phase6「戸惑いと迷いと」
土曜日のこと。
空は綺麗な青色で、雲は緩やかに流れている。鳥はのんびりと飛んでおり、吹く風はぽかぽかとした太陽の暖かさを程よく冷ましてくれる。
実に気持ちの良い日和だった。だから、美月は外に出たのだ。自分の気持ちが、全てとは言わずとも、ほんの少しだけでも晴れてくれるのではと祈って。
しかし。
美月はベンチに座りながら、大きく肩を落とした。
目の前を、大きな川が流れている。水面に光が反射し、星屑をちりばめたように輝いている。いつもは綺麗だと感じるのだが、今日は何とも思わなかった。
服屋や雑貨屋に入ったり、美味しいものを食べたりと、普段なら心が弾むことをしても、依然と沈んだままだ。
気分転換をしようと思っても、出来ない。
その理由は、見当がついている。
美月は、開かずの間でも覗き込むようにそ~っとした様子で、自分の左手首を見た。
黒い液晶画面に、黄色いベルト。一見腕時計か何かに見える代物。だが、違う。
これはコスモパッドというものだ。地球の物ではない。
その姿を、その事実を認めると、ぱっと素早く、美月は目を逸らした。
両手で顔を覆う。ああ、と無意識のうちに声が漏れる。
ハルの警告が気になり、一応外出時には必ずこれを装備しているが、幸いなことにまたロボットに襲われるようなことは無い。
むしろ不気味なほどに、平和な日常が続いていた。
美月の心情は、平和とは程遠かったが。
数日前に起こったあの一件、美月はハルのもとに行っていない。
顔を合わせたら、あの頼み事を持ちかけられそうな気がして、意図的に避けているのだ。
あまりにも短期間のうちに色々起こりすぎて、美月の頭はパンク寸前だった。
宇宙からロボットと赤ちゃんがやってきて、敵とみられるロボットがやってきて、突然変身して、戦って、勝って、かと思えば宇宙人のロボットに、守ってほしいと頼まれ……。
この先、自分がどうすればいいのか、どうするのが最善なのか、まるでわからない。纏めることが出来ない。
だから、ハルの頼みをどうするか意見を決めなくてはならないが、結果的に先延ばしになってしまっていた。
気持ちを落ち着かせるため、整理するため。外出したはいいが、結局美月はもやもやとした心を抱えたままだった。
顔を上げた先に、空が広がっている。昨日と同じで、明日も変わらずにずっとそこにあるような。そんな青空が、広がっていた。
この日もどうか、何事も起きませんようにと、密かに美月は祈った。
美月は首を振り、埒があかないと、力をつけて立ち上がった。
こんなんじゃ駄目だ。明るくいこう。気分転換すると決めたのに。
そういえば、20分程歩くが、この辺りにプラネタリウムのある科学館があったはずだ。
そこに行こうか。大好きな星空を見たらきっと気分が晴れるかもしれない。
……いや待て。ハルやココロやあのロボットのことを連想して、プラネタリウムどころではないのでは。
そう結論が出て、美月は力なくベンチに座った。
膝に肘をつけ、頬杖をつきながらぼんやりと目の前の川面を視界に入れていると。
「姉ちゃん?」
とん、と肩を叩かれ、振り返った先に、穹が立っていた。
突如出会った知った顔に、美月は驚きつつも、自然と顔が綻ぶ。
「穹、どうしたの? こんなところに」
「僕はほら、この近くの図書館に行こうと思ってたところ。姉ちゃんは?」
「私はちょっと、色々なところぶらぶらしてる」
美月が先程行こうと考えた科学館のすぐ近くに大きな市立図書館があるのだが、穹は休みの日に、よくそこへ向かう。穹曰く、天国とのことだ。
少し会話を交わしたあと、穹はそろそろ行くねと手を振った。一緒に来ると誘われたが、美月は断った。今は正直、それどころではない。
穹はちょっと残念そうな顔をしたが、頷いて手を振った。
去り際、美月の左手首に視線を落としていった。興味深げな目をしていた。
このコスモパッドのことは、数日前、これを手に入れてすぐに、穹に気づかれた。
咄嗟におもちゃだと言い訳したが、そんなの見たことない、とかなり際どいところまで怪しまれた。
が、美月の挙動不審さに逆に見逃してくれたのか、それ以上の追求は無かった。
あの流星群の日、ハルとココロとの
美月は何度も、人に嘘を吐いている。
これまでだって何度も嘘を吐いた。小さなものから大きなものまで。
でも、この嘘を吐くときは。
(なんか、寂しい)
心に小さな隙間のようなものがあるような気がして、何とも言い難い気持ちになるのだ。
自分は少し進みすぎたかもしれないと、美月はふいにそんなことを思った。
ここ数日、どこか孤独感を覚えていた。
どんなに親しい家族や友人達と一緒にいても、寂しく感じるのだ。
置いてきぼりにされた孤独感とは、また違う寂もの。
例えるとするなら、誰かと一緒に歩いていたはずなのに、ふと隣を見るといつの間にかいなくて、振り返ったら遙か後方にいた。
そのような感覚だ。
自分だけ、ただ独り、うんと遠い所まで、もう戻りたくても戻れない場所まで来てしまったのではないか。
美月は左手首を見た。
そこについてるものを見る目線が忌々しげなものになっていたことに、気づいた。
川沿いの遊歩道をゆっくりと歩く。
漂ってくる川の音、水の匂い。その爽やかさにつられ、自然と前を向いて歩く者が多い中、美月は一人、目は伏せていた。
放っておけば良かったのだろうか。
この数日、迷いながら、混乱しながら、幾度となくそう考えた。
あの流星群の日、落下していく光を見たのが、全ての始まりだった。
それに興味を持ってしまい、見に行った。
その先でハルを見て、逃げ出したはいいが結局そのあともう一度見に向かって、
にわかには信じがたい色んな話を聞いて……。
そして看板メニューをご馳走して、その数日後に……。
(あの時机の端末に触らなければ……。いや、宇宙船に行かなければ……。というかあの朝、近道をしなければ良かった。そうすればあの変なロボットだって見かけなかったんだし……。そうしたら……。ううん、違う。そもそも、流星群の時、確認をしに行かなければ良かったんだ。見間違いと思って寝てしまえば、こんなことには……)
どんなに後悔しても、もう過去はどうやっても変えられない。
悶々とした頭を抱えながら、俯いて歩く。
街路樹の木々が織りなす様々な影の形が、煉瓦の敷かれた歩道に描かれていた。
何人かとすれ違った後、美月はええいと頭を振って、顔を上げた。
(せっかく頭をリフレッシュさせるために来たのに、逆に使ってどうするの! やめやめ!)
その先の道は、緩くカーブになっていた。
カーブの外側に、ココロをおぶったハルが立っており、川を見下ろしていた。
「わあああああ???!!!」
向こう側から歩いてきた家族連れが、突然叫んだ美月に白い目を向けながら、
足早に去って行った。
まずいと感じ取った美月は、「ちょっと!」とコートの裾を掴み、遊歩道から離れた比較的人気の少ないベンチまで引っ張っていった。
「ハ、ハル、ど、どうしてここに?」
「私こそ驚いている。ミヅキこそどうしたんだ?」
「私は特に……。ただちょっとした散歩を」
「そうか。私は、図書館に行ってたんだ」
言いながら、その方角を指さした。
「情報収集をしようと思ってね。この町で一番情報が手に入る場所を探したら、その図書館が最適だろうと思った。科学館という場所にも興味を持ったが、あいにくと私はこの星のお金を持っていないので、諦めた。で、今は休憩と、あと何か新しい情報が無いかと思い、ここを訪れた」
「大丈夫? 見られたりしてない? 確か姿は消えてても、手にした物は消えないって言ってたけど……」
ハルが見えていない人にとっては、本がぷかぷかと浮いているように見えることになる。
もしそんなものを見られた日には、大騒ぎだ。
「その辺はぬかりない。ちゃんと人気の無い場所で用事を済ませていたからな」
そう言うものの、万が一を考えると、不安は拭いきれなかった。
複雑な表情をする美月に、「ああ、それと」と口を開いた。
「ちょっと試したいことがあってね。一応ミヅキにも話しておこう」
「えっ、何?」
「そのコスモパッドの元となる端末があるだろう?」
忘れもしないので、美月は苦い顔で頷いた。
あれに興味翻意で触らなければ、そしてあのテストなどというゲームをプレイしなければ。
そんな思いが渦巻く美月を置いて、ハルは更に続ける。
「あれをな。外に置きっ放しにしてみた」
「うん。……え?」
美月は、目を白黒させた。
「ど、どういう意味……?」
「ミヅキがなぜ、あのテストに合格できたか、あれからどう考えてもわからなかった。それくらい、合格するのは至難の業なんだ。そしてふと思ったんだ。もしかしたらこの地球人というのは、軒並みテストに合格できるだけの技量を持っているのではないかと。そこで、ちょっと試してみることにした。合格者が現れるかどうか、試している最中なんだ」
その話の合間に、ココロのあうあうという喃語が混じる。
「私の経験則からいうと、百人がテストして合格者は三名。それくらいの確率だ。だが、ミヅキはいとも簡単に合格した。それがミヅキの力なのか、それともこの星の住人特有のものなのか、判断が出来ない。偶然なのか、必然なのか。それを見極めようと思った」
ハルはテレビ画面の下の方に、手を当てた。
「あの図書館の前にテーブルがあったからな。あそこに一台タブレットを置いた」
「それだと、誰かが忘れ物として警察に届けるかもよ?」
「ご自由に遊んで下さいという立て札を置いてあるから平気だ」
ぐっと、ハルは親指を立てた。
「それに、面倒なことになりそうだったら何とか片をつけるさ。もし合格者が出た場合は、クリアモードを解除して、一切合切の事情を話す。騒ぎになりそうだったら、そうなる前に関連した記憶を消去する。というより、しばらくの間その人物がどういう人かをちゃんと調べる」
だから大丈夫だと、ハルは今度両方の親指を立てた。
考えた案に自信があるのか、ハルの口ぶりが、いつもより饒舌に感じられた。
美月は気づかぬうちに、頭に手を当てていた。
「えーと……どうして急にこんなことを?」
「ミヅキ一人に守らせるには、荷が重すぎると考えたからだ」
「……私は、まだやると決めたわけじゃ」
聞こえるか聞こえないかくらいの声量で呟いたが、ハルは「わかっている」と頷いた。
今ここでやるかやらないか、答えを出すのが一番良いタイミングなのだろうが、
まだ美月は審議中だった。
静かにため息が零す。
もし他にテストに合格出来た者がいたとして、その人物がハルの頼みを聞いてくれるかどうかわからない。
まず無理だろうなと、美月は思っていた。騒がれるのがオチだろう。
むしろ、どうして自分は何だかんだ言いつつ、受け入れられたのだろうか。
ハルの大胆すぎる作戦に、呆れと驚き混じりで、腕を組んだ時だった。
突然、その場の空気が変わった。張り詰めたような気。
それを辿った先には、ハルがいた。
いつかの時のような、険しい空気を纏っている。
何事かと問おうとした時。
「……来てる」
囁くように、小さな声だった。
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