phase2「セプテット・スター」
「商人さん……?」
なんで。この人がいる。どうして、今。なんで。
美月の脳内に、実に様々なことが駆け巡る。そのどれもが突拍子がなく、脈絡もなかった。一言で完結にまとめるとするなら、なぜこの人がここにいるのか、だった。
半分だけ開いた口から、すきま風のような息が漏れる。
遅れて振り向いた穹も同じように口を開け、呆然としていた。
男性はにこやかな表情を崩さぬまま、ゆっくりとした足取りでこちらに近づいてくる。
傍目から見れば目の前の男性は、ただこちらに歩んできているだけの、普通の人間にしか見えない。清潔感のあるスーツを着こなした、人の良さそうな、怪しさのあの字も無い人にしか見えない。
しかし美月は、まるで幽霊が近寄ってきているかのような感覚に襲われていた。
じりじりと後ずさりながら、なぜ自分は逃げようとしているのか、わからなかった。
逃げる。一体、何から?
ぞっとするほど冷たい汗が流れる。なぜ?
男性は怖いほど真っ直ぐに美月と穹の目を見てきているが、なぜだか、美月と穹は男性の目を見つめ返すことができない。
穹は首を下に向けた。目を逸らすどころではないほど、あからさまだった。
遂に耐えかね、美月も商人の視線から目を逸らした。何が耐え難かったのか、わからない。
何に対して恐れを抱いているのかわからない頭を抱えながら、美月は下を見た。
手に嵌められた黄色いグローブと、右手首のコスモパッドが目に入った。
そこで美月は気づいた。今、自分がどういう姿をしているか。
穹も気づいたのか、美月に向かって顔を上げた。お互いの視線がかち合う。
どこまで見て、どこまで聞いて、どこまで知っているのか。美月と穹の秘密がばれたのだろうか。抱いていた恐れの矛先はそれなのか。
二人はどこに向けたらいいのかわからない、縋るような思いと眼差しをハルに向けた。そのハルは体を少しだけ横に向けココロを庇うかのようにしながら、じっと男性の姿を見ていた。
ハルのブラウン管テレビは、少しだけ下に傾いていた。
顎を引いて、相手をじっと見据えている。そういう風に見えた。
なぜハルはこの人のことをそんな風にして見ているのか。怪訝に思いながら、美月は少しだけ視線を前に向けた。
「あの、これは……」
何か言わないとと声を出して、途中で止まった。
目の前に立っている男性の目線の先にいるのは、美月でもなければ穹でもなかった。
ハルのいる方向に。ハルが立っているまさにその場所に。
笑顔を消さぬまま、目を向けていた。
クリアモードとクリアカプセルの説明を、美月は思い返した。
ハルの姿も、ココロの姿も、クリアモードの機能が効いている限り、男性には見えていないはずだ。
だがこれだと男性は、ハルとココロの姿が見えているようだ。
どくんどくんと脈拍が早くなる。思わず右手を胸に当てた。
コスモパッドが持つバングルの冷たさが、服越しに伝わってくるようだった。
「久しぶりですねえ、ハル」
男性から発せられた声は、それまでの陽気さを含んだ声とは全く異なっていた。
一つだけピースの無い、ジグソーパズル。その残ったピースがかちりと嵌まった音がした。が、爽快感とはかけ離れている。
男性の声を聞いた瞬間、美月はふいにそんなことを感じた。
「本当に、手間をかけさせるロボットですね。いやはや……」
本当に、の部分を特に強調して言い、やれやれと言いながら、両手をあげる。
商人と名乗っていた男性の一挙一動を呆然と美月と穹が眺める中、ハルは抑揚なく尋ねた。
「色々と聞きたいことがある。どうしてお前がここに? いつからこの星にいる? 来たのはお前一人だけか? 他の者はいないのか?」
「ええ、そんな突然の質問攻めなんてマナーのない……。まあ、さすがは叡智の結集されたロボットといったところでしょうか。好奇心の高さは群を抜いておりますねえ」
煽るように、くすくすと肩を小刻みに震わせる。
しかしハルは挑発に乗る素振りも見せず、じっと黙っている。
それが面白くなかったのか、商人はすっと笑顔を消した。
「……また随分と上から目線なことで。いつからそんな生意気な機械になったのです? ま、宜しいでしょう。答えてあげます。まず、私がこの星に来たのは数日前です。偵察ロボットのデータをもとに、今あなたがどこにいるのか割り出しました。実に簡単でしたよ。勿論他の様々なことだって割り出しましたよ。そこにいる子ども二人がコスモパッドの適性検査をパスしたことも、それによって送り込んだ偵察ロボットを全て撃退したのもね」
ちらりと男性の目線がこちらに向き、びくりと美月と穹は体を震わせた。
穹はすぐに下を向いたが、美月は俯きかけたのを寸前で堪えた。
もしここで目を逸らしたら、ますます不利になっていくのでは。
そんな直感が、脳を駆けた。
商人は少しだけ目を見開いて興味深げな視線を送ってきたが、すぐにハルのほうに顔を向けた。
「全く、偵察ロボットは偵察ロボットらしく、その役目だけを果たしてただこちらにデータを送っていれば良いんですけど。一体どうして戦闘に持ち込んだんでしょうか。まあ割と安物でしたからね。機械って本当に馬鹿ばっかりですよねえ。あなたほどの頭良い機械はまずいませんよ」
口を手で覆い、体を震わせる。商人のどこかわざとらしい笑い声が、手の隙間から漏れてくる。
「無駄口を叩く暇があるのか」
ハルの低い声が辺りに響いた。ココロが不安げな目を向ける。が、ハルはそれに返さず、じっと商人の姿を見据えたままだ。
「あらあらまあまあ……。おお怖い怖い!」
そんなハルの反応に、やっと待ち望んでいたものを見られたとばかりに、さも嬉しそうにした。
ハルがじりっと一歩踏み出すのを見ると、もはや笑い声が零れるのを隠さぬまま、慌てない慌てない、と両の手のひらを突き出す。
「で、どうせこんな辺境の星なんですから、送るのもその安物偵察ロボットで充分だって言ったのは他ならぬこの私なんですよねえ。で、結果はご存じの通り。責任とってこいって命令されまして、こうして直々に来たわけです。この私がね。もう大変でしたよ! あ、他の者は誰一人とて来てませんよ。というか来てると思ったんですか? 皆さんそこまで暇じゃないのですよ? 私一人が来れば事足りると判断されたので。あなたの価値も随分と落ちたものですねえ」
ばっと天を仰ぎ、そして再び目線の位置が前を向いたとき、その細い目はかっと見開かれていた。美月は息を飲もうとしたが、それすらも上手くいかなかった。
穹は、ただ呆然と口を開けたまま、閉じることができないでいる。
再びお手上げのようなポーズをとり、まるでプログラムでもされたかのような大袈裟でわざとらしい仕草で、首をゆっくりと横に振る。
美月はハルを見た。ハルは、かすかに俯いていた。
今まで、じっと見据えていた目を、逸らしたのだ。
「そういえば最初の質問に答えていませんでしたね。これは失敬。私がここに来て、ここにいる理由、それは……。ハル、あなたを捕まえる為ですよ。わかっていらっしゃるでしょう? 心当たり、無いとは言わせませんよ?」
美月は弾かれたように、ハルの顔を見た。
ハルは俯いていた顔をゆっくりとした動作で上げ、一瞬だけ美月の目を見つめ返し、逸らした。
商人のその口調は、まるで小さい子どもを宥めるかのような優しいものだった。
同時にそれは、取って付けたような、どこか違和感を覚えるものでもあった。
貼り付けたような笑みで、ハルの顔を覗き込むように少しだけ屈みこむ。
その視線から逃れるようにして、ハルは顔を背ける。
「賢いはずのあなたならわかるでしょう? こうして我々から逃げ続けていることが得策じゃないって。でもなぜか、頑なに白旗を揚げてこない。 だからしょうがないので、私どもも追いかけるほかない。で今回、あなたが逃げついたのはこの田舎星だったわけですね。びっくりしましたよ。この星、宇宙人の存在を知らないようですもの。だから、この星の種族に合った見た目にわざわざ変えたんですよ。わざわざ!」
自分のことを指さしながら、ハルとの距離をゆっくり詰めていく。
「面倒臭かったのですが、でも良い収穫は沢山得られました。売り物もたっくさんさばくことができましたしね! いや~儲かりました。まあそれは置いといて、おかげでそこの震えてる二人とも簡単に接触できました。お二人とも、本当にぜ~んぜん警戒しなかったんですよ?!」
ばっと商人が手を美月と穹に向けた。穹は所在なさげに手を口元へ当て、がたがたと震えていた。そして美月も、自分の手を見て、それが小刻みに震えていることに気づいた。
「あなたの居場所は簡単にわかるんですよ。その子らに売った商品にとりつけてあった自動追尾機能のおかげでね! あなたは間違いなく、その子らの近くに現れるとよんだ。なぜなら、あなたは、この二人以外に頼れる存在がいませんもの!」
はっと穹は、手に取っていた本をよく見た。その本には、商人から貰った栞が挟まれている。
抜き取ってよく見てみると、栞の中心の部分に、チカチカと赤く点滅する光があった。しかしそれは大変小さく、その気になってよく目を凝らして見ないとまずわからない代物だった。
穹が顔を上げると、大正解とばかりに商人は頷き、満面の笑みを浮かべた。
「でも安心してください。ハル、あなたはもう、頼れる存在など探さなくていいんです」
先刻までの、捲し立て、追い詰めるような様相はどこにいったのか。
むしろ今までそれをしていたとは思えないほど、実に柔和で、無害そうな笑みをたたえた。
ハルは、背けていた顔を前へと戻した。
向き直り、警戒していることを剥き出しにした。
直後。男性の穏やかな笑みが、挑発的なものに変わった。
笑みだけでなく、周りを纏うオーラが、漂う空気が、不穏な流れのものに変化した。
「さて、随分と喋りましたが、もういいですよね。この変装やめても。どうせクリアモードになるわけですし」
商人は笑った。完璧なまでに計算された、百点満点の笑顔だった。
なのになぜ、こんなにも恐ろしく、不気味に感じられるのか。
美月と穹の脳裏に、ふとある記憶が思い起こされた。
何年か前に行った夏祭り。そこの屋台で、笑った顔をしたピエロのお面が売られていた。
V字の不自然なまでにつり上がった口角に、ぐにゃりと歪んだような目。
その笑顔は陽気で面白いものではなく、実に不気味なデザインをしていた。
穹は軽く叫びながら両親の後ろに隠れ、美月も涙目になっていた。
しかしデザイン以上に恐ろしく感じたのは、多分それが、心からの笑みではなく、悪意のようなものをたたえたものに感じられたからかもしれない。
商人の笑顔は、まさにそれとうり二つだったのだ。
「私の名は……コードネーム、〈マーキュリー〉”。総合電機メーカー〈ダークマター〉の幹部社員集団、セプテット・スターの一員です」
マーキュリーの目が、ゆっくりと開いた。その目の色は、暗い黄色をしていた。
何一つ理解出来ない。ただ一つ。目の前にいるのは、“敵”なのだと。
それだけが、はっきりと認識できた。
状況を飲み込めない美月と穹の前へ、ハルが立つ。
まるで壁となって庇うかのようなその仕草に、マーキュリーは嘲笑を浴びせた。
「そんなことしてる場合ですか? 仮にもあなたは守られる側でしょう」
「この二人は何も関係無い。偵察部隊と戦ったのも、私が指示をしたんだ」
少しだけ背を屈め、腕の中にいるココロを体で包むかのようにし、しかし目線は
マーキュリーから逸らさない。
「だから、二人に手出しはさせない!」
刃物が空を切る音が響き。ハルは、マーキュリーへ剣に変化したその右腕を向けた。
左腕は抱っこ紐ごと、しっかりと、しかし優しくココロの身を抱えており。
反して右腕は、ぴりと張り詰めたような空気を剣に纏わせている。
しかしマーキュリーは、全く臆する色を見せない。むしろ余裕綽々といった様子で、実に滑稽なものを見たように笑った。
「あなたが、この私に勝てるとでも?」
「私の強さのことなど、私がよくわかっている。しかし、時間稼ぎならできるという計算結果を出力した。だから、それをする」
「ならばその計算、打ち砕いてご覧に入れましょう!」
また風の流れが変わった。今にも火花現れ着火しそうな、そんな空気だった。
「待って!!!」
風が吹き渡る。それがやんだとき、マーキュリーとハルの間に、美月が立っていた。
「さっきから聞いてれば、あなた一体なんなの?!」
マーキュリーはかすかに眉を動かし、ハルは美月とマーキュリーを交互に見た。
姉ちゃん、と穹が美月の手首を掴んだが、美月は振り払い、なおも続ける。
「事情とか正直全然わからないんだけど、でも私は、あなたが嫌いだ!!!」
人差し指を突き付け、口から出たのはど真ん中ストレートな言葉だった。
こういう状況に合うぴったりな言葉は他にあったかもしれないが、美月はそこまで器用ではない。
戸惑いも恐怖心も限界を越えた末に現れたのは、怒りという感情だった。
マーキュリーはぱちぱちと数回瞬きをしたかと思うと、お腹を抱え出した。
「なんですなんです、あなたが代わりに相手になってくれる、と?」
「え、ええそうよ!」
売り言葉に買い言葉で思わず肯定したが、言ってしまった後で大丈夫だろうかと
一抹の不安を覚えた。だが、今この場には穹もいるしハルもいる。
力を合わせれば、退くとはいかないまでも、隙を見て逃げ出すくらいなら出来るかもしれない。
そんな楽観的な見解を取った美月は、「穹!」と振り向いた。
「いくよ! 援護してちょうだい!」
「いやそんなの無理……」
「つべこべ言わない!!!」
押し切られて、結局「わ、わかったよ」と穹は頷いた。
「待て、ミヅキ、ソラ!」
「下がってて、ハル!」
構える二人を前に、マーキュリーはあからさまに肩を落とし、げんなりした表情を作った。
「うわ、面倒くさ……。私はあなた達に用など微塵もありませんのに」
まるで警戒していない。子ども二人と、油断しているのは明らかだった。
向こうのやる気がそがれている今が、もしかするとチャンスかもしれない。
美月が穹に目配せしようとした時だった。
ぽた、と上から冷たい何かが滴り落ちてきた。美月の頬を伝い、すぐに消える。
上空を見上げた時、また水滴が、今度は額に落ちてきた。
「うわあ、降って来ちゃったよ?!」
最悪だと穹が頭を抱え、美月も首を上に向けたまま動けなかった。
まだぽたぽたとした小降りだが、いずれにせよさい先は良くない。
美月と穹に、嫌な予感を抱かせるには充分だった。
「雨……。水?」
はっと美月がそちらを向くと、手のひらを掲げたマーキュリーが、そこに落ちてきた雫をじっと見つめていた。その表情は真顔だったが、やがてにっこりとした微笑みに変化した。今までの作り物のような笑顔とは異なる、本心からの笑みに見えた。
「……でもせっかくやる気になっているのですから、何もしないのもマナー違反ですよねえ。わかりました。好きなだけ暴れさせてあげますよ!」
突然の態度の変化に驚く暇もなく、マーキュリーは広げていた手を握りしめ、前へと突きだした。その周りに、どこからともなく水が現れ、渦を巻き始めた。
渦巻きが消えた時にその手に握られていたものに、美月は息を飲み、穹は目を大きくさせた。
紺色の柄の先に、鎌形の刃が左右に枝のように出ている穂先。銀色に輝くそこに、ぴちょんと音を立てて雫が落ちた。
二人が本物の槍を見たのは、今日この日が初めてのことだった。
マーキュリーは柄を両手で握りしめると、勢いよく一つ振った。
それだけで風が起こった。刃物が風を切る音が聞こえる。
が。柄を持つ手を右手だけにかえると、くるりと背を向け、歩き出した。
「ちょっと! どこ行くつもり?!」
身構えていた美月が、急いで近寄る。「え?」と振り向いたマーキュリーの顔は、いかにも煩わしげだった。
「私、子ども相手に本気になるほど暇じゃないですし」
つん、と人差し指が美月の背後に指される。
「あなた達の相手は、それです」
「姉ちゃん、危ない!!!」
振り向こうとした美月と、穹が叫んだのは、同時だった。
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