phase8「ピンチ!」

 美月の体が、見る間に空へと浮上していく。ハルの強い制止の声が、どんどん小さく、遠ざかっていく。


 下を向くと、林の木々が眼下に広がっていた。

地上から見たら背の高い木も、上から見たらまるで緑色の絨毯のようだ。

川も、河原を歩く人々の姿も、ずっとずっと下にある。


 だが、今はそんなことを考えている場合ではない。

真下に向けていた目線を真っ直ぐに前方へと向け、目を鋭くさせる。


 しっかりしなくては。

心を構え直すと同時に、体勢も整えた。


 次にやってくるのは着地の衝撃だ。それに備え、足に力を込める。

風が下から上へと刺すように吹き抜けていくと同時に、ちょうど遊歩道に着地した。

息を整える間も無く、すぐさま方角を見定め、再び一気に跳ぶ。


 もし誰かに見られていたらそれこそ大騒ぎになっただろう。

だが幸いなことに、周囲には誰もいなかった。


 それに今の美月には、見られるかもしれないといった配慮する余裕などなかった。


 次に着地した場所は、歩道橋の上だった。

河原からこの歩道橋がある大通りまでは、かなりの距離がある。

 たった二回のジャンプでここまでなんてと、美月は改めて自分の体を、特に履いているブーツをまじまじと見た。


 さてあのロボットはどこにと目を動かし、前方にその姿を捉えた。

その向かっている方角を見て、美月の背筋は氷を押しつけられたように冷たくなった。


 間違いなく、ロボットが向かう先にあるのは、科学館だ。図書館だ。


ちょうど、穹のいる。


 更にその先には、自分の住む家があるのだ。


 美月は助走をつけると、無我夢中で飛び上がった。

迷っている暇などない。怖がっている時間などない。何か作戦をたてる猶予もない。


 とにかく、ただただ、あいつを止めなければ。

これ以上先に行かせるのは、何としてでも阻止しなければ。


 美月の脳を占めているのは、ただそれだけだった。


 ジャンプを繰り返す内、ロボットとの距離はどんどん縮まっていく。

この分だと、すぐに追いつけそうだ。だが、追いついてどうしようか。


 考え出すと、ふと少し先に、工事現場らしき空き地が広がっているのが見えた。

休みらしく、作業員の姿は無い。

 眼下に広がるのは、雑居ビルが建ち並ぶ路地裏。

道幅は、車はまず通れなさそうな狭さであり、人通りも無さそうである。


 今しかない。ここしかない。


 美月は次のジャンプで、一気にロボットに接近した。

至近距離で見ると、身が竦み上がりそうなまでの大きさである。

加えて、一度目の裏山での戦闘の時と違って、手足がついている。


 このような巨体に殴りかかって、果たして効くのだろうか。

防がれて、返り討ちに遭ったら。

不安がよぎる。


 が、止まるにしてももうできない。

その大きな背中に狙いを定めることしか。


「行かせは、しないっ!!!!!!」


 声高らかに叫んで、背中を両足で蹴りつけた。


 衝撃波が広がる。唸りを上げて、灰色のロボットは地面へと落下していく。

見事に、狙っていた工事現場の空き地に叩きつけられ、土煙が舞い上がるのが見えた。


 あわよくばこれで機能停止にまでいかないか。

しかし、そんなかすかな希望は打ち砕かれる。


 もうもうと舞う土色の煙幕の中から、灰色の巨体が立ち上がった。

さすがにそこまで甘くないかと思いながら、美月も着地する。


「ここから先へは行かせない! 私が相手よ!!!」


 両手を伸ばして、ロボットの前へと立ちはだかった。

人工的な刺さるように赤い光を放つ、一つ目を睨み付ける。


 ロボットは、ギギ……という軋んだ音を奏でながら、崩れかけていた体勢を整えた。


 こうして真正面から改めて対峙してみると、本当に大きい。

それに大きいだけでなく、圧倒的な威圧感を放っている。

押しつぶされそうだ。喉が詰まるような感覚がする。足が、震える。


「……攻撃確認。作戦進行妨害。目ノ前ノ対象者ヺ敵ト見ナシ、コレヨリ攻撃二移ル」


 合成音声が、静かに辺りに響き渡った。


 何がくるのか。美月は急いで後ろへと飛び、距離を取る。


 この前のようにただビームを飛ばしてくるだけだったら、対処できるかもしれない。

ジャンプを駆使してビームを避けながら、周りに被害が出ないうちに、隙をついて叩く。


それを繰り返せば、必ず倒れてくれるだろう。

美月はそうよんだ。

だが。


 ロボットの目が赤く光り出したのを見て、飛び退いた先の場所から反射的に横へと避けた。


 次の瞬間、着地地点に積まれてあった土管が、赤い光に包まれた。

光の正体は、ロボットの目から放たれた、光線だった。


 いや、線ではない。赤い柱というべきものだった。その赤い光の柱が消え去ると、そこにあった土管は、跡形もなく消滅していた。

代わりに、灰色の塵のようなものが、散っていた。


「う、嘘……」


 光線の威力が、パワーアップしている。


 ロボットが美月のほうへ、体をぐるりと回転させた。

また放つ気だと感づき、すぐさま美月は上空へと逃げる。


 少し小さくなったロボットが下にいるのが見えると、ちょっとした安堵が美月の心を包んだ。だが、あっという間にそれは剥がされた。


 再び光り出す赤い目におやと感じ、その後即座に嫌な予感が頭から足の先を駆け抜けていった。体を急いで横に移動させた時、美月の体すれすれをあの赤い柱が立った。


そこは、一秒前まで美月が跳んでいた場所だった。


 もし、あのままあそこにいたら。


 だがぞっとする間も無く、着地しようとすると、そこにもあのビームが放たれた。

間一髪、体を転がせて避けたが、ロボットは更にビームを浴びせようと近づいてくる。


 逃げてはだめだし、避けていてはだめだ。この調子だと、いずれ焼かれてしまう。


 ロボットの目に赤い光が灯ると同時に、地面を蹴って一気に接近した。

拳を固め、ロボットの巨体の中央を狙い定める。


が。


 衝撃が伝わると同時に、驚愕のあまり目を見開いた。

美月の拳を、ロボットも拳で受け止めていたのだ。


「え……?!」


 殴った衝撃で吹っ飛ぶだろうかと考えていたのに、逆に飛ばされたのは美月の

ほうだった。


 姿形が大きいだけあり、力もとんでもなくある。

美月の体は大きく後退させられ、工事現場の壁に激突した。


頭は幸いにも打っていないが、かわりに背中に鋭い痛みが走る。

もし生身の状態だったら、どんなことになっていただろうか。

しかしそんな予想をたてる時間も無いし、痛みを癒やす為の時間も待ってはくれない。


 ロボットが接近しつつ目を光らせたのを見て、美月は壁を足で蹴り、上空へと飛び去った。


 とにかく一撃でもいいから叩き込んで、体勢を崩さなくては。

その隙をつかないと、絶対に倒れてくれない。


しかし隙を伺おうともたもたしていたら、ビームにより逃げ場が無くなって

追い詰められてしまう。


 ジャンプした先には、空き地の隣に建つビルがあった。

美月は、ビルの壁に両足をつき、同時に、やや下にあるロボットの脳天を捉えた。


 位置的にも距離的にも、目測だがこれで決まる。


 その確信と同時に、鉄筋コンクリートの壁を蹴った。

両の拳を、先程よりも強く、石のように固める。


 この一撃。これで全てが決まる。そして、決めるのだ。


 意を決する。ロボットの頭めがけて、力の限り一気に拳を叩きつける。


ガアアアン!!!!!! 激しい衝突音が、辺りにこだました。

あまりの音と力の衝撃に、つい目を閉じる。


 間違いない。ヒットした。

確かに手応えを感じる。


 けれど、おかしい。何かが。胸の内に沸いた不吉なものが、増えていく。


 恐る恐る瞼を開いた美月は、息を飲んだ。


 眼前に広がっていたのは、美月の拳を受け止める、ロボットの両の拳だった。

美月による渾身のパンチは、見事に防御されていた。

ふいに、ロボットの片方の手が、防御の姿勢から離れた。


 まずいと感じた。だが、遅かった。


 ロボットが放った拳が、猛スピードで迫ってきた。

来ると感じた場所に、腕を交差させて防御した。

しかしそんなものでは、もはや防御とは呼べなかった。


 パンチは見事にヒットし、美月の体は後ろへ、恐ろしいスピードで、

言葉の通り吹き飛ばされた。

 為す術無くビルの壁に叩き付けられ、そのままずるずると地面へ落ちていく。


「ぐううっ……」


 苦痛に塗れた声にならない声が、勝手に漏れ出す。

背中を中心に、体全体が悲鳴を上げているのだと実感した。


 とにかく痛い。それしか無い。


 あと少し、力を振り絞れば、体は動くのだろうと思う。

けれど、そのあと少しが、出せない。


 一歩、また一歩と近づいてくる巨体を、ただ美月は呆然と眺めることしか出来なかった。


 ハルの言うことを、ちゃんと聞いておけば良かった。

今この状況になって、初めて後悔が胸を襲った。


 きっと、良い作戦を考えてくれたかもしれない。

それなのに、自分は焦るあまり、無視してしまった。その結果がこれだ。

 永遠とも感じるような時間の中で、美月の頭は様々なことを巡らせた。


 だが、どんなに後悔をしても反省をしても、最早遅い。


 ぴたりと、巨体が立ち止まった。

そして、腕が上げられる。


あれが下ろされるのだろうか。

でももしビームだったとしても避けられないし、あの腕を受け止める力も、もう出せられない。


 やがて上げられた腕が、下がっていく。

その動きが、やたらとゆっくりに見えた。

もしかしたら避けられるのではないかと思う程、ゆっくり。


 けれども、力が出ない。瞼が下がる。

美月の視界が、閉じられていった。




「姉ちゃん、危ないっっ!!!」


 その声は、まるで雷撃のように、美月の意識を覚醒させた。

 聞き覚えのあるどころか、あまりにも聞き慣れすぎた声。

この声の主がここに現れるなど。そんなはずない。有り得ない。

なのに。


 瞼を開けた美月の目に飛び込んできたのは。

衝撃音を引き連れ、体勢を崩すロボットの姿だった。

砂埃を巻き上げて、ロボットが後ろに倒れていく。


 美月のことを庇うかのように、目の前に、何者かの影が下り立った。


「姉ちゃん、無事?! 大丈夫?! 怪我は?!」


 そしてその人物は、振り返った。

見間違うはずが無い。だが、見間違いなのではと疑ってしまう。

しかし、そうでもなければ、偽物というわけでもない。


「そ……ら……?」


 まさしく、目の前に立っているのは。

 美月の知る穹という人物、そのものだった。

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