phase1.1
美月と穹は大きく後ろに飛ばされた。揃って綺麗に尻餅をつき、そのまま背中から倒れる。
ハルも後退したが、両足を踏ん張って転倒を耐えた。
深く抱きしめられているココロは、ぐずるよりも前にぽかんと魂が抜かれたような目をしていた。
美月も穹も、同じく生気の感じられない表情をしていることだろう。
机の上に並んでいたカップは軒並み割れ、中身のお茶は零れ、破片と共に床に散乱している。
他にも小さな家具などは倒れ、大きく重さのある家具も場所がずれたりなど、清潔を地で行く室内は、あっという間に乱雑そのものと化していた。
美月は顔を上げた。天井に穴が空いている。直径30cm程の穴だ。
青空が、顔を覗かせている。凪いだ海を往く船のように、雲は少しずつしか動いていない。
ちょうどその真下からは、しゅうしゅうという音が聞こえていた。
美月と穹、ハルの間に、煙を上げている物体が割り込んでいる。
天井の穴と同じくらいの大きさ。青白く輝く石のようなものが、静かにそこに鎮座していた。
床にめり込み、その物体の周りにはヒビが入っている。
その場にいる誰一人として、声を上げなかった。あまりにも静寂すぎて、“これ”がずっと昔から、ここにあったかのような貫禄を纏っていた。
むろん、偽のオーラはすぐに薄れる。
次の瞬間、主に美月と穹によって、宇宙船内は軽いパニック状態に陥った。
「てっ、敵だ!!! 敵の攻撃だよ姉ちゃん!!!」
「ダッ、ダークマターね!!! ようし、見てらっしゃい!!! インカムのある私と穹なら簡単に一発で……!!!」
「ちょっと、そうやって油断してたらまたピンチになるよ!!!」
「と、とにかく出てきなさい!!!」
唯一口を開かなかったハルのみが、ココロを離れたソファに移動させ、石にゆっくりと近づいていた。
最初は見下ろしていたが、ゆっくりと膝を折り、石をぐるりと見つめる。
「これは……」
待て、という静かな声は、大騒ぎな姉弟に届くはずもなかった。
「なかなかダークマター来ないね!!!」
「こっちから行くわよ!!!」
ぐるりとリビングのドアに体を反転させ走り出す体勢を取った二人に浴びせられたのは、強いハルの声だった。
「ミヅキ! ソラ!」
母親に叱られたときのような強い衝撃を受け、はいっと二人は止まった。
ハルの姿が、一瞬だけ浩美と重なって見えた。
「敵襲ではない。これは、卵だ」
「た、卵?」
二人分の声が重なる。穹はその場にいたままだが、美月は少しだけその物体に近づき、上半身を傾け覗き込んだ。青白くきらきらと輝くその様は石にしか見えないが、確かに形は地球の卵のように楕円形をしている。
「宇宙生物……。地球の言語でなら、プレアデスクラスターという生物の卵だ」
知ってるかと、美月は穹の目を見た。穹は何も言わずに首を左右に振った。
美月も、もちろん聞いたことが一切無い名前だ。
「特定の住処を持たず、宇宙空間を飛翔する宇宙生物。普段は群れで行動しているが、産卵期に入ると様々な星に、一匹につき一つだけ、卵を産み落とす。卵から生まれた子どもが大人になると、自力で宇宙に飛び立っていくという生態を持つ」
図鑑に書かれている説明文をそのままコピーしたようなハルの説明を聞いても、そもそもその生き物のことを全く知らないので、二人ともぴんと来なかった。
「敵じゃないのね?」
「そうだ」
「あ、危ない生物じゃない?」
「ブレスは物凄く強力だが、荒い性格では無いので怒らせさえしなければ平気だ」
ええ、と穹は固まった。ちなみにどれほど強力なのかと聞いてみると、個体によって差はあるようだが、大人だと普通に星一つは消し飛ぶらしい。
穹はたちまち青ざめ、その場から二、三歩下がった。
一方、美月は興味深げな顔を浮かべたままだ。怖いことは怖いが、それ以上に気になる。
ココロがこの卵に手を伸ばしているのを見る辺り、恐ろしいものではないようだ。
「それ、どうするの?」
部屋の隅っこにいる穹が、卵に指を指す。
「生命力は高いから、放っておいても勝手に孵化はする。だが……」
「育てよう、ハル!」
美月は煙が治まった卵を静かに抱きかかえた。
熱くはない。だが、冷たくもない。ほんのりとした暖かさが、皮膚を通して伝わってくる。殻のすぐ内側に生命が眠っているとわかる、生命の温もり。
「ほ、本気?!」
「もちろんだよ。孵化させてみよう! それに、もし無事に孵って懐いてくれたら、凄く頼もしい仲間になるじゃない!」
ダークマターというところは、実に大きな組織だと聞いている。そんな相手に対して、こちらはたったの4人しかいない。対抗するためには、量を増やすか、それを遙かにカバーするだけの質を上げるしか無い。
「どう、この見事なまでの作戦!」
美月が自分のこめかみを指で叩く。そんなに見事じゃないけど、という穹の声は、あえて耳に入れさせないことにした。
「ふむ。ミヅキの言うことにも一理あるな。戦力云々は置いておいて、ここで放っておくメリットはあまり無い。放っておいていたら、それだけ孵化に失敗する可能性も高まる。私もプレアデスクラスターのデータはそんなに揃っていない。彼らの生態を知る、良い機会にもなるね」
「決まりー! 楽しくなりそう!」
落とさないように抱きかかえながら、その場で軽く跳んでははねる美月に、穹はあああと両手で頭を覆った。
「ん~、美味しい! ってなんで穹ふてくされてるのさ。こんな美味しいもの食べてるのに」
その日の夕食に、源七の作ったウズラの味付け卵が出た。
よく味が染みており、卵も半熟で実にちょうどよい。口の中でとろける感触は、まさしく絶品としか言いようが無かった。
頬を抑える美月の隣で、穹は機嫌が良いとは言えない顔をしていた。
「だって、また姉ちゃん懲りもせず後先考えずに首突っ込んでさ……!」
宇宙船から戻ってきたときから穹はこんな感じだったのだが、今の小さく発せられた台詞を聞いて合点がいった。
美月も同じく小声で、「良いじゃん、面白そうだしさ」と弁明する。
納得してくれるはずも無く、じとっとした目を向けてきた。
美月はさりげなくその視線を交わしながら、「おじいちゃん、これ美味しいよ!」と、小声で会話をしていたことを打ち消す勢いで、大きな声を出した。
「そうか、それは良かった。また作るからな」
美月は頷き、箸でつまんだ卵に目を落とした。
これとは違う、空から降ってきたあの卵は、とりあえずハルの宇宙船内に置いておくこととなった。
美月達の家に持って帰るという方法も一瞬考えついたのだが、穹がそれだけは断固阻止するという凄んだ雰囲気を出してきたので、それは無くなった。それにもともと、その方法はリスクが高い。
卵を孵らせるための孵化器を作ってみるので、また明日来るようにと、ハルは別れ際にそう言った。
「でも、孵化ってどうすればいいんだろう?」
そのことを中心に考えていたせいで、意図せずに脳内の言葉が口をついて出てしまった。
「え、急にどうしたの?」
浩美が怪訝そうに聞いてくる。
美月は慌てたが、宇宙生物云々のことはもちろん全て隠して、素直に卵を孵化させる方法を考えていたんだけどと言った。
「温めるだけでいいのかな、他にしたほうがいいことってあるのかなって」
箸でつまんだままの煮卵を、家族全員に見えるように持ち上げる。
「もちろん、人肌より少し高めに温めることと、あとは確か……」
「湿度も高くないといけないんじゃなかったか? あと、数時間おきに転がすと良いらしいぞ」
浩美の説明に、弦幸が補足する形で付け加える。
「うむ、転卵じゃな」
「ええ、転がすなんて初めて聞いた!」
「親鳥に温めてもらっている状態。自然に近い形に、一番近くするためじゃろうな」
うんうんと頷く源七に、そうなのか、と穹ですらも感心していた。
一方で美月は、まだつまんだままの卵を見つめていた。
親鳥。あの卵の親は、どこに行ったのだろうか。今どこにいるのだろうか。
ふいに、そんなことがよぎった。
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