phase1.1
その翌日のこと。美月は学校帰り、穹に案内されて、古本屋に向かっていた。
昨日、学校で穹に近道を使ったことがばれ、黙っておく代わりに本を買ってほしいという取引を持ちかけられたのだ。交渉の末、古本でということで取引を成立させた。
穹は不満そうだったが、買ってあげるという約束を取り付けたのだから、やたら張り切っており、わくわくとした様子を隠せていなかった。今もそうだ。
近道をしたせいでこんなことにと美月は少し悔しい思いをしていた。弱みを握られると、何かをねだられたり、こちらが不利なことを持ちかけられるのは覚悟しておかないといけない。美月も穹に何度かやった。
それと同時に、別のことも気にかかっていた。
一体、あの機械はなんだったんだろうか。
あの機械の詳細を話した途端、ハルの様子が明らかにおかしくなった。
詳しいことはまるで教えてくれなかった。しかし、ハルはあの機械のことを何かしら知っているのは間違いない。
心の中に、ざわざわとこれから強くなりそうな風が吹いているような、そんな気分だった。胸騒ぎとでもいうのだろうか。
もやもやとしていると、いつの間にやら目的地である古本屋についていたようだ。
考えるのに夢中になるあまり、気づかず通り過ぎてしまいそうになったので、「姉ちゃん、どこまで行くの?」という穹の声に、やっと現実に戻れた。
ここだよと穹が指さす先には、年季を感じる木の看板が掲げられた、木造の二階建ての家があった。
看板の下には藤色ののれんがかかっており、その向こうに磨りガラスのはめられた木のドアが見える。
ワゴンの上に置かれている、塔のごとく高く積み上げられた本に驚く美月を置いて、穹は慣れた様子でのれんをくぐり、ドアを引いて中に入っていった。
遅れて中に入った美月は、更に驚いた。
六坪程度の小さくこぢんまりとした本屋だったが、壁と中央に鎮座する書棚には、びっしりと隙間なく本がしまわれている。
少し薄暗い店内に、古くなった紙やインクの独特の匂いが漂う。
穹の「この匂い、大好きなんだ」との台詞に、さすが本の虫だと美月は感心した。
奥の小型レジスターが置かれている番台に、源七と同い年くらいの男性が座っていた。
深緑の着物を着ており、ぱっと見では店主というより小説家に見える風貌だった。
目が合ったので、美月は軽く会釈をした。
穹はこの店主とかなり親しいようで、こんにちはとお辞儀した。
「今日はガールフレンドと一緒かい?」「違います、姉です!」というやりとりを交わしている。
「やっぱりな」とからかうように笑った後、店主は二人を交互に見て、「ゆっくり選んでってくれよ」と言い、顔を下げた。
よく来るの? と美月は尋ねると、かなりの頻度で来ているのだと穹は頷いた。
もう既に絶版されていたりなどで、希少価値の高い本を見つける事が出来たりするのだと。
思いもよらない掘り出し物が発見できたり、古本なので普通に買うよりも安く手に入ることが出来るので、読書好きとしては宝島のような場所なのだと、穹は熱量は伝わるが小声で語った。
「で、穹、どれにするの?」
「今選んでる最中。ああどうしようかなぁ……」
小説と書かれた札が置かれている場所で立ち止まった穹は、うーんと眉をひそめながら
目についた本を手にとっては眺め始めた。
「あれもいいし、これもいいしなぁ…」
「あんまり沢山は買えないよ?」
念を押したものの、穹は「わかってるってば」と心ここにあらずな返事をするだけだった。
長くなりそうなので、美月はしょうがなく本棚を眺めた。
美月は読書嫌いというわけではないが、穹ほどの本の虫とは程遠い。
狭い店内をゆっくり歩き回っていると、ふと星に関する専門書が目にとまり、何となく気になったので読んでみた。
専門書ではあるが、玄人向けの難しいものではない。
読みやすかったし、中々面白かったので、買うことに決めた。
また店内を一周しようとした時、穹が駆け寄ってきた。手には一冊の本がある。
「姉ちゃん、決まったよ」
「えっ、珍しいね、穹がこんなに早く決めるなんて」
「ちょっと気になってたのが見つかったからさ」
美月の前に、本を差し出される。
ロボットと歯車が印象的な表紙だった。少なくとも今の美月には、印象的だった。
「……ロボット?」
「そう、ロボットに関する色んな話が収録されてるんだよ。姉ちゃんも読んでみる?」
「い、いや、遠慮しとく」
本はかなり古く、著名の所には外国の人名が書かれている。
恐らく小説の中でも古典に入るものなのだろう。
何となく難しそうな、自分にはとても読めなさそうな気がして、美月は苦笑しながら首を振った。
「そう? でも、気になったらいつでも言ってよ。貸すからさ。ってあれ、姉ちゃんも本買うの?」
美月の持っていた本の表紙を見た空は、「また難しそうなの買ったね……」と、感心と呆れが混じったような表情をした。
「え、そうかな?」
「さすが姉ちゃんって感じだね」
どの辺りがさすがなのだろうかと思ったが、結局聞かなかった。
穹のも含めた本二冊を買い、古本屋をあとにした。
「ありがとね、姉ちゃん」
「ううん。それにしても、穹がSFなんて珍しいね」
現代小説を好んで読む穹が、なぜ新しいジャンルを開拓しようと思ったのか。
聞いてみたところ、穹の好きな作家が、この前の新作でSFを書いたのがきっかけだという。
「面白いんだよ~。ロボットが世界を冒険する話なんだ」
弾む声で、穹はあらすじを説明する。
しかし内容がやけにタイムリーに思えて、美月の体を冷や汗が伝った。
そういえばハルも、自分は旅人とかなんとか言っていたような気がする。
とても他人事には思えなくて、美月はなんだか落ち着きがなくなってきた。
「この小説、続き物なんだよね。このロボットは敵に追われてるんだけど、その敵の偵察隊がじっと見つめてるシーンで終わってるんだよ……。凄く不気味に書かれててさ、ちょっとトラウマになりそうだった。やっぱり敵って、不気味に感じちゃうものだよね」
すると穹は、ふいに美月の顔を覗き込んできた。
「どうしたの姉ちゃん。顔が真っ青だよ」
しかし美月は答えない。答えられなかったのだ。
心臓が忙しなく動いている。
ハルの、急に変化した様子。あの、見かけた機械の尋常でなく感じた不気味さ。
今それらが結ばれ、一つの線になったような気がした。
美月は顔を上げた。その目線の先には、あの裏山が見える。
ハルの元に向かう必要は無い。用事も特にない。
しかし……。
「ごめん、穹。用事思い出した。先帰ってて!」
次の瞬間美月の足は、そちらへと向かっていた。
穹の混乱したような声が聞こえてきたが、それはどんどん遠ざかっていく。
とにかく、いてもたってもいられなかった。
嫌な予感。胸騒ぎ。
穹の言葉を聞いた瞬間、それらは明確な形となって、美月の身に降りかかってきたのだ。
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