phase1.2

 明確に見て取れる拒否をされた。近づこうとしたら、近づくなと壁を設置された。


 声を失うと同時に、先程から感じていた空気の正体が、やっとわかった。

ただの人見知りや緊張ではない。この宇宙人は、人と関わらないと決めて、梃子でも動かまいとしている。


 空気の正体は、クラーレの周りに設置されている壁だった。壁は、崩れなかった。


「これはかなりオブラートに包んだ。実際は、かなり強い拒絶の言葉だった」

「……ごめんなさいって、伝えてくれる?」


ハルが美月を手で指し示しながら、クラーレに何かを言った。

クラーレの頭が、一瞬上がりかけた。が、下を向かれ、そのまま顔を背けられたので、遂に顔を見せてくれなかった。


「にしても、いちいちハルさんが間に立って通訳するのは、手間がかかるねえ……」


 重苦しい沈黙の時間が流れた。その流れを変えたのは、未來ののほほんとした口調だった。


「ねえハルさん、この人と簡単に会話できる方法、何かありませんか?」

「ある」


 ココロがはいはいをしながら近づいてきた。ハルはココロを抱き上げた。


「違う言語を翻訳する機械は、旅を開始したときにもう用意していたんだ。いつか、ココロにつける日も来るかと考えてね。ココロが喋れるようになるまで、ダークマターから逃げ切れるかどうかわからないが」

「私達が頑張るって!!!」


 冗談だとしても、全く笑えない。ぞっとした気持ちをかき消す勢いで、美月は大声を出した。クラーレの肩が一瞬びくりと跳ねた。


「それは今は置いておいて、これがその機械だ。私には、人間でいう喉にあたる部分に通訳機能がついているのだが、その機能を応用して作った物だ。本来はココロ用だから、一人分しかないのだが」


 ハルはトレンチコートのポケットから何かを取り出し、テーブルの上に置いた。

それは、丸くて白い、小さなバッジだった。


「これの名称は通訳バッジという。バッジをクラーレにつけてもらうと、クラーレにはミヅキ達の言葉が、クラーレの星の言葉に聞こえる。逆にミヅキ達には、クラーレの言葉が地球の言語に翻訳されて聞こえるというものだ。

ちなみに文字でも、バッジを訳したい文面に掲げて読み込ませるという手順を踏む必要があるが、翻訳をすることができる」


  へえ、と美月が感心の声を上げようとしたとき、だが、と遮られた。


「昨日、クラーレにこのバッジをつけるよう提案したのだが、拒まれてしまった。それに彼は、歯に衣着せぬ物言いをする。それによって、ミヅキ達が傷つく可能性も、否定できないんだ」


 確かに間にハルを挟んでいれば、美月達にとって危険となるものは遮断されるので、届かない。


 とはいえ、美月にとっては間に立たされたほうが、手間がかかるし時間がかかるし面倒臭いし気になる。別にそれでもいいよと美月は言ったが、穹はそうですか、と悩ましい顔をしていた。


「上等ですよ、ハルさん」


 未來が爽やかな笑顔で言い切った。

上等、という台詞に、美月は自分の耳を疑った。穹も、驚いたように大きく目を見開き、未來を見た。


「美月がせっかく頑張って話しかけていたのに、話しかけるなって一蹴するなんて……。相手がその気ならこっちも、本音をぶつけ合ったほうがいいですよね? ね? ハルさん、このとんでもなく失礼な人に、美月はちゃんと謝ったんだからそっちも謝れって言ってください」


 そう言ったときの未來の表情は、新緑の大地に吹く風のような、実に清涼感溢れるものだった。


「あ、あの、未來さん。こういうときは、お、穏やかにいったほうがいいかと……」

「ソラの言うとおりだ。それを言うのは出来ない。争いのもとになる」

「では自分で言います、バッジ下さい」


 奪い取る。と表したほうがいいような動きとスピードでテーブルに置かれたバッジを取ろうとしたとき、間一髪ハルの手が伸びてきて、バッジはポケットの中にしまわれた。


「いや、あんな台詞を聞いた後だと、絶対に渡すわけにはいかない。渡したら事態が急速に悪化するという計算結果が出力された」

「私は間違ったことは絶対にしませんから、早くお願いします」


未來の目は、ポケットに注がれている。隙あらば取ってやろうという捕食者の眼を隠し切れていない。

 呆気にとられていた美月はやっと、「私は全然気にしてないよ」という一言を発することができた。


「大丈夫だよ、美月。気を遣わなくても。ちゃんと私が、美月が嫌な思いした仇を討つからね」

「やめて! ストップ! 本当にやめて!」


  友人が見知らぬ宇宙人と火花を散らすところなど見たくない。

どうやって沈めたらいいのだろうか。未來は全く矛を収めようとしない。


 クラーレもクラーレで、まだ下を向いていたが、ほのかに頭が上がっており、マスクのくちばしの先が、未來のほうに向いていた。顔は全くわからないのだが、全体の空気感からして、恐らく未來を睨み付けているのだろうとわかった。未來もそれに気づいているから、矛を収めずに向けているのだ。


まさしく一触即発状態だった、そのとき。とてとてとシロが未來の足下まで歩いてきて、もふもふの体を未來に当てながら、じっと見上げてきた。


 シロの翡翠色の瞳と、未來の目が交差する。


 その未來の目が、徐々に和らいでいった。爽やかな笑みが穏やかな笑みへと変化していく。


グッジョブと、美月は心からのエールを送った。穹はシロに、手を合わせ、頭を下げていた。


 未來が頭を撫でてやると、シロはピイと満足げに一声鳴いた。

その様子を微笑ましい思いと、少々の未來に対する羨ましさを抱きながら見ていた美月は、ふいに何かを感じ取り、顔を上げた。


 その先で、クラーレがシロのことを見ているのに、気がついた。


 視線に気づいたのか。シロが、振り向いた。てくてくとクラーレのもとへと歩いていき、その距離を詰めていく。


 足下まで来たシロは、クラーレを見上げた。あのきらきらした目を向けているのだろう。目の前の、顔を隠した相手に、シロは全く警戒する素振りを見せない。クラーレも目を逸らさずに、シロを見ている。


 やっぱり動物がいると、空気が柔らかくなるのは本当なのだ。

これで打ち解けられるかもしれないと美月が思った瞬間だった。


 それまで止まっていた空気の流れが、一気に動いた。原因は、クラーレが立ち上がったからだ。それも、勢いよく。


 クラーレの顔が動いた。目線が、シロから離れた。向いた先にいたのは、ハルが抱えている、ココロだった。赤と青のオッドアイの瞳が、クラーレの姿を捉えている。クラーレも、ココロの宝石並に綺麗な目を、捉えている。


 と。くぐもった声が、聞こえてきた。


 ハルがリビングのドアを指さし、何やら言って返している。クラーレは軽く頭を上下させ、真っ直ぐドアに向かって歩いて行った。早い足取りのその後ろ姿が一瞬だけ、まるで逃げ去っているように見えた。


「ハル、クラーレはなんて?」

「トイレはどこかと聞いてきたので、答えた」


 クラーレの分のお茶は全く減っていなかった。それなのに、トイレに行きたくなるものなのだろうか。

とは思ったが、あまり興味も沸かなかったので、美月は気にとめなかった。


 シロはじっと、クラーレが閉めたドアを見ていた。ココロも、オッドアイの目を向けていた。その向こうにあるものを見ているかのように。



「うう、なんなのあの人……」


 ばたんとドアが閉まる音がすると、穹がソファの背もたれに深く背を預けた。美月も、息を吐き出していた。クラーレといると、部屋の空気の質が変わるような気がする。油断のならないような、びりびりとした緊張感を帯びたものとなる。


「穹君。あの人は、私達に対して、絶対気を許さないって思ってるよ。それどころか、敵意すらも抱いているかも」


 未來が静かに息を吐き出しながら、肩を落とす。穹はやっぱりと青ざめ、自分の二の腕をさすった。


 未來の言ってることは正しいと、美月も勘づいていた。


 クラーレの警戒心は、鎧を着込んでいるだけでなく、そこに鋭いとげをいっぱいくっつけているのだ。置かれている壁は堅牢で、しかも電流が流れているのだ。


 だから意識的に、こちらに向けて鋭利な態度と言葉を放っている。


 しかし。


「……私は、あの人が悪い奴には、見えない」


 美月の言葉に振り向いた未來は、大きく目を見開いた。穹が戸惑いながら、どういうことと身を乗り出す。


「なんというか、ダークマターの奴らと会ったときは凄い怖かったのに、クラーレにはその感覚が無いの。怖いけど、でも、怖くない」


は、と穹が呆れが多量に含まれた声を発する。美月は「だから、その」と言いよどみながら、自身のポニーテールをいじった。


「なんていうか、できたら、仲良くなりたいなって、思ってるんだよね。なんだか、仲良くなれそうな気がするんだ。勘だけど」


  言葉を失った穹に代わって、未來が「美月?」と珍しく真面目な声色で話しかけてきた。


「あの人は、ずっと失礼な態度をとり続けてるんだよ? 美月にも」

「まあ、それは、何か理由があるのかもしれないし」


 確かにクラーレからほとばしるのは敵意のそれに他ならない。けれども、悪意は、感じられなかった。


 それ一つしか判断材料がないのだが、美月にはある直感があった。クラーレは、自分達の敵ではない、と。


「ハル、クラーレって全然喋らないけど、ハルとはどうだった? 何か話した?」


 昨日出会い、今クラーレが宇宙船にいるということは、ハルと何かしらのやりとりがあったはずだ。まさか勝手に上がり込んだわけではないだろう。


「昨晩少し話をしたのだが、あまり自分のことは教えてくれなかった。そもそも喋ることがまずなかった」

「何を話したの?」


 言葉の壁がないハルとクラーレなら、彼は何か自分に関することを話したかもしれない。美月だけでなく、穹と未來も、ハルの顔を見た。


「ここはどこかと聞いてきたので、地球と答えた。それと、私とココロとシロに対し、あんたらは地球人なのかと聞いてきたから、私は訳あって宇宙を旅し、今は地球に滞在しているロボットで、ココロは旅の仲間、シロは地球にやってきたプレアデスクラスターという種族の子供だと答えた。向こうから話しかけてきたのはこれだけだ。それからあとは、一切口を開かなかった」


 あとはそうだな、とハルは思い出しているかのように頭を上に向け、すぐ戻した。


「私のほうも色々質問はしたが、ほとんど答えてこなかった。唯一答えたのは、君はどうして地球に来たんだという質問だけだ。それに対しクラーレは、ついさっきこの星で乗り合い宇宙船を下ろされたからだ、と答えた」

「乗り合い宇宙船……?」


 乗り合いの意味は知っていたが、その後に続く単語から、その乗り物がどういうものか全くわからない。未來と穹にも目配せをしたが、二人とも知らないと首を振った。


「自分の宇宙船を持っていない人達でも宇宙を移動することが出来る、公共の宇宙船のことだ。宇宙船ごとに決まったルートや移動距離があり、そこを巡回している。基本的に誰でも乗ることが出来るというその性質上、利用者はとても多い。専用の宇宙船を持っていないが、別の星に用事があったり等して、宇宙船を必要とする者の割合が多いからな」

「そうなんだ……。なんで下ろされるなんてことに?」


 地球に来た意味はわかったが、その理由がわからない。首を傾げる美月に、穹が姉ちゃんと固い声をかけてきた。


「きっと、何かトラブルを起こしたんだよ。下りたじゃなく下ろされた。そんな言い方するんだから、十中八九間違いない」

「ええ……? ハル、どうなの?」


 ハルは迷う素振りも葛藤する仕草も見せず、はっきりと口を開いた。


「クラーレは、理由を教えてくれた。が、ミヅキ達には、言わない」


 美月はええと素っ頓狂な声を上げた。なんでと何度も尋ねても、ハルは確固として言わないの一点張りだ。


「彼が自分から言うのを待つほうがいいと判断した。それまでは、なるべく他者に言わないほうがいいと分析した。だから言わない」

「ほら、ますます怪しいじゃん。あの人、絶対何かしらのことをしでかしたんだよ! ハルさんにここまでさせるくらいの!」

「ええ……?」


 美月は納得しきれてないと首を左右に傾げた。そんな美月に、穹は更に言う。


「基本的にハルさんって聞けばなんでも教えてくれるじゃんか。そのハルさんが言わないってよっぽどだと、僕は思う!」

「いやいや、聞いても教えてくれなかったことあったし!」

「それは状況とか判断した上での“今は言えない”の“言わない”でしょ? こんな風に何が何でも“言わない”としているのは初めてだって! 姉ちゃん、警戒したほうがいいよ!」

「いや、穹が思ってるようなことをしてるとは限らないじゃんか!」

「ねえ、美月。なんでそんなに、クラーレのことを庇うの?」


 ヒートアップしてきた姉弟を止めたのは、未來のそんな問いだった。一件無邪気にも聞こえるが、その声音はやや低く、真面目なものだった。


「いや、庇ってるつもりはないけど。……なんていうかさ、もしかしたら緊張してるだけかもしれないなって」

「緊張?」


 聞いたのは未來ではなく、穹だった。


「うん。だってさ、今まで普通にその乗り合い宇宙船に乗ってたのに、突然見知らぬ星の、見知らぬ場所に放り出されて、見知らぬ人と会って……。自分の身に置き換えてみたら、凄く怖いなって思ったの。とても緊張するなって」


 うーんと穹が苦い顔をして、目を閉じた。先程までやいのやいの言っていたのに、その気力は半分失われているようだ。


「私が同じ立場だったら、警戒するし、言葉の通じない相手に警戒心はさすがに沸くし、ハルみたいに言葉が通じてもやっぱり警戒すると思う。敵意を向けてきても、しょうがないかもしれない」


 そっか、と未來が短く言った。口元に、少しの笑みが浮かんでいた。そのままやれやれと言いそうな口元でもあった。


「私はただ、信じたいんだ。自分の直感を。クラーレのことを。で、仲良くなってみたい」

「ミヅキ、それはどうしてだ?」

「なんか仲良くなれたら面白そうって感じたから」

「そうか、それだけか……」


  理屈を考えようとは、美月は思わない。ただ、直感を信じている。直感に従っている。今回も、その直感が、クラーレは悪い奴ではないと言っているのだ。だから美月も、その言葉に従う。美月にとっては、理由や意味などそれだけで充分なのだ。論がなくても証拠がなくても。


 と、シロがふいにドアのもとまで走り出した。閉じられたドアに向かって手を伸ばし、まるで出たがっているかのように引っ掻いている。

「ピイ! ピイ!」と大きく鳴く彼に、未來が「どうしたんですか?」とソファから腰を浮かせたとき。

 ん、とハルから妙な声が漏れた。


「これは……」

「え、どうした?」


 すると、がたりとハルがソファから立ち上がった。


「クラーレが、宇宙船から外に出たようだ」

「な、どうしてですか?!」


 今ちょうど美月が思ったことを、穹が代弁した。


「わからない。だが船内に、彼の生体反応が無い。間違いなく外に出ている」


 外、と美月はハルの言葉を繰り返した。そこでふと、気づいた。クラーレが、どういう姿形をしているかを。


 身長は、地球の一般的な成人男性と変わらない。髪色は、少なくともこの町、この国では、染めない限り見かけない色だ。では、服装は。

 ペストマスクをつけている人間。そんな人は、現代の今、美月は過去一度も、見たことがない。


「クリアモードは?!」

「クラーレにクリアモードはついていない」

「間違えた、クリアカプセルは?!」

「渡していない」

「まずいんじゃないの?!」

「その通りだ」


 美月が勢いよく立ち上がった。ドアまでダッシュし、ノブに手をかける。


「姉ちゃん?」

「美月、どこへ?」


 美月は振り向きながら、ドアを開けた。


「クラーレを探しに行く!」


 穹が大きく目を見張り、未來は半ば予想していた答えのように、目を閉じた。


「ミヅキ、私も一緒に行こう。準備するから少し待っていてくれ」


 ハルも来てくれるのかと、美月は少し安堵した。その横から穹が、「本気?」と聞いてきた。


「本気も本気」

「怪しいよ?」

「ハルも怪しかったけど、なんでもなかったじゃん」


 それとこれとは、と頭を抱え込む穹に、未來がわかったと美月の隣に立った。


「私も行く。ちゃんと、クラーレと話し合いたいから」

「……喧嘩しないでね?」

「そういう話し合いじゃないって!」


 あははと未來は笑ったが、その笑顔は先の爽やかな笑みが少しだけ混じっていた。大丈夫だろうかと美月は冷や汗が流れそうになったが、ありがとうと返した。


「じゃ、穹は留守番してて?」

「ええ? ……もう、僕も行くよ。しょうがないなあ」

「結局ついてくるのね……」


 美月は肩をすくめた。


 そうこうしているうちに、ハルが戻ってきた。既にココロにクリアカプセルをつけ、抱っこ紐で抱っこしていた。シロにもクリアカプセルをつけると、宇宙船の出入り口に向かって歩き出した。


「山の方向ならまだしも、もし町の方まで行っていたら、騒ぎになるかもしれないな……」


 廊下を歩くハルからぽつりと零れたその台詞に、美月は嫌な予感がして、背筋がほんの少し寒くなった。

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