにつれ、道行く人達の様子が皆おかしいことに、美月達は気づいた。
怯えていたり、好奇の眼差しを隠し切れていなかったりと、その反応は似たり寄ったりだった。すれ違いざまに、「変な人がいる」「怖い」「怪しい」といった台詞が何度も耳に入ってきた。
彼らが皆、ある一つの対象に向けてこのような反応をとっていることは明らかだった。
美月達はその対象を見つけて捕まえるべく、更に走る速度を上げていった。
やがて、住宅街を抜け、商店街まで辿り着いた。店先に立つ人や買い物客らは、どこか様子がおかしかった。目線がほぼ全員、一定の方角に向けられている。事件や事故の野次馬の目とは違う、もっと恐ろしく、とても信じられないようなものを見つけた目。
辿ると、真っ直ぐ行ったずっと向こうに、何やら人が固まっているのが見えた。
ハルが美月、とそこへ向かって指さした。美月はそれに頷いて返した。
間違いなく、あそこにいる。美月も穹も未來も、全員が同じタイミングで確信した。
近づくと、その全貌が明らかになった。
青い制服を着た大人が一人立っていた。警官だった。誰かの前に、壁のように立ち塞がっている。その大人の壁の向こうにいたのは、その警官よりも少しだけ背の低い、ペストマスクをつけた人物であった。
「もう一度聞く。名前は?」
「――。――!」
「だからなんだって?」
「――。――……」
距離を詰めると、会話の内容が聞こえてくる。警官と、顔を下に向けたクラーレは、似たようなやりとりを何度も繰り返していた。
クラーレはしきりに視線を動かしている。手は忙しなく宙をさ迷っている。何を言っているかわからない声は、震えている。彼は宇宙人だが、どこをどう見ても、地球人と同じように、戸惑っていた。焦っていた。困っていた。
「さっきから何言ってるかまるでわからないな……」
警官はクラーレのことを、不審人物以外の何者にも見ていないようだ。不審どころではなく、完全に何か犯罪の類いをしでかしたと確信している。
君、とかけた声が、威圧的だった。
「ちょっと署まで来てもらおうか」
町の人々は全員、近い距離なのに遠くから、クラーレのことを眺めるばかりだ。その一言を聞いた途端、眺めていた人々に安堵の表情が広がっていくのを、美月は見ていた。
クラーレが、一歩足を引いた。
「ちょっと待って下さい!」
気がつけば、美月は声を上げていた。なんと言ってクラーレを戻すか、そんなことは全く考えていなかった。ただとにかく、今すぐに声をかけねばと思った結果だった。
警官が振り向いた。その向こうにいたクラーレが、うつむいていた顔を上げた。マスク越しに、目と目が合った気がした。
「なんだい、君達は」
悪いことをしていないのに、警察を見ると緊張が走ってしまう。そういう心理を聞いたことがあるが、今まさに、美月の心はそうなっていた。
美月は体を固くし、どもりそうになりながらも、一度唾を飲み込んで、クラーレを指さした。
「この人、私達の知り合いなんです!」
警官が、美月達とクラーレを、交互に見た。
「この人のことを、知っているのか?」
尋ねられながらもその目には、美月のことを探るような視線が放たれている。
「奇妙な格好をして、何を言っているかわからない不審者がいるという通報が何件もあってね。君達は彼と、一体どういう関係なんだ?」
クラーレの怪しさを消し、嘘に信憑性を持たせるためには、どうすればいいのか。考えたが、美月の頭は回らない。すぐに答えられず戸惑っていると、怪しいとばかりに警官が眉根を寄せてきた。
「この人、クラーレっていうんです。で、その格好は、コスプレなんです」
しっかりとした口調でそう言ったのは、未來だった。
コスプレ、と美月と警官の声が重なる。言った後で、美月の頭がぴこんと明滅した。
「……そ、そう! コスプレなんです! というか衣装です! 実は今度劇をやるんですけど、クラーレは主役で、ちょうど今! 役作りの最中なんです! この本が原作でして!」
やや引いた場所にいた穹へ振り返ると、穹はきょとんと首を傾げかけ、すぐにあっと目を見開いた。手にしていた本を、無言で突き出す。
「……ああ、この本か」
表紙と題名を見た警官は、うんと納得したように頷いた。
「で、この人は、その、外国から来た人なんです! 留学生なんです! 遠い場所からやってきたんです! 日本語がまだ不慣れなもので、つい母国語が出てしまったのかと!」
嘘は言っていない、と美月は心の中で何度も繰り返した。遠いところからやってきたのも、喋っているのが母国語なのも、本当のことだ。全部本当のことを言ってしまうと、美月達さえも怪しまれてしまうから、ぼかしているだけだ。
「外国人か。なんという国からきた?」
「エッ?!」
声が裏返った。まず未來に視線を移動させたが、彼女は肩をすくめてきただけだった。
警官には見えないハルもそっと見たが、テレビ画面に映る口を結んで、黙っている。
最後に穹を見ようとしたとき、その穹が一歩踏み出してきた。
「この人は……。ユニバースアビスエンド
美月の口から、声にならない声が吐き出てきそうになった。その声にならなかった台詞を、警官は極めて冷静な言葉に翻訳してくれた。
「聞いたことがない国だな」
「そうでしょう、地球には二百近い国があるのですから……。このユニバースアビスエンド
「この人の身分を証明できるものは?」
「えーちょうど劇団の監督に呼ばれてて、今物凄く急いでいる最中なので、また後で!」
美月がクラーレの腕を鷲掴みにした。未來はもう片方を掴んだ。ハルは見えないのをいいことに、クラーレの背中にまわった。左手でシロと抱っこ紐の中にいるココロを支え、右手を器用に背に添えた。穹は、まだ何かわけのわからない設定を口に出していた。
「ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした!!!」
美月が叫び、未來がぺこりと頭を下げ、ハルは聞こえないのにごめんなさいと謝ったのが、合図だった。
一同は一斉に走り出した。警官の制止の声も、野次馬達の喧噪も、全部聞く暇もないほど、とにかくがむしゃらに走った。
クラーレの嵌めている手袋は、腕まである長いものだった。革の感触を通して、体温が伝わってくる。それは宇宙人のはずなのに、地球人とほぼ変わりないように感じた。
走りながら、クラーレが「――! ――!」と何かしら叫んでいたが、びゅんびゅんと風を切る音と全員の呼吸音で、クラーレの声はかき消された。でも断片的に聞こえてくる声の高さや速度からして、かなり驚き、そしてひどく慌てふためいていることは、なんとなく伝わった。
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