phase9.1
お風呂から上がった美月は、ふらふらとした足取りで自室に向かった。
重力に抵抗せぬまま、ばたりとベッドに倒れ込む。
指先一つ動かすのも億劫な程、疲れ切っていた。
しかし、疲れているはずなのに、目は冴えきっていた。
あまりにも疲労がすぎたのが原因なのかもしれない。
異様なまでに長く感じた、そんな一日だった。
そして今日だけで、実に色々なことが起こった。
あの戦いの後、美月は穹に、「ハルには会った?」と尋ねた。
もしそうであるなら、話はかなり早い。
だが穹は、「ハルって誰?」と逆に聞いてきた。
そこからかと頭を抱えていると、タイミングが良いのか悪いのか、そこにハルが現れたのだ。
もちろん穹は、突然現れたテレビ頭にパニックを起こしてしまった。
その時のことは、今思い出してもどっと疲れが蘇る。
わけのわからないことを叫びながら、穹は大きく飛び退いて土管の影に隠れた。
それを見て、美月はおやと感じた。
最初にロボットのビームによって消失したはずの土管が、何事も無かったかのように積まれていたのだ。
そこで周囲を確認すると、土管だけでなく、先程の戦いで壊れたものなどが、全部復活していたのである。ビームによる焦げ痕も、ロボットが倒れたことによって凹んだ地面も、全て無くなっていた。
そのことをハルに問うてみると、「恐らくロボットが他者の手によって破壊されると、そのロボットが残した痕跡も消え去るプログラミングがされてあるんだろう」と答えた。
そんなことが可能なのだろうかと思ったが、ずたぼろになった工事現場にやってきた作業員のことを考えると良心が痛んだので、何事もなかったかのように見えるのならそれに越したことはない。
そのあとが本当に大変だったと、思い起こしながら美月は深く深くため息をついた。
まず土管の影で震えている穹を強引に引っ張り出したまでは良かった。
良かった、のだが。
そのあと穹は情けなく姉の後ろでびくつくばかりで、美月やハルの話などまともに聞けない状態にあった。
ハルもハルで、「まさかこんなに早く、再びテストに合格する者が現れるとは」
「彼はミヅキの血縁者なのか。ミヅキの家系が特殊なのか、それともこの地球人が特別なのか、実に興味深い」などと一人で勝手に喋り続けていた。
板挟みになっている美月としては、たまったものではない。
ハルを黙らせた後、一歩間違えれば騒ぎを起こしそうな穹を懸命なだめ続けた。
が、穹は喚くのみで、話を聞こうとする姿勢が微塵も感じられない。
しびれを切らした美月は、強硬手段をとった。
早い話が、「一喝」した。が、そのおかげで、穹は少し冷静になれたようだ。
まだハルに恐れと不安の目を向けているが、喚くことはしなくなった。
美月は、ハルと、そしてハルがおぶっているココロが宇宙人であることを話した。
さすがに穹も、かつての美月と同様、すぐには信じられなかったようだ。
猜疑の目で、美月の体を上から下まで眺める。
しかし、ハルの奇妙な外見や、今自分の身に起こったことなどから、
姉が完全な嘘を言っていると決めつけているわけではなさそうだった。
半信半疑といったところだったが、そのあと裏山に行ってハルの宇宙船を見せると、信じざるをえなくなったようだ。
だが穹は、疑っているというより、信じることに抵抗があるようだった。
怖がる穹を引っ張って宇宙船内のリビングに連れて行くと、そこで美月は、穹に全てのことを打ち明けた。
流星群の夜にハルと出会った、全ての始まりの日から、今日までの出来事を。
話を聞いている間、穹はずっと身構えていたが、徐々にそれは緩くなっていった。
緊張が先程と比べてだいぶ緩んできたのを見計らって、今度はハルが説明を始めた。
宇宙を旅しているロボットであること。
この宇宙船が壊れてしまったので、仕方が無くこの地球にしばらく滞在せざるを
得なくなったこと。
そしてコスモパッドに関する一連の説明をしたあと、あのロボットの説明を始めた。
ダークマターという組織に追われていること、あのロボットはその組織の刺客ということ。
大体の説明を聞き終わった穹は、しばらく俯いていたが、やがて顔を上げた。
「姉ちゃん、そんな危ないことに巻き込まれてるの?」
疑っているような。不安げな。心配しているような。そんな声だった。
「危ないっていうか……。まあ確かにそうだけど、でもこれ使って変身すれば、すっごく強くなれるんだよ?」
「でも僕がかけつけた時、姉ちゃん物凄いピンチだったじゃん」
図星を突かれ、うっと声をもらす。
しかしピンチを作ったのは、後先考えずに突っ込みすぎた自分が原因だと言うと、穹は真剣な面持ちで腕を組んだ。
「喉が渇いてさ、水筒飲もうとして、一旦図書館から出たんだ」
ふいに、穹がそんなことを言い出した。
美月が何の話だろうと思っていると、穹はコスモパッドにちらりと一瞬だけ視線を投げた。
「外に椅子とか机とか、そういうの置かれているコーナーがあるんだよ。そこで飲もうとしたら、一番隅の机に、何かあるのを見つけたんだ。近づいてみたら、タブレットみたいな端末だった。忘れ物かなと思ったんだけど、ご自由に遊んで下さいって札が傍にあってさ」
そこまで聞いて、美月は向かいのソファに座っているハルを見た。ハルは無言のまま、頭を縦に振る。
「怪しいなと思ったんだけど、どう見たって普通のタブレットだったし。それにもともと、ちょっと気になってたからね。タブレットとか。良い機会だと思ってさ、触ったんだよ」
穹は肩を落としながら、ふうーっと長く息を吐き出した。
「それのシューティングゲームをプレイしたときはさ、こんなことになるなんて、全然思っていなかったよ」
組んでいた腕を離すと、両手を膝の上に置き、じっと見つめる。
「プレイし終わったら、突然端末が光って……その光がやんだ時には、こうなってた」
コスモパッドが嵌められている左手首を少し前に差し出し、また膝の上に置く。
「あとのことは……よく覚えてない。本当に慌てていたから。とりあえず姉ちゃんに相談しようと、川まで行こうとしたんだ。でも冷静じゃなかったから、走ってる内に大通りから逸れた道に入っちゃって。気がついたら、あの工事現場にいたんだ」
何度もジャケットの裾を引っ張ったり、ネクタイに触ったりしながら、そう話した。穹は遠い目を浮かべ、そしてもう一度息を吐き出した。
どうして変身するための言葉を知っていたのかと疑問を投げると、穹はコスモパッドの液晶を指で軽く叩いた。
タブレットがこれに変形した直後、「変身する時は、コスモパワーフルチャージと言って下さい」という音声が流れたのだと言った。
そういえばこのひとの声に似てたかもと、穹はハルを指さす。
ハル曰く、「音声データをちょっと付け加えた」らしかった。
美月とロボットが戦っている光景を見たときは、己の目を疑った。
美月がやられそうになったのを見て、何とかしなければと藁をも掴む思いで、その合成音声に従ってみたのだという。
そしていつの間にやら、飛び出していたのだ。
以上のようなことを、穹は話した。
美月はそっかあ、と、大きく何度も首を上下させた。
頼りないとか、情けないとか、そればかり思っていた穹が、他ならぬ自分のピンチに助けようとしてくれたとは。嬉しいが、少しこそばゆい。
夢の中をさ迷っているような目つきの穹の隣で、美月は照れ笑いを隠しきれない。
そんな二人を見ながら、ハルは何かを考えているようだった。ココロは変わらずに、にこにこと笑っていた。
そこまで思い出した後、美月はごろんと仰向けになり、ふうっと息を吐き出した。
穹は色々と質問攻めをしてくるだろうかと覚悟したが、予想外にしてこなかった。
質問すら浮かばないほど、混乱していたのだろう。
だからハルの切り出してきた、自分とココロの身を守ってくれないかという頼みにも、「それは……ちょっと……」ともごもごと曖昧に呟くだけだった。
結局穹も、それから美月も、ハルとココロのボディーガードの件は、今日のところは保留ということにした。
そして家へと帰ったのだが、その間終始、二人とも無言だった。
話題は逆に腐るほどあるだろうに、二人の口は堅く結ばれたまま、開かれることは
なかった。
家についた後も、そのまま二人はそれぞれの部屋にこもり、夕食まで一切出てこなかった。
その夕食の時、家族に様子がおかしいことに気づかれないよう、二人ともつとめて明るく振る舞った。
だが、特に穹が不自然すぎたのか、弦幸にも浩美にも源七にも、「どうかしたの?」と聞かれてしまった。
その誤魔化しも、穹はとにかく下手だった。
間違いなく両親にも祖父にも、何か隠し事をしていると気づかれただろうなと、美月は傍らで確信していた。
自分も誤魔化すのも隠し事も嘘も上手いとは言い難いけれど、でも穹ほどではないと、美月はそう思っていた。少なくとも自分の中では。
穹が今日一日起こった出来事についてどう思っているのだろうかとわからなかったが、夕食後に二人きりになったタイミングで、「ちょっと」と小声で話しかけてきた。
「あの話、受けるつもり? ハルさんの言ってた……ボディーガードのこと」
ああ、と、美月は逆に、「穹はどうなの?」と聞いた。
聞いてるのはこっちなんだけどなぁと困った顔でぼやきながら、「僕は」と改まった顔つきになった。
「やめておいたほうがいいと思う。危険すぎるよ。ゲームじゃないんだから。現実の出来事なんだよ? 今日だって、かなり危なかったじゃん」
「でも、うまくいったでしょ?」
「あんなのたまたまにすぎないよ……。とにかく、やめておいたほうが懸命だよ。ほら、君子危うきに近寄らずっていうじゃん」
「よくわかんないけど、じゃあ断るの?」
穹はうんと頷き、「姉ちゃんもやめておいたほうがいいよ」と言い、去って行った。
穹の言い分は、実に最もだ。
やめておいたほうがいいということも、理解している。
しかし、だ。
美月は、穹ほどハルの頼みに否定的でないということを、自覚していた。
ハルの頼みを断りたくはないなという思いがあることにも。
力になれるのなら、なってあげたい、とも。
なぜそう思うのか、それはずっと考えていても、わからない。
考えようとしたが、疲労故か、全く頭が回らなかった。
ちょっと夜風を吸ってから寝ようと、美月はベッドから下りた。
窓を開け、その向こうに広がる景色を目にする。
こうしていると、否が応でも、あの晩のことを思い出す。
あの晩は、ちょっと流星群の見納めをしようと思いたった、ただそれだけの行動で、窓の向こうを覗いたのだ。
その時、裏山へと落ちていく、光を見た。
しばしの間じっと夜空を眺めたが、あの晩のような光は見かけなかった。
真っ暗な空にぽっかりと浮かぶ満月が、柔らかな光を放っている。
美月は少しの時間その光を眺めると、窓を閉め、カーテンを閉じ、電気を消した。
月という星は、地球人が最初に下り立った、地球以外の星である。
とはいえ、そこに下り立った者は、限られた人間しかいない。
そんな月面に、人影が立っていた。
人影は、屈み込み、月面の灰色をした砂を手にとっている。
砂の手触りを入念に確かめていたかと思うと、一つ頷き、砂を取り出した袋の中に入れた。
「これ……。“月”っていう星の砂って言ったらどのくらい売れるでしょうかねぇ。
いえ、そもそも“月”の砂がどういうものかわからなかったら意味ありませんか。
じゃあ……未知なる星で採取された希少な砂とかいう決まり文句つけて……。いやなんか違うな。もっとパンチきいたものがいいでしょうかね? うーん……」
頭を捻っていると、ガガッというノイズの音が、その人影の思考を邪魔した。
いかにも煩わしげに、持っていた機械を操作すると、ホログラム画像が目の前に浮かび上がる。
そこに写っていた人物は、予想通りの人間でもあったし、また非常に面倒な相手でもあった。
『くだらないことをしてる暇があるなら、その時間に、与えられた任務を遂行しろ』
開口一番、画面に映った人物はそう言った。
非常に苛立っているのが、立体映像越しでも伝わってくる。
ますます面倒臭いなとうんざりしながら、人影は「嫌ですねえ」と肩をすくめつつ、両手を挙げた。
「くだらないことしてるわけじゃないかもしれませ」
『わかる。お前のしてることは全てくだらない』
見事に一蹴され、人影は今何をしていたかを白状した。
言っても何も良いことなどないのだが、相手の気迫に負けてしまったのだ。
「でもこれも凄い大切なことなのですよ? この砂を売って儲かったら、星の経済が……」
『今それを気にしている時間があると、本気で思っているのか?』
またもや話している途中で中断された。
手を水平にあげたままの状態で固まることとなったが、お構いなしに相手は続ける。
『そもそもお前が言ったんだぞ。そんな辺境の星にあいつがいるはずがない。送り込む偵察ロボットもそこまで良いものじゃなくていい、と。それがどうだ。わからないとは言わせないぞ』
はあっと手を落とし、「わかっていますってば」と愛想笑いを浮かべた。
だが相手は「何をへらへらしているのだ」とにべもない。険しい表情で人影を睨み付ける。
『当初の予定通り、高性能の偵察ロボットを送り込んでいれば、こうはならなかった。お前は判断を誤ったのだ。しかも、あの星に送り込んだ偵察ロボットは全滅したんだぞ?』
はい、と人影は下唇を突き出し、首を垂れた。
『その責任は必ずとれ。必ず成果を上げろ。わかったな』
「……了解。すぐにでも作戦を開始します」
立体映像の主は浅く頷き、ところで、と人影を一瞥した。
『最後に送られてきた偵察ロボットのデータだが……』
「ああ、確かあのロボットの改造したコスモパッドのテストに合格した者が現れたとか? それも二人」
うむ、と頷き、『それが不安材料だが……どうなんだ?』と鋭い視線を投げてきた。
「いやあ、とはいってもまだ子どもですよ? しかも戦いの知識とか微塵も無いようですし。余裕ですって」
『油断はするな。万全の体制でかかるんだぞ。不安材料は一つ残らず潰すんだ。今、コスパを重視している暇はない。それを常に、念頭に置いておけ』
わかったなと言われ、こちらが何か言う前に、通信が切られた。
「……本当、人使い荒いったらないな」
吐き捨てるように言うと、ため息をついてから、前方を見た。
目立つ青い星が、上も下もわからない空間の中に、ぽっかりと浮かんでいる。
「ま、確かに責任もちょっとは感じてるのですがね」
勿体ないなという思いが強くなるあまり、あいつがいる可能性の低い星には、
性能があまり良くない、安い偵察ロボットにしようと提案してしまったから。
それもかなり強引に。
その結果がこのざまだ。
「何とかしないとですねえ……」
真っ直ぐに、目の前の青い星を見据えたあと、よしと気合いを入れる。
人影は再び屈み込むと、足下の砂をかき集め始めた。
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