phase1.2

 翌日。

ハルの宇宙船に行った美月と穹は、リビングのドアを開けるなり目を見開く事態となった。


 部屋に入ってすぐ。ちょうど中央に、1m程の高さをした、黒い筒状のものが鎮座していたのだ。


 筒にはパネルやキーボードがついてあり、そのパネル上には温度と湿度らしき数字が表示されている。

上方は透明のドーム状をしており、中には布の上に置かれた卵が入っていた。

淡い青色を発光しているそれは、入っている機械も含め、異様な存在感を放っていた。


「どうだ、私の作った孵化器は」

「なんか、凄そうってことしかわからないんだけど」

「僕も、同感」


 素直な二人に対して、ハルに抱っこされているココロは、機械に向かって興味深げに手を伸ばしている。


「これは、プレアデスクラスターの卵が孵化するのに最適な温度と湿度を保ったままでいられるんだ。更に、自動で転卵もしてくれる」


 孵化器をまじまじと見つめる美月と穹の横で、さて、とハルは天井を見上げた。


「私は、この宇宙船に開いた大穴を塞いでしまわないといけない。直すまでの間、ココロのことを見ていてはくれないだろうか?」


 頷いた美月にハルはそっとココロを渡すと、部屋を出て行った。


 天井には、依然として穴が空いている。応急処置なのか、ハルがかけたらしい布が被せられているが、その隙間からは風が吹き込んできていた。

穴を開けた張本人は、カプセルの中で静かに眠っていた。


 やがて上からゴトゴトという音がしてきたかと思うと、布が取り外され、穴の向こう側に青空と、ブラウン管テレビが顔を覗かせた。


 下から見上げてくる美月や穹に、ハルが危ないから下がっていなさいと、器具のようなものを手に持ちながら言う。


 二人が下がったのを確認すると、ハルは手を動かし始めた。レーザーを照射する音や、ウィーンというドリルか何かを回す音などが聞こえてくる。


 その音に混じって、別の機械音がすぐ隣から聞こえてきた。


 何事かと二人が目をやると、孵化器のドーム状の部分が回転をしていた。

パネルが点滅し、中の卵が90度にぐるんと転がる。


 まるで工場のような動きだ。

カプセルの中でぼんやりと輝く卵が、一瞬無機物で出来た物に見えた気がした。

例え今は本当の卵であったとしても、いずれ作り物と同じようなものになってしまうのでは。


 ふいに美月は背筋が一瞬だけ冷たくなった。


「ねえ、穹。転卵は、私達の手でやったほうがいいんじゃないかな?」

「えっ?」


 穹は眉根を寄せ、姉の顔と卵を順番に見た。


「どういうことだ、ミヅキ?」


 工具の音が止まり、ハルが上から声をかけてきた。


「大体、卵って親に温めてもらうでしょ? でも、この卵は、ひとりでどこかの星にやってきてひとりで旅立っていく。そうだったよね?」

「そうだ。それが、この生物の一番の特徴だ」

「うん。それで、せっかく出会えたわけだし、私達が親代わりになるっていうのはどうかな? 親鳥が温める代わりに孵化器を使う。せめて転がすだけでも親鳥のように、自分達の手でしてあげられないかなって」

「いや、このプレアデスクラスターは、そもそも産まれた時から親が子を育てない生態を持っているんだ。だからミヅキの提案は、あまり意味を成さないと思うぞ。正直、労力と時間の無駄だ」


 うーん、と、美月はカプセルに手を当てた。でも、と首を横に振る。


「こういうのって、面倒臭くても、大変でも、手作業のほうが、気持ちが伝わるんだと思うんだ」

「気持ち……」


 そうかなあと穹が腕を組む。その表情からして、あまりぴんときていないようだ。

だが反してハルは、わかったと了承した。


「転卵の機能は外しておくよ。私も、私の手で転がすようにしよう」


 ありがとう、と笑う美月に、「それに、“気持ち”がどう作用してくるか、興味をそそられるからな」と続けた。


 ココロは美月の腕の中から手を伸ばし、カプセルに当て、撫でるように上下に動かしていた。

美月も同じように、カプセルを撫でた。

そんなはずは無いのに、ほのかに暖かいような気がした。









 わざと存在を知らせるように、靴を大きく鳴らして進む人影が一つ。

その後ろを対照的に、静かで控えめに、あまり音を立てず、滑るように移動している人影が一つ。


 どちらも人が歩く音にしては、あまりにも単調で機械的な足音だ。

歩く、ただそれだけをプログラムされているロボットのように。


 そんな二つの影が進んでいるのは、なんの飾り気もなければ面白味も無い廊下だった。


天井も壁も床も、一切のしみ一つ無いし、その隅には埃一つさえ落ちていない。

それは確かに清潔と言えば聞こえは良いのだろうが、それすらも通り越して、むしろ病的と呼べる程だった。


 足音の大きい方は、この空間を心から気に入っていた。余計なもの、無駄なものが何一つ無いこの場所を。

 けれども、感慨に浸る素振りは少しも見せない。

真っ直ぐな廊下を、黒い瞳が真っ直ぐに見つめ、真っ直ぐに進むことを止めない。


 やがて、灰色の大きな扉が行く手を遮った。付属品の如く、その手前の壁には差し込み口と、1から0までの数字のパネルが表示された液晶画面がくっついている。


 足音の大きい方は歩を止めると、差し込み口にカードを入れ、流れるような動作で数字のパネルを幾つかタップした。

ピッという甲高い音がした直後、扉が左右に開かれる。


 二つの人影は、扉の向こうに足を踏み入れた。



「サ、サ、サターン様っ?!」


 扉のすぐ近くにいた男性職員は、入ってきた人影を見るなり裏返った声を上げた。

ばさばさと、持っていた書類が散らばる。

手をもたつかせながら、それでも拾おうと屈み込んだ彼に、サターンは簡潔に「ここの部長はどこだ」と低い声で尋ねた。


「は、はい。奥におります」


 そうか、と短く返し、ずんずんと突き進んでいった。

職員は呆けて、彼の深い紫色の髪を見つめていたが、思い出したように一礼をした。


 それなりに広い部屋の中には、ぱっと見ただけではどういう構造と仕組みを持っているのかわからない複雑な機械類や、パソコン機器等が立ち並んでいる。


 その中を、白衣姿をした職員が2、3人で固まり、小声で専門用語が多分に含まれた話を繰り広げていたり、一人で黙々と作業をこなしていたりと、とにかくこの部屋は割と静かであった。


 そこが、にわかに緊張感を帯び始め、張り詰めたような空気で満たされた。

職員らは部屋の中央を堂々とした足取りで縦断するサターンに、畏敬や好奇、戸惑い、わずかの恐れといった感情の存在する目を、遠慮がちにちらちらと向けた。


「久々に本人を見たな……」


「まさかここに来るだなんて」


「セプテット・スターのリーダーが」


「ここには、まず滅多にこないのに」


 嫌悪は持たれてないが、好意も無い。


遠くからひそひそと聞こえてくる声や数多くの視線に反応を返しているのは、サターンの後ろをついていく人影だけだった。

 何度も左右に首を振るのを繰り返し、その先にいる人間の顔を順番に見ている。

全て吸収し、吸引せんばかりの勢いで。


 部屋の一番奥。白い文字が表示されている、青いホログラム画像が大きく浮かび上がっており、その正面に複数人の白衣姿の人影が集まっていた。

近づいてきた足音に振り向いた人々は、その主を見るなり、瞳を大きく見開かせた。


「サターン様?!」

「どど、どうされましたか?!」


 職員の慌てふためく声などまるで聞こえていないようだ。意に介さず、真ん中にいた壮年の男性に、サターンは真っ直ぐな目をぶつけた。


「お前が、ここの部長だったな」

「は、はい。そうですが……」


 若さの名残すら消え、年齢の重なりが顕著に表れている部長は、皺の刻まれた顔を下げた。


「この研究所のそれぞれの部門。そこの部長や責任者を集めての会議が、一週間後に行われることが決定した。急ですまないが、今後のこの星の行く末にも加わってくる大事なことなので、なるべく出席してほしい」

「えっ、その為に……?」

「時間厳守なので、ご注意を。詳細は、書類を参考に。……プルート、書類を」

「は、はい!」


 サターンにつき、ずっと背中の向こうにいた人影が、静かに現れた。


 長く真っ直ぐな黒髪を携えている彼女は、まだ10代前半か後半か、というくらいの見た目だった。


 だが、この年頃の子によくあるような、生き生きとしていて世間知らずで青い、という雰囲気は微塵も感じられなかった。

むしろ逆に、仙人か何かのように、恐ろしいまでに落ち着き払っていた。

口は一文字に結ばれており、藍色の瞳には、何の感情も灯されていない。


 抱えている書類の一枚を抜き取り、部長に手渡す動作の一つ一つは、非の打ち所のないほど全く無駄が無かった。


「議題は書かれてある通りだ。長丁場になることが予想されるので、その準備もしておくよう」

「ああ……」


 書類に書かれてある文字を読んだ部長は、納得したように深く頷き、苦い顔をした。


 ずっと世間を、この星を騒がせ続けているあの問題。


ついに進展があったかと思いきや、予想外のことが立て続けに起こり、信じがたいが後退する羽目になった。

ダークマター本社がここに訪れ、このような会議をすることも頷ける。


「では、他の部門も回らないといけないので、失礼。……ああ、そうだ。何か変わったことは無いか? ほんの些細なことでも構わない」

「いえ、特には……っと、そうでした。この件とはなんら関係無いとは思うのですが、実はちょっと気になるものを観測致しまして。……君、あの画像を」

「は、はい」


 呼ばれた職員の一人が、緊張気味のせいか震える手で、カタカタとキーボードをタップする。


タンッと小気味よく決定キーを叩いた直後、目の前のホログラムに、新たな画像が追加された。


 幾多もの星が浮かぶ、宇宙空間内。その中央に、小さな白いもやが、映り込んでいた。


「これは……?」

「プレアデスクラスター。天狼目星竜科星竜属に分類されます。特定の巣を持たず、食糧、環境、繁殖などの事情に応じて宇宙空間内を飛翔し移動し続けるのが特徴です」


 一瞬だけ眉根を寄せたサターンに、じっと画像を見つめていたプルートが即座に説明を入れた。部長は首を縦に振った。


「そうです。遠いのではっきりとはわかりませんが、恐らくこれはプレアデスクラスターです」

「確かに珍しいが、それがどうしたというのだ?」


 壁にかけられている多くのモニター画像には、それぞれに様々な場所にある様々な銀河系の姿が映し出されている。


 回数こそ少ないが、宇宙空間内を飛ぶプレアデスクラスターの姿をその画面に収めたことも、一度や二度ではない。


「問題は場所です。このプレアデスクラスターが飛んでいった方向なんです。この時プレアデスクラスターは、天の川銀河のある方角に向かっていきました」

「天の川銀河というと……」

「はい。あの星があります」


 サターンは目を閉じ、腕を組んだ。徐々に、眉間に皺が寄っていく。


「もちろん、それが今回の件とは関係無いとは思いますが、時期が時期なだけについ気になってしまいまして。それに今、プレアデスクラスターは産卵期です。画像をよく見て下さい。ほのかに青い光が混じっているのがわかるかと」


 よく目を凝らさないとだが、確かに白いもやの真ん中辺りが、ぼんやりと青く光っているのが見える。


「今まさに、どこかの星に卵を産んでいる最中だと思われます。あの星に産んでいたとしても、不思議ではありません」

「サターンさん。これは、今回の件とは全く関係ありません。関連性が無いという演算結果が出ました」


 無機質に言い放ったプルートの言葉に、「そ、そうですよね、申し訳ありません」と、たじろぎつつ部長が深々と頭を垂れた。


「……いや」


 サターンのまぶたが開かれ、漆黒の瞳が顔を覗かせる。


「プルート。プレアデスクラスターの性質は?」

「凶暴性はありません。ですが星一つ粉々に打ち砕く、強力なブレスを吐く事が出来ます。幼体であれば威力はだいぶ落ちますが、侮れません」

「……危ないな」

「何がでしょうか?」


 サターンはそれには答えずに、「情報をありがとう、感謝する」と職員達に向かって、綺麗な角度でお辞儀をした。

 あまりの恐縮さに慌てる彼らを制すと、それでは、と再び浅く頭を下げ、翻った。


「サターンさん?」

「詳しい事は明日の会議で話す。今はここを回ることが先決だ」

「了解致しました」


 サターンとプルートはもう一度灰色の扉をくぐり、その先に消えていった。 

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