Chapter3「強敵、襲来」

phase1「にじり寄る存在」

 何かを思い出したように、穹が「そういえば今日ね」と口を開いたのは、いつも通りの夕食を摂っていた時のことだった。

なんの珍しさもない世間話のようにして話し出したその内容は、次のようなものだった。


 この日、穹は下校後に、本屋へと向かった。

本を一冊買い、天気も良かったので早速近くの児童公園に向かい、読むことにした。

のどかな空の下、公園のベンチに腰掛け、読んでいると。本の世界に入り込み始めた頃だった。

「もし、そこのあなた」という声がしてきた。


 集中していたのと、自分に話しかけていると思わなかったのもあって、穹の反応はだいぶ遅れた。

ぽんと軽く肩を叩かれ、驚いて顔を上げると、すぐ前に見知らぬ男性が立っていた。


「失礼。あなたに、ちょっとお話がありましてね」


 その男性はシワの無いスーツをきちんと着こなしており、清涼感、と形容するにふさわしい雰囲気をかもし出していた。実に人の良さそうな笑みをたたえている。


 だが穹は、その男性が馴染みのない真っ青な髪の色をしているのも手伝って、警戒を露わにした。

 身をすくませ、持っていた本を盾のように前に出し、「どちらさまですか」と震える声で尋ねる。


その男性は穹の緊張をほぐすようににっこりと笑いかけ、

「私は、怪しい者ではございません。……と言っても、全然説得力がないですよね!」

と、軽めの口調で続けた。


「私は、商人のような職業をしておりましてね。この近くに、仕事に来たのですよ」

「商人……。セールスマンってことですか?」

「あ、そうですそうです! いや、なにぶんゲーム脳なものでしてね、つい……」


 セールスマンということは何か買わされるのだろうかと不信の念を更に強めたが、男性は商品の説明をする気配などまるでせず、世間話を続けた。


 最初は、主に自分の話をしていた。

が、時折絶妙なタイミングで穹に話しかけたり、意見を求めたりした。

答えると、少々大袈裟なくらい、穹を褒めたり持ち上げた。

 やがて男性は徐々に、自分の話し手から空の聞き手へと立場を変えていった。

その繋ぎ目は、実に自然極まりないものであった。


 子どもの穹にも偉そうな態度をとることなく、実に物腰の低い態度で接する。同じ目線というより、むしろ相手のほうが若干低めの態度だった。

穹は妙だなと少し感じたが、正直悪い気はしない。


 気づけばものの十分ほど話しただけで、すっかり目の前の男性とうちとけていた。

恐らく、この男性の力だろうと、穹は確信していた。

巧みな話術というのは、こういうのを言うのだろうと。

その人と話していると、まるで自分までもが饒舌に、話し上手になったような気分になるのだ。

言葉や会話がつっかえることなく、すらすらと出てくる。

お話が、とても楽しい。素直に感じることのできる会話だった。


 夢中になっていたせいで穹は、自分ではなく、男性の土俵に上がっているということに、全く気づけなかった。


 その饒舌で人好きのする男性は、さも今気づいたかのような調子で、穹の持っていた本を手で示した。


「もしかして、本がお好きなのですか?」

「は、はい、好きです」

「おお、それは凄いですね!」


 その人は軽く手を叩いた。

穹が「どうしてですか?」と聞くと、男性は

「近頃は、若者の活字離れが進んでおりますからね。そのご時世の中で、実に立派だなと思ったのですよ」

「い、いやいや! 全然凄くないですって! 僕はただ、好きだから読んでるだけですし!」

「それが凄いのですよ! どうか尊敬させてくださいな」

「そんな……。く、暗いでしょう? 男なのに本ばかりって……」


 幼少の頃、絵本ばかり読んでいた時、同年代の子達にそうやっていつもからかわれたものだ。

気にしないようにと強がっていても、その時の爪痕は残っている。



 男性は目を大きく見開き、「とんでもない!!!」と大きな声を出した。

「暗いも明るいも、男も女も関係ありませんよ! 好きなのでしたら、誇りを持つべきです! 恥ずかしがってはいけません!」


 ぐっと拳を握りしめ、少し身を乗り出してくる。

穹はたじろいだが、同時になんだかすっとした気持ちにもなっていた。

はっきりと熱弁され、まるで自分の思いを代わりに述べてくれたかのようだ。

だから素直に、ありがとうございます、と礼を述べた。


「まあ偉そうなことを言っておいてなんですが、私は本をあまり読まないのですがね……。でも子どもの頃からゲームは大好きでしてね! ですが周りの大人たちから、そんなものやってないで表に出ろと言われ続けていて、非常に嫌な思いをしておりました」

「うわわ、大変ですね……!」

「今はもう自由ですがね! ですが仕事が忙しく、せっかく自由になれたのにゲームをする時間がありません。世間は厳しいですよ……」


 がっくりと肩を落とした後、「ですから! 子どもの間に、めいっぱい好きな事をしておいたほうがいいですよ!」と、人差し指を立てた。


 細い狐のような目で、真正面から見られる。

穹は目をしぱしぱと瞬かせたが、すぐに「はい!」と頷いた。


「よくわかりました。ありがとうございます!」

「……さて、そんな本好きのあなたに耳寄りな情報がありましてですね」

「……はい?」


 既に手遅れだった。

男性は持っていた大きな鞄を探ると、そこから「こちらです!」と何かを取り出した。

差し出されたそれは、ブックカバーだった。

星空が印刷された革製のもので、サイズは一般的な文庫本サイズくらいだった。


「こちらの商品についてご説明させていただくとですね、まず……」

「は、いや、あの、ちょっと待ってくださ……」


 いきなりのセールスに穹は制しようとするが、聞こえているのかいないのか、男性はお構いなしに続けた。

充分聞き取れるのだが、少しでもぼうっとしていると遅れてしまうようなペースの早口だった。

 いかにこのカバーがお買い得か、いかにこのカバーを買うと素晴らしい読書生活が送れるかと、熱く主張し続けた。


 流されるがままに男性の話を聞いていた穹は、段々と心の中に、欲しい、という気持ちが芽生えはじめてきていることに気づいた。

 一通りの説明を受け、提示された値段を聞く頃には、買おうかなと思ってしまっていた。

 だが穹は、最後の抵抗を試みた。


「やっぱりダメです、買えません! というか、そんなお金……」

 嘘だった。本を買ったぐらいなのだから、お金はちゃんと持っている。言われた値段も、相場より少し安い程度だった。余裕を持って買える。

しかし穹は、僅かに残っていた警戒心を優先した。


すると男性は、「ではこちらもおつけ致します!」と、更に鞄の中からブックカバーを取り出した。同じ種類のブックカバーで、こちらは青空が印刷されているものだった。


「ここに、今なら栞もおつけしますよ? それで値段は同じ! どうです?」

 男性は木で出来た、月や星が彫られた洒落たデザインの栞を取り出し、穹の手に強引に持たせた。目を輝かせ、穹の反応を待っている。


 穹は眉をひそめた。

サービスが良いどころじゃない。これでは赤字になってしまうだろう。

逆に穹は不信感と警戒の心が強まった。


「特に何もしてないのに、こんなにつけてもらうわけにはいきませんよ」

 低めの声で、断ち切るように言うと、男性は途端に表情を変えた。まるで体の骨が消えてしまったように、がくんと肩が落ちる。


「実はですね、私は今日、初めてこの町に売り込みに来たのです。ですが、もう笑ってしまうくらいさっぱり売れなかったんですよ……」

「えっ?」

「この際赤字かどうかは二の次三の次です。今は、売れたという事実のみが欲しいのですよ……。でないと私、肩身の狭い思いをするはめになるんです!」


 涙声になっていた。目は潤み、泣き出す一秒前のような表情をしていた。


「あなたはとてもお優しい! 人間ができています! どうか、この私を助けると思って、なにとぞ……!」


 ぱんと手をあわせ、頭を下げてきた。

ここまでされてしまうと、買わないと言うのも気が引けてしまう。

そうまでして断るという理由が、無いように思えた。


 穹は少し悩んだが、結局買いますと言った。

男性は、それはそれは喜び、穹に感謝の言葉をかけまくった。

商品を丁寧に袋に入れ、代金を受け取ると、爽やかな笑顔で穹に別れを告げ、立ち去った。


 そんなわけで買ってしまったのだが、正直後悔はしていない。

デザインは普通に好みのものだし、ちょうどブックカバーは欲しいと思っていた。

見た所、悪い素材で出来ていないように見えるし、恐らく詐欺の類いではないはずだ。


おまけで貰った栞も使いやすそうだ。

模様の月や星の素材がきらきらと光るラメか何かで出来ており、真ん中の赤い星が特に目を引く。


良い買い物をしたと思い、穹は買ったブックカバーをつけると、再び本を読み始めた。




 以上の話を聞くと、浩美は「危ないじゃない! 不審者だったらどうするの?」と高い声を上げた。

「いや、でも悪い人には見えなかったし……」

「悪い人に見える悪い人なんていないの!」


 まさか怒られると思っていなかったのか、穹はすっかりたじろいでしまっている。

しどろもどろになりながら謝ろうとすると、源七が「まあまあ」と浩美を宥めた。


「何もなかったのだから、そこまでにしてあげなさい」

「だけどねえ! もし何かあったら!」

「落ち着いて落ち着いて」


 弦幸も浩美を宥め、「穹、次から気をつけるんだよ。何も無かったから良かったものの、何かあってからでは遅いんだからな」と言った。


「はい、ごめんなさい……」

「まあ結局商品を買わせたかっただけっぽいし、怪しいけど不審者じゃなくて良かったじゃない」


 説教の区切りがついたのを見計らって、それまで黙っていた美月が声を発した。


「そんなに話しやすい人だったの?」

「うん。面白かったし。その人、不思議なんだよ。自分のこと、商人って呼んでくれって言うんだ」


 セールスマンさんとかって、何となくこそばゆいですから。そう言ってその男性は、人懐っこそうな笑みを浮かべたのだという。


「へえ、変わってるなあ」

 美月は会ったことないその男性の姿を思い浮かべてみた。どんな人なのか一目見てみたいような気もする。だが、会える確率は低そうだなと、考え直した。


「それにしても、人見知りな穹とすぐ仲良く出来るとは……」

「うむ。なかなかのやり手のようじゃな」


 感心したかのように頷き合う弦幸と源七を見て、浩美は軽く嘆息した。


困ったように笑うと、「本当に気をつけなさいね?」と念を押し、この話はそれで終わった。





 夕食後、穹は自室で一人、本を読んでいた。今日読んでいた本の続きだった。

だがページは、ほとんど進んでいなかった。やがて穹は、その表紙をぱたりと閉じた。


 はずみで、埃が小さく舞う。

穹はその埃を手で払うと、机の引き出しを開け、一番奥にあるものに手を伸ばした。


 ノートなどで隠されるようにしてしまわれている、それ。穹にとって、なるべく触りたくもなければ見たくもない代物。


 取り出されたコスモパッドは、部屋の明かりを照り返していた。その反射の明かりすら、見たことのないものに思えて仕方が無かった。


 実は穹には、今日起こった出来事について、まだ言っていないことがあった。



ブックカバーを買った後のことだ。商人と呼んでほしいと言ったあの男性が、このコスモパッドに興味を示したのだ。


 美月も穹も、出かけるときは万が一の時の為、これを装着している。美月は自分で言っているほど抵抗が無いようだったが、穹は違った。

長袖の裏に隠すようにして、他人の目にも、自分の目にも、なるべく触れないようにしていた。


 以前美月が、うっかりクラスメートに見つかってしまい、どこで手に入れたのと質問攻めに遭って困ったと言っていた。限定品の玩具と説明したが、上手く誤魔化せた自信が無いと、苦笑いしていた。


 それはそれは挙動不審になったんだろうなと、穹はその様子を想像して心の中でこっそり笑った。

幸い、穹はそういう質問攻めには遭わなかった。


 今日、袖が少しずれてしまい、コスモパッドが見えてしまった。商人が聞いてきたとき、穹も美月と同様に、限定品の玩具と説明した。疑っている様子はまるで感じられず、そうですか、とにこにこしていたので、穹はほっとした。


 しかし問題はその後だった。気になることを言ってきたのだ。


 穹は、机の上に置かれた本の表紙に目をやった。

前衛的で近未来風のデザインの建物が連なる表紙が印象的だ。

未来都市が舞台のSF小説で、主人公とその仲間たちは探偵稼業をしているという内容だ。


 商人の興味がコスモパッドからこの本に移り、説明を求めてきたのだ。

だから穹は背表紙に書かれている本のあらすじをそのまま読み、個人的な自分の感想を述べた。


「とても頭の良いロボットが出てくるのですか……」


 主人公達を導く師匠的存在として、非常に知能の高いロボットが出てくる。その説明をした時、商人は興味を示した。


 はいと頷くと、その人はくすくすと口元を手の甲で抑えた。


なぜ笑うのか。穹が不思議な思いでいると、商人は「ああ、失礼」と手を離した。

まだ口元には笑みが浮かんでいた。


「私はですね、非常に優秀なロボットを知っているのですよ。とてもとても頭が良い、ロボットの究極体のようなのをね」

「す、凄いんですか?」

「凄いなんてものではありません。人様よりも遙かに頭が良い。その場その場に合った最適な答えを計算し、導き出す。そのスピードは、人類が考えるよりもずっと速いのです。優秀で、それ故に驚異的なのですよ。人間いらず、ということなんですよ、悲しきかなです」


 何が言いたいのか、何を伝えたいのか、全く掴めない相手の台詞に穹が出来ることと言えば、とりあえず相槌をうつ他なかった。


「よくわからないんですが、凄いんですね。商人さんの会社の商品なんですか?」


 とりあえずそう聞いてみると、男性はふっと笑った。

今まで浮かべたどの笑みとも、質が違うものだった。


「商品とはまた違ったものですが……。逃げられてしまいましてね」

「逃げた?」

「ええ。今も、逃げているのです」


 緩慢と視線を動かし、穹の目を見た。


「もしかしたら、あなたも知っているロボットかもしれませんねぇ」


 口元は、笑っている。しかし、目が、笑っていなかった。




 穹が呆気にとられていると、商人は顔を綻ばせた。先程の表情は一体何だったんだと思う程自然な笑みで、それでは、と去って行った。

穹は、しばらく動けずにいた。


 一体なんだったのか。あの商人は、何を言いたかったのか。どのことを指していたのか。自分の知っているロボットとは……。


 知らない、とは言い切れなかった。


頭に浮かぶのは、何日か前に体験したことだ。あの時見たもの。聞いた音。

それらと今日の出来事は、関係しているのだろうか。


 美月に言うか、言わざるか。言っておいたほうがいい気もする。しかし、考えすぎよと一蹴される可能性だってある。それに本当に勘違いだった場合は今日の人にも失礼だし、美月にも下手に不安な思いを抱かせてしまうことになる。


 ぐるぐると悩んでいたせいで穹は今日、美月に伝えるまでには至らなかった。

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