phase3「二人目のセプテット・スター」
「散歩に行くわ!」
孵化器の中を覗き込んでいた美月が声高らかに叫んだのは、それから翌日のことである。
ココロは、まるでハルの気持ちを代弁したかのように、目を大きく見開いてぱちぱちと瞬かせた。
「そうか。行ってらっしゃい.。一人で平気か」
「違う違う、この卵と一緒によ」
見送ろうと振っていたハルの手がぴたりと止まった。どういうことかと聞かれる前に、美月は「抱っこ紐ちょうだい!」と両手を突き出す。
「よくよく考えたら、ずっと孵化器の中にいるのも体に悪いんじゃないかなって。外に出てお日様の光浴びたら、気持ちよくなって出てくるかも」
昨日の一件で、ただ不安がるのではなく、とりあえず思いついたことを片っ端から試していってみようと決めたのだ。
家に帰ってきた後、美月は何をするべきかずっと考えた。
そこで思い出したのが、ハルの言っていた説明である。
本来、この卵は産み落とされたままの状態で孵化ができる。ということは、ちゃんと温める必要はない。
むしろ今のままでは逆効果では。外に出したほうがいいのではないか。
普通の卵だと美月の考えは間違っているが、この卵は宇宙生物が産んだ卵である。
地球の常識とは切り離して考えるべきだろうと、美月は動かない卵を見て思ったのだ。
ハルから抱っこ紐を預かり、装着するのを手伝ってもらった。
ココロを時々抱っこしたことはあるが、こういう抱っこ紐をつけたことは今までに一度もない。
卵を抱きかかえた訳だが、変に緊張して、足が石のように硬くなってしまった。
棒立ちをしている体とは裏腹に、腕だけは無意識の内に移動をし、卵を抱えていた。
緊張するなあ、という声がひとりでに漏れる。
「でも、これでちょっとでも孵化する可能性が高まるなら!」
「ミヅキ、私達もついて行こうか?」
美月は首を振った。
ココロがもうすぐ昼寝をとる時間であること、その間ハルが宇宙船の修理をしたいであろうことを、ここ数日で知っていた。
「もうちょっとしたら雨が降るみたいな予報出てたし、少し歩いたらすぐ戻ってくるよ」
「そうか。気をつけて行ってらっしゃい」
美月はしっかりと卵を抱きしめると、手を振って見送るハルを背に、宇宙船を出た。
空は確かに晴れていた。しかし、いつ曇りだし、泣き出すかわからない危うさを持っていた。
白い雲が緩やかに流れていくが、それがいつ黒い雲に変化するかはわからない。
散歩は、少しの時間にとどめておいたほうがいいだろう。
船のスロープの上で美月は空を見、うんと頷く。
腕の中にいる青白く輝く物体は、形こそ卵だが、色や大きさなどから、地球にある卵にはとても見えない。
もし誰かに見られたら、騒ぎになることは間違いないだろう。
そうならなかったとしても、石を抱っこ紐で抱えている中学生だなんて、どんな目で見られるだろうか。
美月は考え、森の中を歩くことにした。
落としたら、全てが終わる。
そんな恐れからか、気づけば美月はいつもの自分とはとても考えられないほど、ゆったりとした足取りで歩いていた。
ぎゅっと力を入れたいのは山々だが、入れすぎて割れでもしたらと思うと、あまりきつく抱きしめることもできない。
これくらいの力加減で良いのか、歩きながらあれこれと悩んでしまう。
木の下を通ると、太陽の光が隠れたり現れたりを繰り返す。
木漏れ日が美月の姿に、そして卵に陰影を作る。
まるで、卵に模様が描かれたようだった。
消えたり現れたり、ふわふわと形の定まらない模様を見つめながら、美月は風の赴くままに足を進めた。
暖房器具の持つ暖かみとは、似ているようで全く別の温もりがある。
生き物の体温というのは、ずっと持っていても冷たくならず、むしろこちらがどんどん暖かくなっていくものなのか。
初めての感触に、美月は胸の底から何か不思議な気持ちが沸き上がってくることに気づいた。
いつもハルはココロを抱っこしている時、こんな暖かみを感じているのか。
だが段々と重くなってくるし熱くなってくるしで、美月だったらとても、ハルのように平然と抱っこし続けてはいられない。
山を抜け出て、そのすぐ近くにある小高い丘につくや否や、美月は腰を下ろした。
そろそろ肩が限界だった。じわりと額に滲んだ汗を、片方の手で拭う。
ちょうど良い具合に、風が吹いた。
風が吹くとき、それはただ吹いただけの時もあれば、不吉なものを連れてくる時もある。
果たして今の風は、どうなのか。
やや冷たい風を肌で受け、心地よさそうに目を閉じる美月には、わからなかった。
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