phase1.1

 ハルはお茶を淹れてくると台所に行ってしまい、リビングには美月、穹、未來と、昨日の夜ハルが出会ったという宇宙人が残された。


 美月達は、向かい側に座る相手と向かい合ったまま、お互い黙り込んでいた。会話は生まれていない。間を挟むテーブルは、両者を隔たる壁のようにも感じられる。


 一度、未來がこんにちはと声をかけた。が、言葉がわからないのか、それともわかるが無視をしているのか、相手は黙ったまま、一声も発してこなかった。


 顔はマスクで覆われ、しかもじっと床を見つめうつむいているので、目の前に座る人物が男か女かもわからない。ロボットの類いではないようだが、それ以外のことはまるで見当もつかなかった。


 美月はこっそり、相手の姿をよく観察してみた。


 身長は、ハルより低いが、自分達よりは高い。髪は濃い紫色をしており、うなじにかかるくらいの長さを、一つに緩く結んでいる。


蝋引きされた、お腹までの丈の茶色いガウンを羽織っており、つばの広い帽子を被っている。ガウンの下からは黒いズボンが覗いており、ブーツを履いていた。


 穹の読んでいた本の挿絵の人物とほぼほぼ同じだ。本の中からそのまま抜け出てきたかのようだ。

そのせいか、異形頭であるハルと同じくらい、その人物は異様な存在感を放っていた。ガウンと同じ色のペストマスクからは、その表情は全く見えない。


 何を話したら良いのか。美月は何度か穹と未來に目配せをしたが、美月と同じく二人ともネタが思いついていないようだった。


 助けを求めようと隅で共に遊んでいるココロとシロに顔を向けたが、ふたりともこちらと目を合わせただけで、何かこの気まずい空気を切り抜けられる案は出してくれなかった。


 ただ、何か違う、と美月は感じていた。この気まずさは、話のネタがない気まずさとはまた違う気がする、と。


 そもそも相手から、話そうとする意思がまるで伝わってこないのだ。それどころか、話しかけるなという見えない圧力が強く発せられている。


 相手の四方八方、三百六十度を、見えない壁が塞いでいるようだ。近づこうとしてもできない。崩す方法も全く見当がつかない。


 ソファに座り、壁に守られている宇宙人は、美月達の誰一人とも目を合わせなかった。とりわけココロとシロのいる方角には、絶対目を向けまいとしているように見えた。


 よって美月達は、無言でただ流れる時間を過ごしていた。未來でさえ、やや緊張しているようだった。穹は案の定、じっと自分の膝を見て、顔を上げようとしない。小刻みに震えていることから、この宇宙人相手に恐怖心も抱いているのがわかった。


 まだハルは戻ってこないのかと、美月は時間の経過が異様に遅く感じられた。


 やっとそのハルが全員分のお茶を持ってリビングに戻ってきたとき、既に美月の体感時間は1時間をゆうに超えていた。


「皆緊張しているようだな。珍しい」


 普段と変わらないのはハルとココロとシロだけだ。置かれたお茶を、美月達は一斉に手を伸ばし、飲み干した。緊張で神経が昂ぶっており、短時間の内にとても喉が渇いていた。


 だが客人であるはずのペストマスクの人物は、手を伸ばす素振りも見せず、彫刻のようにポーズを変えなかった。


「だってこの人全然喋らなくてさ……」


「この人は地球の言葉がわからないのだから、しょうがない。私はわかるから、通訳をしよう」


 ハルはお茶を啜りながら言った。


「本当? じゃ、私の名前は美月です、あなたの名前はなんですかって聞いて!」


 わかったと、ペストマスクと向き合う。開けられたハルの口から流れてきた音を聞いて、美月達は顔を見合わせた。


 何を言っているのか、まるで聞き取れなかった。少なくとも日本語ではない。かといって、外国語でもなさそうだった。今まで聞いたことが無い音の羅列だった。


「―― ――」


  物凄く小さな音だったが、マスクの下から何かが発せられた。わずかに聞こえた声の低さからして、どうやら男性のようだ。小さい上に聞き取れない音だったが、ハルは理解したようだ。一つ頷き、美月達に向き直る。


「教えたくないから言わない、とのことだ」


 てっきり教えてくれたものだと思っていたので、美月は拍子抜けした。確かに漫画などでよく自分の名前を名乗らないキャラが出てくるが、まさか現実でそんなことを言う人がいるとは思ってもみなかった。


「うーん、でも、呼ぶときに名前がわからないと大変ですよね?」


 未來の言葉に、美月と穹も頷いて同調した。ハルはふむと腕を組んだ。


「全くその通りだ。よし」


 腕を解いたと同時に、またハルは振り向いてマスクに何やら話しかけた。


 今度のハルから発せられる言語は、先程のものと明らかに質が違った。

早口で、台詞の一つ一つが、長い。マシンガントークそのものだった。


相手は銃弾の隙間を狙って何度か、ぼそぼそと短く何かしら言葉を発した。だが、ハルはまるで聞いてないとばかりに、延々と喋り続けた。


 矢継ぎ早に動くハルの口元を、美月達は呆然とした思いで眺めていた。



 やがて、相手に変化が訪れた。もちろんなんと言ったかはまるでわからなかったが、美月達にもはっきりと聞き取れる音で、非常に短い一音が、マスクの下から発せられた。言った直後、その人はふいとハルから顔を背けた。


「ふむ。クラーレ、という名前らしい」

「ハ、ハルさん、い、一体何をしたんですか……?」

「今ここで名前を名乗ることに対しての合理性と有益さについて説明しただけだ」


 質問をした穹は明らかに引いた顔つきになり、未來も凄いですねと口では言っていたが、その笑顔はわずかに引きつっていた。


 クラーレと強引に名乗らされた目の前の人物に、美月は同情の念を抱いた。

抱きながら美月は、脳内で反芻はんすうした。


 クラーレ。耳を通じて自身の中に入ってきたその名前を、美月は呑み込もうとした。


クラーレの口から発せられたときは、そのような言葉には聞こえなかったが、どうやら地球の言語で訳するとそうなるらしい。全く聞き慣れない名称な故、その四音は強烈な存在感を放っている。 


 けれども、言ってくれたのだ。言わされたとはいえ、自分の名前を。

それはかなり大きい。美月の中にあった緊張が、先程と比べると縮んでいるのがわかる。


 自分の名前を言わされた人物は、ずっと床に目を向けている。何かあるのかと気になったのか、ココロとシロも、クラーレが見ている床に目を向けている。


「名前教えてくれてありがとう! さっきも言ったけど、私は美月っていうの。こっちが弟の穹で、こっちが友達の未來ね」


 美月はそんなクラーレに、つとめて明るい調子で話しかけた。ハルがクラーレに通訳をし終わるのを待ってから、会話を再開する。


「この星、地球っていうんだけど、知ってる? 来たのは初めて?」

「何か、地球について気になることとか、やりたいこととかってある?」

「名所はね、ちょっと遠いけどプラネタリウムとか、科学館とかがあるんだ! 私もよく行くんだよ。あとなんといってもミーティアっていうレストランだね。ここは絶対に外しちゃいけない! 美味しい料理盛りだくさんだよ! って、そういえば聞き忘れてた。クラーレの好きな食べ物って何?」

「あ、食べたらだめなものとかってあるのかな……。どう? 大丈夫?」

「というか、疲れてるのかな……。 体調悪いとかある?」

「黙ってるってことは平気ってこと? じゃあちょっと地球がどういうところか散歩でもしてみるていうのはどうかな? どう?!」


 会話といっても、そこにキャッチボールは行われていない。美月が一方的に、ボールを投げているだけだ。


 明るく、軽く、相手が例え返してくれなくても、根気強くボールを投げ続ける。


 今までの友人の中には、人見知りが激しく、美月が話しかけても緊張して上手く話せない子もいた。そういうときどうするかというと、こちらから話しかけ続け、相手が答えやすい話題を出し続けるに限る。


 美月には友人が多い。幼稚園に通っていた頃から、途切れた試しがなかった。その経験から、今が彼との距離を詰めるチャンスだと知っていた。ここで距離を近くしたい。

 美月は、語尾がクエスチョンマークで終わる話題を探して、クラーレに話しかけ続けた。


 しかし、彼もなかなか、しぶとかった。


 美月が投げたどのボールも、返そうとしてこない。返そうという素振りすら、一欠片も見せてこない。じっと床を見たきり、動かない。


 ガウンから、革の手袋を嵌めた手が覗いていた。両膝の上に置かれたそれは、ぎゅっと拳の形に作られている。


 美月は、違和感を抱いていた。空気が違うような気がする。クラーレから滲み出ている空気が、部屋のそれを変えている気がする。


 その違和を誤魔化すために、美月は明るい調子を崩さず、むしろどんどんヒートアップしていった。


 穹はクラーレに明らかに怯えており、顔を強張らせている。それを本人から隠すため、少し顔を下に向け、そらしている。


 未來は逆で、黙ったまま、クラーレの顔を見つめていた。しかしその目から、好奇心の類いは感じ取れない。探るような、という目つきに近かった。


 美月も話しながら、感じている空気が段々と濃くなっていくのを肌で感じていた。気のせいかと思ったが、無視できない。息が苦しくなっていくような、喉が塞がれて言葉が出てこなくなっていくような。そんな空気だ。


 今までの友人達と出会って、話した時とは違う。未來との時とも違う。ハルの時とも、シロの時とも、ダークマターとの時ですらも違う。


 この空気は、なんなのだろうか。


  訝しみながらも話し続け、遂に話題が尽きかけたときだった。


 小さいが、何か台詞を言ったとわかる声量が、ペストマスクの、くちばしの下から、聞こえてきた。低い声だった。とても。美月はぴたりと、口を閉じた。


 その台詞を聞いたハルが、何か悩んだのか口をきゅっと結んだが、決心したように美月を見た。


「話したくないから話しかけるな、と言っている」

「え……」


 美月は言ったきり、言葉をなくした。

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