Chapter2「忍び寄る影」
phase1「不吉な風」
「ひいいいいいい!!!!!!」
今、美月は全力疾走の四文字にふさわしい走りをしていた。
傍を通りかかった人の衣服がはためき、通り去った先にいた犬が吠える。
しかしそんなことはお構いなしで、とにかく前だけを見て、走り続けていた。
息は上がって上手く呼吸が出来ておらず、横の腹は痛むが、それを庇いながら、
一心不乱に次から次へと地面を蹴る。
なぜ、美月はこんなにも一生懸命走っているのか。
理由は至極単純で、遅刻しそうだからだ。
寝坊した挙げ句、何度も忘れ物をして家に3回引き返していた。
しかも、いつもなら自転車で通学するのだが、よりにもよって3回目に引き返した時に、狙ったようにしてチェーンが外れるという事態が起こった。
直している時間など無く、走ることにしたのだ。
弾丸のように走りながら、朝ちらりと見たテレビの占いで、今日自分の星座が最下位の順位だったことが、頭をよぎった。
当たっている。しかし今そんなことを考えてる場合ではない。
腕時計を見て、さあっと血の気が引いていくのを感じた。
このまま走って行ってたとしても、どう考えても間に合わない。
時計の針が指す現実は、あまりにも無情だった。
「ええい、もうしょうがない!」
美月は、さっと横道にそれた。
一番の最短距離で行くには、道無き道を強引に突破するのが最も手っ取り早い。
美月には実は、小学生の頃から使っている、自力で見つけた自分だけの近道を持っている。
危険な道のりなので使わないにこしたことは無いのだが、遅刻などのやむを得ず急がなければならない日は、その裏道を使う。
まず美月は路地裏に入った。
進んでいくと徐々に壁と壁の間の隙間が狭くなっていくので、体を横にさせて強引に進む。
少しいくと路地裏が終わるので、そこで一気に駆け出した。
もう長いこと使われていなさそうな、遊具の少ない小さい公園を突っ切り、
その公園にあるブロック塀の下の方に開いている穴に体をかがめて潜り込む。
そしてまた、公園の隣にある草ぼうぼうの空き地を走って突っ切る。
ハエか蚊か、とにかく小さな虫が沢山飛んでいるし、大きいバッタが美月の前をピョンと跳んだが、構わず全速力で突っ切る。
空き地を囲う立ち入り禁止のロープをジャンプして跨ぎ、向かいの知らない民家の庭をこっそりと抜ける。
そして、その家の裏手にある雑木林の中へと入っていった。
その林の中を少し行くと坂道になっており、その坂を上っていくと、ちょうど学校の裏門のすぐ前に辿り着く。
普通に歩いたほうが早いのかもしれないが、少なくともこれで5分は短縮された。
更に急がねばと、美月は坂道を駆け上っていった。
この雑木林は、勿論誰かがここを通ることを想定されてなどいない。
普段人が通ることなどまずないし、だから道もない。獣道ぐらいだ。
おまけに背の高い草や木が生えているので、日中でも薄暗い。
ギャアギャアというカラスの鳴き声が辺りに響く。風が吹き、草木が音を立てる。
雲が陽を隠し、辺りが更に暗くなる。
気温が下がり、冷たい風が美月の足を撫でていく。
しかし遅刻への恐れのみが脳を占めている美月は、辺りに不気味な空気が蔓延していることに全く気づかない。
辺りが寒くなっていることにも、暗いことにも、カラスの鳴き声や草木の唸り声も。
走りながら確認した時計に思わず安堵して、顔が緩む。
もう少し走れば林を抜けるという、その時。
非常に強い風が、辺りに吹き渡った。
草が揺れ、木の葉が舞い落ち、鳴る。
大きな音が服をはためかす。
美月はそこで足を止めた。ようやく、周囲の雰囲気がただならないものを帯びていることに気づいた。
5月とは思えない、冷たく寒い風が未だに吹いている。
強くはないが、だからこそ余計におどろおどろしい。
カラスの飛び去る音が聞こえた。何の変哲もないただのカラスの羽音なのに、それはやけに大きく感じられた。
つられた美月が上を見上げると、やけに木々が高いように見えた。
その木々の隙間から、少しの青空と、旋回するカラスが目に映った。
鳴き声がこだまする。まるで、下にいる美月に何かを伝えようとしているかのように。
ずっと吹いていた風が、ふいにやんだ。何の前触れも無く、突然。
カラスも、どこかへ飛んでいき、見えなくなった。
美月は首を元に戻した。だが、その場から動くことはできなかった。
まだ、辺りに漂っているのを感じるのだ。
いつもとは違う風が。普段は感じない、不穏な空気が。不吉な空気の流れが。
美月は瞼を下げた。
目を閉じると、ますます静かに感じる。怖いほどの静寂だった。耳鳴りが聞こえる程だった。
「ヴィーーーン……」
その中で、確かに聞こえた。
風の音でも無い、植物の音でも無い、生き物の声でも無い。
とても小さいかすかな音だったが、あまりにも場違いすぎる、機械が作動しているような音。
聞き間違うはずがない。
美月は恐る恐る、音のした方向を見た。
一歩だけ踏み出し、生い茂る木々の隙間に、目をこらした。
木と木の間を縫うようにして、何かが飛んでいた。
それは、見間違いで無ければ、灰色の球体だった。
見てくれでは、サッカーボールよりと同じくらいだろうか。
その球体にはアンテナのようなものがついており、先端には点滅する赤い球体がついている。
更に球体には、よく見ると模様のようなものが描かれていた。
星形に、角張った形状の翼が生えているような絵だ。
更にその星形の中に、何かが描かれている。
しかし確認する前に、その球体はふわふわと、しかし規則性のある動きで、どこかへ行ってしまい、見えなくなった。
姿形からして、ぱっと見では、ボールが飛んでるのかと思った。
しかし、空を飛ぶボールなど、この世にあるだろうか。
そして、アンテナのついているボールなど、あるのだろうか。
そんなものはない。少なくとも美月の知る限りでは。
ボールではない。しかし生き物でもない。生きている気配が感じられなかったからだ。あれは、間違いなく機械だ。
そして、地球の機械ではないだろうと。その直感もあった。
あれが、この星で作られた物には到底見えなかった。
なぜだろうか。得体の知れない恐怖が身を包んでいくのがわかる。
平たく言うのなら、嫌な予感がする。未来に暗雲が立ちこめていくような、そんな気配を感じるのだ。
ぶるりと身震いし、鳥肌の立つ二の腕をさすったまさにその時。
どこからか、学校のチャイムが鳴り響いた。
学校が終わった後、美月はそのままハルの宇宙船へ来た。
あの、宙を飛んでいた球体。
見間違いかとも思った。しかしこの前から不思議の一言では片付けられないほど
様々なことが起きているので、色々疑ったり考えるのはやめることにしたのだ。
ハルの時のように色々考えてしまうと、また何も手がつけられなくなってしまう。
それにハルの時と大きく違うのは、そのハルがいるのだ。
きっと、何かしらのことは知っているだろう。そんな予想を立て、早速出向いたのだった。
ハルは宇宙船の前にしゃがみ込んで何やら作業をしていたが、すぐに応対してくれた。
ココロは美月を見ると、にっこりと笑顔を浮かべてくれた。
美月はそのことにじんわりと嬉しくなり、その勢いで、今日学校であったことなどをしばらくの間話した。
ハルは上がっていくよう誘ったが、美月はこの後用事があるからと、やむを得ず断った。今日美月は家の掃除当番なのだ。サボるとお小遣いが減らされてしまう。
時間が無いので、単刀直入に美月は本題を出すことにした。
今朝、訳あって近道をすることになったんだけどと切り出し、その時おかしなものを見たのだと続ける。
ハルは興味深げに、少しわくわくとした調子で「何を見たんだ?」と尋ねてきた。
ハルを取り巻く空気、雰囲気が突然変わったのは、美月がその見た物の外見を説明してからだった。
「……球体?」
「うん、そう。何か知ってるかなって」
詳細を話すよう頼まれ、美月は目を閉じて記憶を辿った。
心なしか、場に緊張感が満ちていく。
「色は灰色で、大きさは……サッカーボールくらいだったかな、確かこれくらいの大きさで」
美月は、大きさを手で再現する。ハルはそれをじっと見ていた。
「で、ふわふわ~と飛んでいったの」
手をグーの形にして、その球体の飛び方の再現をする。
ハルはそれを見終わると、「他に特徴は?」と聞いてきた。堅い口調だった。
「うーんと……。アンテナみたいなものがついてたかな。機械音もちょっとしてた」
「他には? どんな些細な事でもいい」
記憶を懸命に辿り、あ、そういえばと思い出した。
「なんか、体に模様がついてた……かも」
「……模様? どんな模様だ?」
その声は、それまで聞いた、どのハルの言葉よりも堅く、また低い声色だった。
尋常ではない気配に、美月は慌てて再び目を閉じ、なるべく鮮明に思い出そうとした。
ちゃんと思い出さなくては。なぜかはわからないが、そうしないといけないような気がしたのだ。
「星形で……あと確か翼みたいなのがそこについてて……。あとは……えーと……」
しかし、記憶の映像は肝心な所にモザイクがかかっている。
何しろ機械を見たのは時間にして一瞬のことだったし、模様を見たのは更に短かった。
額に手を当て、モザイクを懸命に取り払おうとするのに夢中だった美月は、
ハルの更に強くなった、ただならぬ空気に気づかなかった。
ふいに目を開けたとき、ちょうどココロがつけてあるハートの髪飾りが目に入った。
その瞬間、記憶の中のモザイクが突如として消えた。
「あっ、思い出した! 二重のハート模様もあった! 赤と、青の!」
「二重のハート……」
「そうそう! 星形の中にその模様があっ……て……」
そこでやっと場の空気に気づいた美月は、口をつぐんだ。
その中心にいるハルは、全くの冷静だった。むしろ、冷たさを感じた。何も宿っていない、無機物の冷たさを。
異常なまでのハルの静かさに、美月はこれ以上言葉を発することができなかった。
「違うかも……しれないけど……」
何かまずいことでも言ったのか、それともしたのか。
よくわからないが、見間違いかもしれないと一応伝えておいたほうがいいかもと直感した。
これまでの人生の中で見たことがないほど、ハルは鬼気迫る雰囲気を放っていたのだ。
その張り詰めた空気の中、突然「ミヅキ」と話しかけられ、条件反射で
「はいっ!」と背筋を伸ばす。
「その星形は、どういう星形だった?」
「普通の星形じゃなかったような……。で、でもごめん、詳しくは思い出せなくて」
「……いや、いい。……翼の形状は? 覚えているか?」
「あ、いや……。あ、でも機械っぽい角張った感じだったかな。鳥とか虫とかの羽とは全然違ったはず。天使や悪魔の羽とも……」
「星……。翼の形状……。二重のハート……」
ハルは俯いた。何かを考えているのだろうか。
しかし、その考えてる内容は、およそ穏やかじゃないものであろうことは想像できる。
ピリピリとした空気が、ハルから発せられているようだった。
いや、そんな生やさしいものではないかもしれない。
もっと緊張感があって、切羽詰まっていて、鬼気迫っていて……。
「……わかった。ありがとう」
ふいに顔を上げそう言ったが、周りの空気は変わらない。
ありがとうの言葉も、実に事務的に聞こえた。
「それは……どこで見たんだ? なるべく具体的に教えて欲しい」
言うべきか、言わざるべきか、一瞬悩んだ。
全く違う場所を教えてしまおうかとさえ思った。
しかし、有無を言わさまいとする空気が美月を捕らえて放さない。
絶対に言わせるという圧が、見えないはずなのに見えた。
美月は、今朝自分が通った近道の方角を無言で指さし、見かけた場所をなるべく詳しく説明した。
「わかった」
ハルが頷くやいなや、美月は「私、そろそろ……」と帰り道の方向を向いた。
弱い電流が流れているような空気だった。このままここにいたら、この空気に感電してしまいそうだ。
ハルの言葉を待たず、美月は背を向け、逃げ去るようにしてその場を後にした。
電気を帯びた空気は、山を下りてもまだついてきているようだった。
「もう、か」
美月が去って行った方向を見ていたハルは、やがて、美月が今朝通ったと言っていた
近道がある方角を見やった。
顔があって、表情があるならば、今のハルは、険しい表情で、その方向を睨んでいるように見えることだろう。
「予想以上に、早かったな」
そちらの方角に、一歩踏み出す。土と草を踏む音がした。
草の匂いを乗せた柔らかい風が、辺りを吹き抜けていく。
腕の中にいるココロが、ハルの指を掴んで遊んでいる。
ハルはしばらくの間その姿を眺め、また顔を上げた。
「どうやら」
“奴ら”が、来ている。すぐそこまで。
ハルはきびすを返し、宇宙船内に入った。
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