phase4「食卓を囲めば」

 その日の18時すぎ。閉店した「ミーティア」の後片付けを手伝っていた美月は、

未だにもやついた心を引きずっていた。

テーブルを拭きながら、「はぁ……」と無意識の内にため息がこぼれる。


「姉ちゃんどうしたの? ため息なんてついて」

 すぐ近くで窓ガラスを拭いていた穹が、振り向きながら聞いてきた。心配しているというより、物珍しげな目つきをしていた。


「ちょっと色々あってね……」

「何があったか知らないけど、落ち込んでるなんて姉ちゃんらしくないよ?」

「うーん……」


 美月はテーブルを拭く手を止めた。

しばしうつむいて逡巡した後、穹に向かって顔を上げ、

「ちょっと今日ね、人……。……うん。人を傷つけてしまったんだ」と打ち明けた。


「知り合ったばかりなんだけど、ちょっと私、踏み込みすぎちゃって、相手にとって言われたくないことを言ってしまったんだ」

「そっかあ。うーん、でも、悪気があって言ったんじゃないなら大丈夫だと思うけど。その人、どんな反応してた? 怒ってたとか、悲しそうにしてたとかさ」


 美月はうーんと眉間にしわを寄せた。ハルは明確に怒ったり、悲しんでいる様子はなかった。だがそれが逆に、美月を不安にさせていた。


「怒ったり悲しんだりはしてない……多分」

「多分?」

 曖昧な言い方が気になったのか、穹は浅く眉をひそめた。だがすぐにその顔はにっこりとしたものに変わった。


「なら大丈夫だよ。姉ちゃんは人付き合いがわりと上手い方じゃん。もう一度ちゃんと謝れば、きっと許してくれるよ。それにもしかしたら、相手は全然気にしてないかもよ?」

 ね? と笑いかける穹に、美月の心は段々と軽くなっていった。


 確かにそうかもしれない。考えすぎにせよそうじゃないにせよ、明日もう一度会って、ちゃんと謝ろう。その決意が固まった。


「ありがとう、ちょっと楽になったよ。穹も頼りになるじゃない。たまには」

「たっ、たまにはって……!」

 穹がショックを受けて固まり、そんな弟の姿に美月が声を抑えて笑い出した、その時だった。


美月と穹の鼻が、スパイシーな香りを捉えた。この香りの正体を、二人はよく知っている。はっとした様子でカウンター席奥にあるキッチンを見ると、鍋の前に弦幸が立っていた。


「どうだい、美月に穹。今日のカレーの匂いは。実に美味しそうだろう?」

 その手にはうちわが握られており、表情はにやにやとした何かを企んでいる顔そのものだった。

宮沢家では夕食の献立に、カレーやハヤシライスなどの、残ってしまった店の料理が並ぶ。

飽きてないといえば嘘になるし、食べるまでには不満もある。

が、一度食べてしまえば美味しくて、美月も穹も、結局いつも完食してしまうのだ。


 ただでさえ店内にはほんのりと洋食の香りが残っていて、食欲をそそられる。しかしまだ耐えることのできる具合だったのに、蓋が外れてしまったようだ。


まず穹の腹の虫が鳴り、少しずれて美月の腹の虫が輪唱した。

 姉弟の脳内に、お皿に盛りつけられたカレーライスの姿が鮮明に思い浮かんだ。まるで本当に目の前にあるかのようだ。


「ほらほら二人とも、早く食べたかったら掃除を頑張りなさい」

 その言葉に、あっと二人はお互いの手を見た。雑巾が握られている手は先程からすっかり止まってしまっている。


「お父さんめぇ……!」

「姉ちゃん、どうしよう。本格的にお腹が空いてきた」

「あ、奇遇、私も! よし、穹! ぱっぱと終わらせてぱっぱと夕食の用意して、早くご飯にありつこう!」

「了解!」


 物凄いスピードで、しかし雑にならないよう気をつけながら、二人は机を、窓を、一心不乱に拭いた。


 未だ漂ってくる匂いに、本物以上に美化されたカレーライスを脳内に思い浮かべてしまう。

早く本物を口に運びたい、噛んで飲み込んで胃袋に収めたい。

しかしいくら想像しても、口の中にあるのは唾だけだ。


 それを飲み込みながら、ふいに美月は、ハルとココロは一体何を食べているんだろうと思った。


 ココロはミルクか離乳食か、どちらなのだろうか。

どちらにせよ、二人の様子を見るに、ココロはきちんとしたお世話をうけているようだ。

では、ハルはどうなのだろう。


(ハルは何のご飯を食べてるんだろう……。普通に宇宙食とか食べるのかな。それとも鉄とかの無機物? でもロボットだし、オイルとかエネルギーとかかなぁ。あ、でも電池式かもしれない……。いや待てよ。まさかまさかのゼンマイ式?)


 そこまで考えたとき、また腹の虫が鳴いた。しかも今度はかなりの大声だった。

美月はとにかく、掃除を終わらせることだけを目標にすることにした。




 翌日。

美月は放課後、一度家には帰らずにそのまま裏山まで向かった。

早く会って謝りたいという思いから、自然と早足になる。

息が上がりながら、宇宙船のある場所についた。

だが。


「……あれ?!」

 昨日は、確かに故障した宇宙船があったはずのそこには、何も無かった。

本当に何も無い。辺りを見回しても、宇宙船があった気配の一つも感じられない。

すっぽりと消え失せてしまったかのようだ。


「う、嘘でしょ……?」

 何も無い広い野原に、緑の風が吹く。新緑に色づいた草木を揺らす。


「ハッ、ハル?! ココロ?!」


 大きな声で呼んでも、返す者は誰もいない。

 昨日のあの宇宙船の状態から、もう直ったというのか。

そして、もう出発してしまったのだろうか。


 少ししか交流していなかったけど、まさかお別れの言葉一つもなく行ってしまうとは。

それとも、昨日の自分の言葉に本気で怒って、一気に直したとか……?


 もしや取り返しのつかないことを、してしまったのではないか。美月は自分の体温が、どんどん下がっていくような感覚に陥った。


「どこにいるの?! 二人とも!」

 力のある限り空に向かって叫んだ。勿論そんなことをしたってもう意味は無いとわかっている。だが、何もせずにはいられなかった。


きょろきょろといないはずの宇宙船の影を探す美月の肩が叩かれたのは、ちょうどその時だった。


 え、と振り返った先で飛び込んで来たのは、頭部がテレビの形をした人だった。


 冷静さが少しでも残っていればハルだとすぐにわかったろうが、この時の美月はとても慌てていた。そんなときにいなくなったと思っていた存在が目の前に現れたのだ。


 美月はうぎゃあと叫びながら、3回ほど後ろへジャンプした。

ハルに抱っこされているココロが、そんな美月の姿に「あ~」と笑顔で手を動かしている。


「ふむ、その分だと見えてなかったようだね。成功だ」

「いいい、今どこから?! っていうかハル?! ど、どこに行ってたの?!」

「ずっとここにいた」

「はい?! あ、っていうか宇宙船は?!」

「ここにある。見えていないだけで。ちょっと待っていてくれ」


 ハルはトレンチコートのポケットの中から黒いリモコンのような物を取りだし、

真ん中にある大きな赤いボタンを押した。

すると、途端に眼前に、あの宇宙船が現れた。

昨日と変わらずぼろぼろで黒焦げのままだ。


「えええ?! 何これどうなってんの?!」

「昨日ミヅキが帰った後、宇宙船と自分の中にあった、あるプログラムを復元したんだ。それがこの、〈クリアモード〉というものだ。その名の通り、姿が透明になる。かなり必須のプログラムだと思うから、優先的に直したんだ」


「ク、クリアモード……?」

 心臓を抑えながら、初めて聞く単語に首をかしげる。

同時に、いなくなっていたわけじゃないことに、美月は安堵のため息を深く吐いた。


「私、昨日のことに凄く怒ってどっか行っちゃったのかと……」

「怒る? なぜ?」


 ハルの様子は変わらず、怒っていたり、昨日のことを気にしている素振りは見られなかった。

しかし、それでもここに来た目的を果たさねばならない。


「ハル。昨日は本当に、無神経なことを言ってしまって、ごめんなさい!」

 しっかりとハルに向き合い、頭を下げた。言葉が一字一句、はっきりと口から出てきた。


「……え?」

「故郷のこと。知らなかったとはいえ、ハルのこと傷つけてしまったかもしれないと思って、ずっと引っかかってたの。本当に、ごめんなさい」

「ああ、成る程。だが私は、昨日も言ったように、怒ってなどいないよ。傷ついてもいないし気になってもいない。答えづらいことだったから、言葉に詰まってしまった、ただそれだけだ。だから、もう気にしないでくれ」


 心なしか、ハルの口調は柔らかめに感じられた。

美月はまた息を漏らした。上げた笑顔は、安堵のあまり綻んでいた。


「ハル、ありがとう!」

「よくわからないけど、どういたしまして」


 ずっと引っかかっていたものがやっととれたようなすっきりとした気分だ。

心なしか、吹く風も先程よりずっと爽やかに感じられる。


 穹の言うとおり、気にしすぎていただけのようだった。

昨日の弟との会話を思い返しながら、ふと美月は、昨日抱いた疑問を思い出した。


「そういえばちょっと気になったんだけど、ハルとココロって何を食べてるの?」

「ココロはミルクのみだ。そろそろ離乳食も視野に入れなければいけないが」

「ハルは?」

「ほぼ何でも。食事も摂れるし、有機物も無機物も食べられる。特定の物質からエネルギーを得るよりも、不特定多数の物質からそれぞれエネルギーを得た方が効率が良いだろう」


 いわゆる悪食というやつだろうか。あまり予想していない答えだった。いずれにせよよくわからなかったので、美月は聞き流すことにした。


「ココロのミルクはまだ沢山あるんだが、食料が結構前に尽きてしまってね。ここ最近、私は無機物しか口にしてないんだ」

 だがこの台詞に関しては、流れずに美月の頭に残った。


 ハルとしては、他意なく放った言葉なんだろう。

しかしその言葉に美月は反応し、そしてある考えが思い浮かんだ。

美月の家業上、それが浮かぶのも自然な流れかもしれなかった。


「ごはんは食べられるんだよね? 地球で食べられないものある?」

「土などを調べた結果だが、恐らくほぼ大丈夫だ」

「ふーむ……。なら話は早い! ハル! ちょっと私の家来て!」

「ミヅキの? なぜだ?」

「来ればわかる! えーと、クリアモードだっけ? それあるから平気でしょ? さあ!」


 ぐいぐいと迫る美月は出会ってから初めて見た姿で、そのせいで動揺したハルの反応もつい遅れ、結果たじろいでしまった。


「わ、わかった。そこまで言うなら何かあるのだろう。ついていくよ」

「よし! じゃあ早速ゴー!」

「……と、宇宙船は隠しておかねばな」

 ハルは再びリモコンのボタンを押した。途端に、一瞬で目の前の宇宙船が跡形も無く消え失せた。


「へえ、ボタン一つで見えたり見えなくしたりできるんだ。……ん? ちょっと待って、ココロはどうして透明になれたの?」


 ココロはロボットじゃないから、そのクリアモードは無いはずだ。すると、ハルは「これだ」と、ココロの服を指さした。


見てみると、服のボタンの隣に、半透明のカプセルのようなものがついていた。

絡み合ったコードのようなものが透けて見える。


「これはクリアカプセルといって、クリアモードと同じ機能を持った物だ。ただしこれには難点があって、一定時間が経つとエネルギーが切れて姿が見えてしまう」

「へえ~。でもこれ、うっかり飲み込んでしまわない?」

 それは10cm程の大きさで、うっかりココロが誤飲してしまう可能性も考えられた。


「飲み込んでも全く害は無いし、何より物凄く苦い成分がついているから、口に入れた瞬間に吐き出すだろう。大丈夫だ」

「あれ、じゃあ飲み込んじゃったら、ずっと透明になっちゃうってこと?」

「いや、飲み込んでも時間が経てばやっぱりエネルギーが切れて、ちゃんと見えるようになるから大丈夫だ。そもそも、見えなくなる仕組みはそこまで複雑じゃないんだ。光の屈折や盲点等があるが、それらのメカニズムと根幹部分は同じで、更に説明すると……」

「あ、それ今しなくていい。大丈夫ってことはわかったから」

「そうか」


 少しだけ俯いたハルは、そのままココロの服についていたカプセルを手にし、何らかの操作を施した。

そして、テレビの側面――人に当てはめると耳の部分だろうか――に手を当て、しばらく黙っていたかと思うと、「これで良い」と顔を上げた。


「クリアモードになっても、ミヅキには私達の姿が視認できるように設定し直した」

「本当に凄い便利ね! っていうか便利すぎだよ。反則じゃない?」

「どんなに便利な物にも、短所や欠点は必ずある」

「ふうん。まあそれは置いといて、さあ行きましょう!!!」


 声を張り上げて、美月は先導をとった。ハルは黙ってその後にならった。

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