phase2.2

 ダークマターには、本社が七社ある。その七社を、セプテット・スターがそれぞれ運営するのが本来のセプテット・スターの業務内容だ。


 また有事の際、本社の中でも一番目、第一本社に集まり、セプテット・スター全員で問題を解決するというのが鉄則となっている。 


 ハルの逃亡という現在の状況はまさに、その「有事の際」の渦中にあった。


「ビーナス、この前死にかけたんだって?」


 揶揄の意を込めた声で笑われた彼女は、机に伏せていた顔を上げ、すぐ傍に立っている狐目の男を睨み付けた。


「……うっさい。一体誰の尻ぬぐいだと思ってるの」

「でもすれすれだったんだろ? ドジにも程がある……!」


 ひぃひぃと笑い出したマーキュリーの足を、ビーナスは穿いていた靴で力の限り踏みつけた。


「痛い!」

「貴方ちょっと黙ったほうが身の為よ」


 ただのヒールも、使いようによっては凶器に変貌する。踏まれたほうの足を引きずりながら、マーキュリーは一歩分身を引いた。


「お前俺が撤退して戻ってきたとき、マーズと一緒に散々なこと言ってきたじゃないか! ろくでもないだの馬鹿だの使えないだの何だの……」

「それの仕返しのつもり? 相変わらず器の小さい男ね。そんなだからたかが子どもに二度も負けんのよ」


 はっと笑ったビーナスに、マーキュリーは慌てて弁解した。


「あの時は本当に予想以上で!」

「要するに舐めてかかったってことでしょ。危機管理能力足りてないんじゃないの? 私はちゃんと計画立てて向かったからね。どんな不測が起きてもいいように、ありとあらゆる事態を想定して」

「で、尻尾巻いて撤退したと。ビーナスが」


 指された指を鬱陶しげに払いのけ、ビーナスは再び顔を伏せた。


 今日の会議は散々だったと、重苦しく息が吐き出された。卵は見つけたが回収できず、ハルの姿も拠点も影すら見つからず、ただ地球に行って戻ってきただけに終わった。何の成果も上げることなく。

覚悟はしていたが、案の定責められたし説教もされた。マーキュリーの時のように仕事への制限はかからなかったが、それでもプライドはずたずただ。ただでさえ失敗して帰ってきてすぐで、精神的にぼろぼろだというのに。


 瞼の裏に、先程の会議でビーナスを叱りつけた張本人の姿が浮かんだ。


「知ったような口を叩いて! 何がお前にはちゃんと物事をやり遂げようとする信念があるのか、よ! 余計なお世話! 何も知らないくせに!」


 あの濃い紫の髪色が鼻につくというものだ。顔を上げて目を開けても、なかなか消えてくれない。


 だん、と握り拳で机を叩くと、置かれていた書類の山が少しだけ浮かび上がった。会議終了後、その書類を全てよく読み込んでおけと命じられており、ビーナスは一人会議室に残っていた。


「ほら、そんなに怒るなよ。怒るとあれだ、元の性格のきつさが更に表に出て……」


 今度は更に力を込めて、かかとが落とされた。足を抱えて座り込むマーキュリーに、蔑んだ視線が送られる。と次の瞬間、ふいにその目が少しだけ和らいだ。


「ビーナスちゃん!」


 ぱっと聞いただけだと、男性のものにも聞こえる低めの声。ドアが開かれ入ってきたその人物に、ビーナスは軽く手を上げた。


「気になって見に来たんだ。……まさか居残り? 凄い数の書類……」

「違うわよ、なんか部署に戻る気になれなくて。それに書類はしょうがないわよ、私の失態だし」

「あたい、言ってきてやろうか?! サターンに文句!」

「平気よ、マーズ。それにあなた、さっき会議でいっぱい私のこと庇ってくれたもの。充分よ」


 マーズはまだ何か言いたげだったが、「わかった!」と頷いた。真っ赤なショートヘアーが、炎のように揺れた。


「毎度毎度思うけど、なんで二人はいつも俺にだけ態度違うの?! こうしてうずくまってる俺には何か言うことないのかマーズ?!」

「あ? 邪魔」


 足を押さえていたマーキュリーの手が、胸に移動した。


「ひどいのよ、マーズ。マーキュリーってば、私にひどいことばかり言ってくるの……」

「なんだと?!」


 マーズのつり目がちの目が更につり上がった。


「上等だ、面貸せ!!!」


 胸ぐらを掴み、強引にマーキュリーを立たせる。どすのきいた声音と深紅の瞳が相まって、恐ろしいくらいの迫力がかもし出されていた。


「ご、ごめんなさい……」

「謝る相手が違うだろ!!!」

「ビ、ビーナス、ごめんなさい……」

「……マーズ、許してあげて」


 ふんと鼻息を吐かれながら、マーズの手は離された。マーキュリーはぜいぜいと呼吸を整えながら、乱れたスーツを直す。首元をしきりにさするその様を、女性陣二名は馬鹿馬鹿しいといった目でしか見ていなかった。


「ああもう理不尽……」

「いつものことでしょうが。いい加減諦めなさいよ。そういう運命なのよ、あなたは。私とマーズの近所に生を受けてしまったその時からね」


 マーキュリーは何か言いたそうに口を動かしていたが、結局うう、という声を漏らしただけだった。


「マーキュリーよ、あたいずっと言いたかったんだけどさ。あんた、どうして最初は正体隠してたんだい? もうダークマターのこととかは全部教えられてんだろうしさ、堂々と名乗ってやれば良かったのに。せこいんだよ、いちいち!」

「いやいや、ビーナスも同じことしたからね!」


 どすのきいた声を発せられながら距離を詰められる。情けなくも後ずさりしながら、マーキュリーは大急ぎで弁明した。


「あ、そうか。ねえビーナスちゃん、どうして?」


 打って変わって逆に媚びを売るような甘い声になったマーズは、マーキュリーの時とは違った意味で、ビーナスに近寄った。


「ダークマターのこと知ってる星ならそれだけで効き目ありそうだけど、あの星にはねえ……。正体隠して、上手いこと丸め込む作戦に出ることにしたのよ」

「やっぱりスムーズに事が済むならそれが一番じゃないか」

「上手いこと言いくるめて、すんなりとHALを見つけて捕らえたらそれで全部完結するじゃない」


 突然ぶふっと、空気が漏れる音にしては妙な音が、辺りに鳴った。


「なによ?」

「い、いやさ。報告書ちらっと読んだけどさ、遂にビーナスもあんなに小さい子どもに色仕掛けをするなんてな……!」


 また笑い転げそうになったマーキュリーだったが、マーズに鋭いガンを飛ばされ呑み込んだ。


「あんなの色仕掛けじゃないわ。ただの挨拶よ挨拶。色仕掛けなんてあの歳の子にしたら私が捕まるわよ。というか嫌よ。それにしたっていくら耐性がついてなさそうだったとはいえ、あんなにころりといくとは思わなかったわ……。呆気なさすぎて逆に罠かと疑ってしまったわよ」

「俺の時もそうだったわ。上手くいかなかった時に備えて色々プランは練っていったけど、全然必要なかった。あの子達がちょろいのかあの星の住民全部がちょろいのかどっちなんだろうな」


 でもよ、とマーズが二人の顔を順番に見た。


「そういう手段使えるのってさ、一回こっきりだよな? 上手くいけば一回ですむけど、失敗したらもう同じ手は二度と使えないよな?」

「そうなんだよ……。二度とも途中まで上手くいってたから、いけるって確信したんだけどな……」

「最後の最後で……。とんだ変化球よね。あの星の住民、勘だけは鋭そうよね。面倒臭いし忌々しい」


 お手上げだ、とマーキュリーが両手を上げ、ビーナスが苦い顔をする。


「だったら堂々と真正面きって勝負すれば良いんだよ! 騙すとか隠すとか無しでちゃんと名乗ってさ!」


 ばあん、とマーズがビーナスの机を両手で叩いた。派手な音が鳴り、ばさばさと書類が床に散らばる。


「あんまり大きなことは出来ないわよ? 宇宙法や周囲の目もあるんだから」

「ダークマターのセプテット・スターが一惑星の子どもをボコボコになんて知られたら、会社の評判、がた落ちも良いところだぞ……」

「だからってちまちまロボットだの策略だのなんだの使ってる暇あるか! 別に子どもの命を奪うつもりは毛頭無いさ。ただ、そんなに強い相手なら俄然興味があるってだけだ」

「強いのは力じゃなくて運だけよ。ということは、次はマーズが……?」

「ビーナスちゃんの仇、ちゃんととってきてやるからな!」


 どん、と自分の胸を拳で叩くマーズに、ビーナスは不安げな目線を送った。

 その時。音も無く、会議室のドアが開けられた。

三人がそちらを見ると、ドアの向こうに人影が立っていた。


「早く退出をお願い致します。この会議室は、貴方方三名の為だけのものではありません。セプテット・スター七名の為の、超重要会議室です」


 基本大人しかいないこの社内ではかなり目立つ人影。注意アナウンスのように、その少女は抑揚無く喋った。


「業務をなされているのではないようですね。でしたら、ご退出を」


 さあ、とドアを開けたまま、その先の廊下に向かって手を差し伸べる。

三人はお互いの顔を見合わせ、少女は三人の顔を順番に視線を送っている。なんの感情も込められていない目に見つめられ続けた三人は、居心地悪げにすごすごと部屋から出て行った。




「最近プルートって、よくいるわよね? 主にサターンの傍に」


 廊下を進みながら、ビーナスは周囲に人がいないことを確認してから、小声でマーズに話しかけた。


「だよね。秘書か?」

「なんかそんな感じはしないな。なんというか、社内をずっと見て回ってるし、色々教えたり教わったりしているようだし。ぱっと見新人研修っぽいな」

「新人研修? なんの? 社員の?」


 自身で言っておいてなんだが、それはないなとビーナスは思い直した。案の定、マーキュリーもいやいやと首を振る。


「それだったらわざわざここまで連れてはこないし、第一サターンが連れ歩いたりしないだろ」

「とにかくなんか苛立つな! お高くとまってる印象があるぜ! こっちのほうが先輩なのに! この前来たばっかのどがつく新人のくせに!」


 だん、と足を踏みならしたマーズの傍を、社員が通りかかった。怯えたような目を向け、早足で通り過ぎていく。縮こんだその背中に、見えていないとは承知の上だが、三人は軽く頭を下げた。


「しょうがないわよ。だって彼女は、プルートは、アンドロイドですもの」


 長いロングヘアーの髪をたたえる彼女は、どこからどう見ても人間にしか見えない。しかし、近づくとわかる。良い感情も、悪い感情も持ち合わせていない、紛れもない無機物なのだと。


「見た目14、5くらいなのに、あれで一年とちょっと前に出来たとかなんか怖いよな、やっぱ」


 マーキュリーは背後を振り返った。視線のずっと先にはさっきまでいた会議室がある。


 アンドロイドなせいで融通は恐ろしくきかないが、作業効率に関しては間違いなく人間を遙かに凌ぐ。ノンストップで延々と書類を捌き続け仕事をする様は、人にはとても出来ない。


「これいっそプルートに幾つか任せてしまおうかしら……。最近休みが少なくて辛いわ……」


 書類の束はとても多く、また分厚い。少しでも気を抜いたら、すぐにばらばらに落ちてしまいそうだ。これら全てを消化できるのに、果たしてどれくらいの労力と時間を消費するのだろうか。


「やめとけ、ばれたら自分の首絞めるぞ……。休みが無くて辛いのは俺も一緒なんだから。ああ全然ゲームが出来てない……」

「別にあなたと一緒でも嬉しくもなんともないんだけど」


 首を落とすマーキュリーには気にもとめず、マーズはビーナスの肩に手を添えた。


「しょうがないよ、あたい達の、この会社のしようとしていることは、よくわかんねーけどすっごい大切ですっごく必要なんだから。じゃ、あたいは準備とかあるから先行くな!」


 大股で走り去る彼女の背中を、ビーナスはどこか遠い目で見送った。


「そうね、しょうがないことなんだけどね……」


 たとえどんなにぼやいても、紙の山が消えるなど起きてくれるわけもなかった。

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