phase4「戦闘終了後」
雨の中を走り、立ち止まった場所は、駅近くにある野菜の無人販売店だった。
籠に入れられた野菜と値札、お代を入れる為の箱が置かれている。
全部木で建てられており、天井の木の板の隙間から雨が入り込んできていた。
それでもとりあえずの雨宿りには申し分ない。
周囲に誰もいないことを確認してから、ハルは美月と穹の手を離した。
瞬間、二人は足下から崩れ落ちた。
「本当にすまなかった」
美月は荒い息を吐く。穹は肩を上下に大きく揺らす。ハルは膝を折り、二人の目線に近づいた。
「あのロボットは、今回完全に戦闘に特化された型だった。しかも、マーキュリー……ダークマターの幹部が使役してきたものだった。水の力で、戦闘力が増幅されるという型だったんだ」
マーキュリーの、雨が降り出した途端に強気なものに一転したあの態度。雨脚が強くなればなるほどあのロボットが強くなっていき、こちらが不利になっていったこと。
ハルの冷静な説明で、全て納得がいった。
「雨……水の力で強くなっているのなら、弱点は電気かと考えた。回路を少しだけ変えて剣に電流を纏わせてみたら、案の定倒れた。あの様子では、しばらくは追ってこないだろう」
美月は胸の部分に手を当て、ベストをわしづかみにした。
今着ているこの服は、美月が本来着ているものではない。持っているものでもない。変身というものをした時に突如として現れるのだ。
隣で穹が、深く息を吐き出し、もう一度吸い込んでいた。
「本当にすまなかった。セプテット・スターの一員がこんなに早く来るだなんて想定していなかったし、あのようなロボットを使ってくるとも思わなかった。分析が遅れて指示が出来ず、ミヅキとソラにとても危険な目に遭わせてしまった。なんと言ったらいいのか。とにかく、本当にすまな……」
「もういいよ」
遮るように、ではない。意図的に、美月は遮った。
次の言葉を言おうと口を開けていたハルは、その形のまま固まり、静かに口を閉じた。
「謝んなくていい。だってハルは悪くないもの」
でも、と美月は顔を伏せる。そのまま、動かなくなってしまった。
「……怖かった」
穹の、蚊の鳴くような声。
雨降る中の狭い無人販売所内では、可笑しいまでによく似合う。
穹は自分を抱きしめるようにしながら、うずくまる。
「もうだめかと……」
美月は自分の体を見た。
不思議なことに、体はどこも痛くなかった。あれだけのダメージを負っていながら、こんなにも早く回復してしまうのは、やはり着ているこの服のおかげだろうか。
しかしこの衣装は、心のダメージまでは回復してくれない。
「今回は大丈夫だった。でも、次は……」
今まで、といってもたったの二回だけだが。その二回が、途中ピンチになりつつも、最終的になんとかなっていた。だから、次も大丈夫だと、勝手に信じ込んでいた。
それが油断を招き、結果崖っぷちまで追い詰められた。もしハルがいなかったら、崖の底に突き落とされていただろう。
美月は改めて、気づいた。
穹が、美月の目を見た。体は震えていたが、その目は恐ろしいまでに真っ直ぐしていた。その裏にある真意が、言葉にしてこずとも伝わってくる。
美月は小さく頷き、顔を上げた。その先にいるハルのテレビ頭を、じっと見つめた。
もう、迷いは無かった。
「ごめん。ハルの頼みを引き受けることは、出来ない」
美月はゆっくりと立ち上がった。目線が移動するように、ハルの頭が動く。
「私も、穹も。毎日毎日、ばかみたいに平和な暮らしを送ってきた。今日みたいな戦いなんて、全然したことないんだ」
美月は傍らにいる穹の腕を取った。穹は何度か力を抜かしながら、どうにか立ち上がった。
「だからね、なんていうのかな。凄い怖かった。今日」
自分でもびっくりするくらい、淡々とした言葉がついて出てくる。
ハルは何一つ言ってこなかった。動くことさえもしない。
「ハル。私も穹も、戦闘には全然向いてないよ。だから」
ごめん。
雨音が強くなった。
雫が販売所の屋根を打つ。その音はとても大きく、断続的に響く。
雨と雨の隙間を縫うようにして、「わかった」という声が聞こえてきた。
その声は小さかったにも関わらず、やけにはっきりと、美月と穹の鼓膜に届いた。
美月と穹は、販売所を出た。
大粒の雨がザアザアと音を立て、地面にぶつかってはねる。
二人は、一度だけ振り返った。
ハルはその場で、ずっと立ち尽くしていた。まだ美月と穹がいるかのように、誰もいない空間をずっと見ていた。俯いているので、表情はわからない。
おんぶされているココロだけが、二人の姿を見ていた。
ココロの、赤いほうの瞳に、美月が。青いほうの瞳に、穹が映っていた。
雨で景色が煙る中を歩く二人は、ずっと無言だった。道中戦闘モードを解除するための台詞を発して以降は、何一つ言葉を交わしていない。
傘は、空き地でのごたごたで、いつの間にか落としてしまった。取りに行こうなどと、考えもしなかった。この先一生、近寄りたくもなかった。
雨が体を打ち付けてくる。しかし、かといって二人は急ぐ素振りも見せず、黙々と足を交互に出していた。
この沈黙を破ったのは、穹だった。伺うように美月の顔を見て、雨音にかき消されてしまわんばかりの小声で、「いいの?」と聞いてきた。
その質問は迷いからというより、美月のとった選択が決定事項かどうか、確認するためのものに聞こえた。
美月は、「いい」と短く頷いた。
穹はどこかほっとしたような顔で、前を向いた。
「危ないとわかっていることに、わざわざ突っ込んでいく必要はないよ」
ぽつりと呟かれた穹の言葉は、一人言なのか美月に向けて放ったのかわからなかった。
だから、美月は黙っていることにした。
危険があんなにも身近に迫ったことなど、なかった。しかもその危険に、美月は自分から突っ込んでいった。
どう動いても、攻撃を弾かれる。防御をしても、痛い思いをする。疲労はどんどん溜まっていき、思うように動けなくなる。
絶望で視界が閉ざされていく一方だった。
そこから生還を遂げ、こうしてあぜ道を歩いている。
夢の中をさ迷っているような気分だった。頭の中は空っぽで、何も思い浮かばなかった。
駅についたとき、ホームの向こうに電車が止まっていた。
電車が発車してしばらくすると、改札の向こうから源七が現れた。
「おお。美月に穹。迎えに来てくれたのか?」
源七は孫二人の顔を確認すると、優しい笑みを向けた。しわくちゃの、二人にとって見慣れた笑顔。
「すまんのう、つい科学館に長居してしまって、電車一本乗り遅れてしまってな……。待っただろう?」
改札口を抜け、近寄ってくる。匂いがした。祖父の持つ、匂いだ。
「む? どうしたんだ二人とも、ずぶ濡れじゃないか」
源七は、二人の姿を見るなり困惑気な声を出した。
持っていた鞄の中からハンカチを取りだし、交互に二人の髪や肩を拭き、雫を払う。
「そのままにしていたら風邪を引いてしまうな。早く帰ってお風呂に入って、体を温めないと。……ん?」
ふいに、源七は手を止めた。
「……泣いているのか?」
美月と穹の頬を、雫が伝った。しかしそれは、雨からきたものではなかった。
ぽとり、ぽとりと、両目から雫が零れ出てくる。
穹は俯き、美月は顔を両手で抑えた。
源七はずっと、二人についた雨を拭いていた。
ますます涙が溢れそうになった。
傘が無いので、駅で雨宿りせざるを得なかった。
なぜ泣いていたのか、源七は何も聞いてこなかった。ただ二人の体を拭き続け、柔らかな笑みを浮かべているだけであった。
美月と穹にとって、それが何よりもありがたかった。
少し待っていると、今までの土砂降りはなんだったのかというくらい、さあっとやんだ。家に向かって、三人は無言で進んだ。
途中、件の無人販売所の前を通り過ぎた。
販売所には、誰もいなかった。
この日の夜、美月と穹は熱を出した。幸い大事には至らず、一日で下がった。
だが、二人はとても寝苦しい夜を過ごした。
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