phase4.2
「ハル、どうし……」
「……辛すぎず甘すぎず、老若男女になるべく合うように調整された辛さのルー……」
「……え?」
小さく口が動き、ぶつぶつと言葉が紡がれる。だが、どこか様子がおかしい。
「飲み込んだ後も、じんわりと舌に残る味……。野菜と果物とスパイスと……様々な食材のだしがルーに染み出していて、それが味に深みとコクを出している。飲み込んだ後も、名残惜しくてもう一口と、おのずと運んでしまうようになっている……」
「はい?」
「む? 成る程。玉ねぎは完全に煮込んでルーと同化しているのか。しつこくない甘みの原因の一つはこれか」
「ん? え?」
「しかも、卵の部分と一緒に食べられるように、具材の大きさが一口大よりも小さく切ってあるという配慮まで……」
「なに? なに?」
「卵も、これ単体には何の味付けもされていないのに、なぜか、これもまた深い味わいが広がる……。一緒に食す事により、カレーの辛さが緩和され、ちょうどよくなる。この料理を食べた者が、美味しく、楽しく、幸せに感じられるように、隅から隅まで計算され、配慮されている……」
「……よくわからないけど、お口に合ったってことでいいの?」
最初は小さく呟いていたのが、段々と声が大きくなり、更に早口になっていった。
グルメレポーターが言うような台詞を早口で言っていたが、言ってることの半分も
聞き取れなかったし、聞き取れたもう半分も理解できなかった。
矢継ぎ早に長い台詞を言う姿は、壊れたのではないかと不安に感じてしまうほど
不気味だった。
しかし、台詞の内容から察するに、どうやら気に入ったらしい。
言っている意味はわからなかったが、それだけはしかと伝わってきた。
「ミヅキ、食べるということは単にエネルギーを補給するための行為だと考えていた。そのためだけに、どうして人間は力を尽くすのかと。しかし今、考えが変わった。人間は幸せを得る為に、オムカレーを食すのだな」
「オムカレーだけに限らないけど、まあそうだね! ハルはどう? 気に入った?」
「これはとてもレベルが高い料理だ。全てが計算し尽くされている。全てが黄金比のバランスとなっている。地球全体で見ても、かなりの上位に入るのではないだろうか」
「ちょ、ちょっと待って、そんなに?!」
まさかここまで褒めてくるとは思わず、動揺した。
わたわたと左右に両手を振る。このままでは褒め殺しにされてしまうと感じた。
「あくまでも、私の分析だが。だが、お世辞でも嘘でも無い。私は、この店に非常に興味をもった。他の料理も、もっと食べてみたい」
「えっ、本当?! わかった! 今日はオムカレーだけだけど、また別の日、他の料理もご馳走しちゃう!」
「嬉しそうだね、ミヅキ」
「そりゃあ凄い嬉しいよ! 誇らしいよ!」
軽く飛び跳ねながら、美月はハルの向かいの椅子に腰掛けた。
「他のも食べてみたいって言ってくれて、とても嬉しいよ! ありがとう!」
「そう言いたいから言っただけなんだけどね。でも、どういたしまして」
ハルは軽く礼を言い、またスプーンを動かし始めた。
とその時、ココロがオムカレーに向かって手を伸ばした。
気になるのだろうか。しかしハルに「まだ駄目だ」と遮られ、不満げな悲しげな表情になる。
「今度、ココロでも食べれそうなものを探して、用意するよ! ね?」
美月が身を乗り出してココロにそう言うと、今にも泣き出しそうだった目がすっと治まった。
「匂いにつられたのかな?」
「見た目かもしれないね。それにしてもこのオムレツ、少し堅いところと柔らかい所があるな」
「え、何で今痛いとこついてくるの……。オムレツ作るの苦手なんだよ、私……。作り方はお父さんとお母さんに教わった通りにきっちり作ったんだけど……」
胸を手で抑えるような仕草をした美月に、ハルは「なるほど、道理で」と一人言のように呟いた。
「なるほどって何……!」
軽く腰を浮かせながら睨み付けてくる美月に、ハルは冷静に首を振る。
「オムカレーの美味しさの理由がわかっただけだ。君の親……ここの店員に教わったというなら、納得がいく。でも、レシピ通りとはいえ作ったのはミヅキだ。料理の才能が感じられる。どんどん伸びていくだろうし、将来これ以上のものを作れるようになるだろう」
そんなハルの言葉に、「そ、そう……?」と美月は座り直した。
見込みがあると言われて正直、悪い気はしない。むしろ、跳び上がりたくなるほど嬉しかった。その気持ちをなんとか静めながら、にやける顔を手で隠す。
「でも、お父さんとお母さんの作ったオムカレーのほうが絶対美味しいよ。だって私、まだ本当のレシピを教えられてないもの」
「本当のレシピ?」
ハルは少し首をかしげた。
「隠し味のこととか、そういう裏の味付けが書かれたレシピ。それが書かれてないレシピは教えてもらったんだけどね。知ってるのはお父さんとお母さんと、あとおじいちゃんだけ」
彼らが料理を作ったときは、自分が作ったときには無い味が追加されている。
それは具体的にどういうものかわからないが、無いと全く異なる出来になるとわかる、必要不可欠なものだということはわかる。
「本当のレシピは、私が本当にこの店を継ぐときに贈呈するんだって」
「そういうことか。納得した」
うんうんと頷くハルに、「私、その日が凄く楽しみなんだ!」と、美月は店の天井をあおいだ。吊されたシェードランプが、淡い光を灯らせている。
「で、いつか来るその時まで、独学で、見よう見まねでやっていこうって、そう思ってるの。お父さんもそうだったんだって。お母さんと結婚して、この店で跡継ぎとして働き出すまで」
興味深げに、ハルはこちらを見た。もっと話してもいいということらしい。
「この店はね」と美月は口を開いた。
「おじいちゃんが若い頃に始めたんだ。おばあちゃんと一緒に。ミーティアっていう名前も、おじいちゃんが決めたんだよ。おじいちゃんは、星が凄く好きなの」
「星が……」
その言葉にハルはかすかに反応を見せたが、美月は気がつかなかった。
「何年か経って、お母さんが生まれたの。色々大変な事も数多くあったけど、でも3人で力を合わせて頑張った。辛いこと以上に、幸せなこと、嬉しいことが沢山あったって、おじいちゃんは言ってた。でもね、お母さんが、私と同じ歳くらいの頃に、おばあちゃんが亡くなったの」
ハルは黙って耳を傾けている。そのことが、美月は嬉しかった。
「凄く悲しかったって。もう店やめようと思ったって。でも、やめなかった。他ならぬお客さん達が、店も、心も支えてくれたって、そう言ってた。おじいちゃんは、お母さんと二人三脚で、また頑張り始めたの」
ちょっと待っててと美月は席を立ち、コップ一杯の水を飲みにいった。
戻ってくると、少しオムカレーが減っていた。
「やはり、レベルが高い」
「おじいちゃんが作ったものはもっともっと美味しいよ?何てったって一代目だからね」
えへへと自慢げに笑いながら、再び椅子に腰掛ける。
「お母さんが二十歳ちょっとすぎくらいの時だったかな。その頃、しょっちゅう店に来てたお父さんが、おじいちゃんに頼み込んできたんだって。弟子にさせて下さいって」
「よくわかるな。この味だと」
ハルはオムカレーを見やり、また一口運んだ。
「でしょ? おじいちゃんも最初は断ってたんだけど、お父さんは全然諦めなかったんだって。で、おじいちゃんもとうとう根負けして、お父さんを働かせる事にしたと。さすがに弟子をとるような身分ではないからって、あくまでも店員ってことで。でも、それまでおじいちゃん誰かを雇った事はないから、実質弟子みたいなものなんじゃないかな?」
「ミヅキの父親は、なぜ弟子入りを頼んできたんだ?」
「お父さんは、もともと料理人になりたかったんだって。でも色々壁にぶち当たってスランプになっちゃって、挫折しかけてたんだけど、その時このミーティアに来て、このオムカレーを食べて、ピーンときたって言ってた。ここで働きたいって」
「なるほど……」
「それでまぁ色々あって、お父さんとお母さんが結婚することになった時、おじいちゃんが、本当のレシピをお父さんに渡したの。君になら任せられる、って。店員から、跡継ぎへと一気に上がったってわけ」
「それで今に至る、というわけだね」
「そう! そして何年か後に、今度はお父さんから、レシピを託されることになるってわけ」
「その台詞だと、ミヅキはこの店を継ぐつもりというわけか」
「うん! 私はね、この店が大好きなんだ。本当に大切なの。誇りに思ってる」
美月は、ぐるりと店内を見回した。
幼い頃から、ここは特別な場所だった。
常連客など、様々な人とふれあえる場所だった。
つい笑みがこぼれてしまうごはんを食べられる場所だった。
料理をする弦幸の背中が、接客をする浩美の背中が、いつもよりも大きく、頼もしく、純粋に格好良く見える場所だった。
父は、母は、店は、そして祖父は、美月にとって、大変誇らしい存在なのだ。
「おじいちゃんが守ってきて、今はお父さんとお母さんが守っている。将来は、私が守りたいなって、そう思ってるの。ここはね、私のもう一つの家みたいな場所なんだ。だから、凄く大切なの」
「……そうか」
ハルは小さくそう呟き、ほんの少し俯いた。
そして、残っていた最後の一口を運んだ。
「ごちそうさまでした」
「うん、お粗末様でした……って、凄い綺麗に食べたね!」
米粒一つどころか、カレールーまで綺麗に残されていなかった。
「とても美味しい料理だった。本当にありがとう」
「また食べに来てよ。まだ食べさせたいものいっぱいあるからさ!」
深々と礼をしてきたハルにそう言うと、「……うん」と頷いた。
少しの間があったのが少し気にかかったが、怪訝に思う前に、
「そろそろ帰るよ」と、ハルが席を立った。
「あれ、そう? デザートもご馳走しようと思っていたんだけど……」
「それはありがたい。でも早く帰らねば。伝え忘れていたんだけど、実はクリアモードにしていても、特定のもの以外は、触ったものまで消えるわけではない」
「つ、つまり……?」
「つまり、例えばフォークを持っていた場合、私の事が見えていない人から見たら、フォークが空中でふわふわと浮いているように見えるわけだ」
「え、えええ?! は、早く言ってよ!!!」
美月もつられて立ち上がり、振り返って店のドアを見た。
ドアは閉じられているが、いつそれが開かれて誰が入ってくるかわからない。
もしそんな光景を見られたら、大騒ぎどころではなくなる。
途端に焦りが出始めた。
「ど、どうしよう……!」
「だから、帰るんだ」
ハルは美月と向き直り、もう一度深々と頭を下げて、お辞儀をした。
「世話になった。本当にありがとう、ミヅキ」
「ちょ、ちょっと大げさすぎるよ……! 私は自分のしたいことをしただけだもん」
「それでも、ありがとうございました」
「えーと、それじゃあ、どういたしまして!」
店のドアに向かったので、美月も後を追おうすると、ハルがそれを手で制した。
「ああ、送らなくても大丈夫だ。ここでいい。それじゃあミヅキ、さようなら」
「うん、わかった!」
ココロがその時ちょうど、手を振った。ばいばいと言っているようで、美月も「さようなら!」と笑顔と共に、手を振り返した。
ハルはドアを閉める前に一つ頷き、出て行った。
閉じられたドアを見ながら、美月はハルがこの店のメニューを気に入ってくれたことを、ただ噛みしめていた。
今度は何をご馳走しようか、ココロでも食べられるものはと、既にあれこれ考えながら、食器を下げた。
ハルは、少し早めの速度で歩いていた。
ひどく考え込んでいるのか、緊張した空気を纏わせている。
ココロが、不安げな表情でハルを見上げる。しかし、ハルは気づかない。
ふいに、立ち止まった。
ハルの隣を、この星の人間が通りかかる。だが、ハルのほうには目を向けず、そのまま過ぎ去っていった。
「どうすれば……」
小さく発せられた声は、ココロ以外の存在には聞こえず、気づかれなかった。
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