Chapter4「喧嘩のあとは」
phase1「決意……」
それから三日が経過した日のこと。
自室にいた美月は穹に呼び出され、部屋を出るなり手に何かを押しつけられた。
見ると、それは穹のコスモパッドだった。
美月は困惑したような目で、穹とコスモパッドを交互に見た。
穹は、「姉ちゃん」と厳しい目を向けてきた。
「これを、ハルさんに返しにいくんだ。もちろん姉ちゃんの分も一緒に」
言っている意味をすぐに飲み込むことができず、美月は目を白黒させた。
窓から漏れる光がコスモパッドの液晶画面に反射し、目に届く。逃れるようにして、穹はまばたきした。
「姉ちゃん、また迷いだしてるでしょ? それじゃダメだ。ちゃんと決めないと。迷いを断ち切るためにも、けじめはつけないといけない」
美月は嘘がばれた幼い子どものように、ぎくりと体を震わせた。
心臓の鼓動が大きくなる。思わず、手の中にあるコスモパッドを軽く握りしめる。
その姿を見た穹は、小さく息を漏らした。
「人助けしたいって思うことは、悪いことじゃないよ。でも、それで自分も相手も危険な目に遭って結局どっちも助からなかったら、元も子もない。 姉ちゃん自身が体験したでしょ? あのロボットの強さ。それを忘れちゃダメだよ」
じゃ、と短く言い残して、穹は去って行った。
その場に残された美月は、ただその場に棒のように突っ立っていた。
(穹があんなにも鋭かったなんて)
美月の心臓は、今も騒々しくバウンドしている。
穹の言葉通り、美月にはまた迷いが生じ始めていた。
自転車のペダルを踏んでいる時、次の授業の教科書を取り出す時、トイレのドアを開ける時、ごはんを噛んで飲み込む時、シャンプーを泡立てている時、眠りにつく寸前の時……。
日常生活を普通に送っていると思っていても、その瞬間瞬間、ことあるごとに脳裏をよぎるのだ。
本当にこれで良いのだろうか、と。
あの時味わった恐怖心が薄れていくと共に、このような迷いが生まれてきたのだ。
喉元過ぎれば熱さを忘れるのことわざ通りだった。
穹に、その迷いは見透かされていた。ずばり言われてしまった。
美月は部屋のドアを閉め、机の引き出しを開けた。
その奥に、美月のコスモパッドがある。あの日以降、美月も穹もつけていない。
たったの三日ぶりとはいえ久しぶりに見るそれは、懐かしさすら覚えた。
だが。美月はパッドをつけることなく、穹の分と一緒にしっかり握りしめた。
確かに穹の言うとおりだ。
助けようと飛び込んでいく。でも、自分も相手も助からなかった。
そんな共倒れのような結末では、意味がない。
あのロボットは、美月も穹もまるで歯が立たなかった。ハルの機転で、やっと逃げ出すことができたのだ。
自分と穹では、ハルとココロを守ることはできない。あまりにも力不足だ。
もっと、他に強くて頼もしい人にお願いするべきだ。
他力本願で、正直申し訳ないと思う。情けないとも感じる。しかし、自分達ではどうしようもないのだ。
美月はトートバッグを掴むと、その中に二つのコスモパッドを入れた。
真っ暗な液晶に、うっすらと自分の顔がうつっていた。
この三日間、ロボットが襲ってくることもなければ、ダークマターの一味らしき者が美月達の前に現れることもなかった。それが逆に、不安をかきたてられた。
なぜ襲ってこないのか。現れないのか。
罠でないとするならそれはつまり、理由がないから。
理由とはつまり、追っている存在……ハルを捕らえたということになるのだろうか。
裏山までの道中、美月はずっと胸がざわざわとして落ち着かなかった。
もし、宇宙船が跡形もなく消え失せていたら。その姿を想像すると、心臓が嫌な音を立てた。
ところが、それは杞憂に終わった。
宇宙船は何事もなく、変わらない状態でそこにあった。
ほっとしたのも束の間、美月は自分がどうしてここに来たのか思い出した。
コスモパッドを返す為に、自分はここに来たのだ。
美月は宇宙船に近づいていった。
スロープが出ており、そこを登る間、もうここを登ることはないのだろうと考えた。
スロープだけでなく、裏山にももう来なくなるだろうと。
それを思うと、小さな石が飲み込まれたかのように、心のどこかが重くなった。
だが、もう迷っていてはいけない。
これを返すことは、ハルとココロの繋がりを、完全に断ち切ることになる。
守るものと守られるものという関係性ではないのに傍にいたら、結局どちらにも危険が及ぶかもしれない。
正しくないことなのだろう。後悔するかもしれない。しかし、その後悔の念すらも断ち切らなくてはいけないのだ。
ドアの前まで来ると、それはすっと開いた。美月の来訪を受け入れるかのように。
が、次にここをくぐる時。それが、このドアをくぐる最後になる。
船内は、実に静かだった。廊下を歩く美月の足音だけが響く。
それを響かせながら、ハルは一体どこにいるのだろうと、美月は視線をさ迷わせた。
とりあえず自分が唯一入ったことのある部屋である、リビングルームに行ってみることにした。もしいなかったら、探し回ればいい。
好き勝手に探訪するのは気が引けるが、どうせこれで最後になるのだから関係無い。
リビングのドアの前まで行き、ノックをしようと手を固めたその時だった。
「ミヅキ、か?」
突として、ハルの声が上の方から聞こえてきた。
声のした方に目を向けると、よく見ると天井にスピーカーがついていた。
「どうかしたのか、ミヅキ」
そのスピーカーから、またもやハルの声が聞こえてきた。
美月は何と言って答えれば良いかわからず、今どこにいるの、とだけ、スピーカーに向かって声を上げた。
さすがに今用件を、それもスピーカー越しで伝えることは出来ない。
「書斎にいる。今からそちらに行くよ」
「案内してくれない? 私が行くよ」
別れを告げに来たのに、向こうから来させるのはいくらなんでも無神経だろう。
せめてもの、微かすぎる気遣いだった。
しばしの間があった。一呼吸くらい経った頃だろうか。「わかった」との声が、スピーカーを伝って聞こえてきた。
「ではまず、廊下を真っ直ぐ進むんだ」
ハルの案内に沿って、美月は歩き出した。
ハルは迷わないよう、簡潔に、わかりやすく指示をしてくれている。
美月もちゃんと聞きながら、慎重に歩を進めた。
美月は先程声をかけられた時、即座にまたクリアモードになっているのだろうかと感じた。このようなことは前にもあったので、強い既視感を覚えたのだ。
ハルとココロの姿はおろか、宇宙船が跡形もなく消えている。驚き、呆然としていたら、突如ハルが現れたのだ。
その時は確か、自分がハルに故郷という踏み込んだ話をしてしまい、傷つけてしまったことを、謝りに行ったのだ。ハルは、気にしてない、と許してくれた。
そしてその後だ。ろくなものを食べてないハルに、美月が自分の家のレストランに招いてオムカレーをご馳走したのは。ハルはとても美味しそうに食べてくれた。実に満足げだった。だから美月も嬉しくなったのだ。またご馳走する、そう約束したのだ。
しかし今、美月はハルと、ココロと、繋がりを絶とうとしている。あの約束は、果たされない。
本当に、それでいいのか。
自然と垂れていく頭に、美月は首を振って、その勢いで前を向いた。
もう決めたことだ。意を決したのだ。
そのはずなのに、なぜ自分は、こんなにも迷っているのだろうか。
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