phase3.3

 その日の授業が終わると、美月は一度家に戻り私服に着替えた後、自転車に乗って再び学校へと向かった。

まだ部活などで残っている生徒で賑わう学校の横をこっそりと走り抜け、山を登り、雑木林へと足を進ませる。


林の中を歩き、確かこの辺りのはずと見当をつけていた場所に辿り着くと、目の前にあのぼろぼろの宇宙船が現れた。

そこかしこが壊れていて見栄えはかなり悪い。

しかし、何となく凄いなという漫然とした思いが、心を満たしていく。


だが、自分が宇宙船の前にいて、それを眺めているという実感が、さっぱりわいてこない。

(いつか慣れる日が来るのかな?)

そんなことを思いつつ、辺りをぐるりと見回してみる。

が、ハルもココロも見当たらなかった。


「ハルーーー?!」

 大声で呼んでみると。

近くでウイーンという機械音と、直後にプシューという音が響いた。


何事かと見やると、宇宙船の扉部分らしき所が開き、その向こうにハルが立っていた。

ココロもおり、抱っこされている。赤と青の小さな目が、こちらをじいっと見ていた。


「ミヅキ? 一体どうしたんだ? 何か用か?」

 ハルは怪訝そうに尋ねてきた。


「いや、用ってほどのものではないんだけど……。こう、何か気になっちゃって。誰かに見つかったんじゃないかとか、何かあったんじゃないかとか、色々と」

「心配してくれたのか。それはありがとう。しかし大丈夫だよ。……そうだ、良ければ上がっていくかい?」

「えっ!」


 つまりそれは、宇宙船の中に入るということを意味する。

色々と深く考えるよりも前に、美月は首を勢いよく縦に振っていた。


「じゃあ、どうぞ」

 そう言うと、ハルは扉の横にあるボタンを押した。

すると、扉の部分からスロープのようなものがにょきにょきと伸びてきて、美月の前で止まった。


 高鳴る胸を抱えながら、美月は恐る恐る、そのスロープに足を乗せた。

一歩ずつ、ゆっくり上っていく。慎重に、踏みしめるように。

スロープを上りきり、宇宙船内にその足を踏み入れた瞬間、心臓の鼓動はピークに達した。


 地球にあるロケットですら乗ったことがないのに、宇宙人の宇宙船に乗ったなど、恐らく自分が初めてだ。

蒸気が出そうなくらい、体が熱くなる。


「どうした、ミヅキ。体調が悪いのか?」

「いや、あの、つい興奮しちゃって……!」

 興奮のあまり頭に血が上りすぎて足取りがふらつく中、美月は「こっちだ」と歩き出すハルの後を追い、通路を進んでいく。

床も壁も天井も全てが白いので目がチカチカしそうになるが、美月はきょろきょろと目線を右往左往させた。


 通路の左手側には丸い窓が等間隔に並んであり、その壁は所々凹んでいた。

逆にそれ以外は、外見のボロボロさからは全く想像もつかないほど、外傷がこれといって見当たらない。


「結構広いんだね!」

「移動用ではとても性能の高いモデルだからね。よし、着いたよ。ここがリビングだ」

 真っ直ぐ歩いて行ったハルは、一つの白いドアの前で立ち止まった。


 そのドアには、「リビングルーム」と丸い字体で書かれたプレートがぶら下がっていた。

これはもともとの設計なのか、それともハル自身の仕業か。

プレートをドアにぶら下げている姿のハルを思い浮かべながら、美月は促されるまま「リビングルーム」に入った。


 その部屋は、模範解答のごとく、何の変哲も無い普通の「リビングルーム」だった。


 部屋の中央には、淡い橙のラグの上に、クリーム色のソファが脚の短いテーブルを挟んで二つ置かれている。その他に、本棚やコンポ、キャビネットのようなものまであった。


 地球で普通に売られていそうな家具ばかりだった。

どんなSF風の部屋なのだろうかという美月の予想と180度異なっていた。

「あ、あれ、結構普通……」


「リビングは本来くつろぐ場所だ。そこにデジタルや多機能、斬新さを求めるのは変だと考えて、一般的な形のリビングルームにしている。よくわからない機能などもついてない。もっとも、コックピットやエンジンルームなどは、機械でいっぱいだが。でも他の部屋は、余計な機械や機能はつけておらず、部屋本来の機能しか備わせてない」


 そういうものなのだろうかと頭を捻る美月の横で、ハルはソファに座った。

ハルに座るよう勧められ、テーブルを挟んだ向かいのソファの隅に腰を下ろす。


「もしかして、他にも部屋がある?」

「コックピットやエンジンルームがある。あとここの隣の部屋はキッチンとダイニングルームだ。それとお風呂やトイレは勿論、私やココロの私室。あと物置小屋や倉庫、食料庫などがある。他にも色々あるが、ざっとあげるとこういう感じだ」


 ほお~と美月は感心深げに部屋の中を見回した。


「あ、それと書斎がある」

「書斎?」

「コレクションルームでもあり、私にとってのいわゆる娯楽室だ。今まで訪れた様々な星で手に入れた様々な本が貯蔵されている。星ごとに言葉や文字だけでなく、文章の書き方も言葉の使い方も考え方等も全く異なるから、読んでいて実に面白いんだ」


 どうやらハルは読書家らしい。どんな書斎か少し気になったが、やめておいた。

言えば案内してくれるかもしれないが、地球以外の言語など微塵もわからない。

そもそも美月は、地球の英語ですら苦手なのだ。


 一体ハルはどれくらい宇宙を旅してきたのだろうか。一人旅行も経験したことの無い美月にとって、その旅をするという気持ちというのは全くの未知数だった。


 ふいに、美月はココロのことが少し気になった。

ココロを産んだ親はどうしたのか、どうしてハルはココロと旅をしてるのだろうと、ずっと気になっている。


とはいえ、それが具体的にどういうものかはわからないが、何らかの複雑な事情があるのかもしれない。

そうだった場合、そこへずかずかと踏み込んで無神経に事情を聞く度胸は無いし気もひけるので、美月は質問を飲み込むことにした。


「あ、そうだ。ハル、ちょっとこれ見てみてよ」

 そこで、ここに来ようと思った最初の目的を思い出した美月は、肩掛けバッグの中から未来から貰った写真を取り出し、テーブルに並べた。


 美月の動向を眺めていたハルは、並べられた星の写真を見ると、ほんの少し、それも一瞬だったが、その身を動かした。


テレビ画面に映った口が、わずかに開く。

ゆっくりと手を伸ばし、写真の一枚を手に取った。

その手は、ちゃんとよく見ていたら少し震えていたのだが、美月にはわからなかった。


 感心を抱いてくれたと思った美月は、「この写真、私の友達が撮ったんだよ」とやや自慢げに説明する。


 ハルは聞いているのかいないのかわからない様子で、じっと写真を見ている。

時間をかけて眺めていたかと思うと、他の写真も手に取り、同じようにじっくりと眺めた。


 長い時間をかけて全て見終わると、テーブルの上に写真を戻した。


「ど、どうだった? 気に入った、のかな?」

 ややうつむきかけたハルに、美月は尋ねる。

少しの間を置いて、ハルは「ああ……」という言葉とも言い難い言葉をもらした。


「そうだね……。……うん。とてもよく撮れている。手ぶれもほとんど無いし、アングルなども良い。客観的に見ても、どれも完成度の高い写真だ。これを撮った人間は、カメラの腕が相当高いようだ」

「あ、そう来るか……」


 美月はかくんとうなだれた。

未来のカメラの腕前そのもののレベルを客観的に分析されてしまった。

それでも良いのだが、てっきりどう感じたかの感想を言うと思っていたので、肩透かしを食らった気分だった。ハルは星に興味が無いのだろうか。


「……ミヅキ。一つ頼んでも良いだろうか」

「何?」

「……この写真。どれでもいいので、一枚、貰っても良いだろうか」

「え?!」


 予想だにしていなかった言葉に、美月は目をまんまるくした。


「……? なぜ驚く? ……もしかして、駄目だったか?」

「い、いや、そういうわけじゃ! ただ、てっきり興味無いのかなとか思ってたから……!」


 あんなに感情のこもらない反応の直後にも関わらず、一枚欲しいと言うとは思いもしなかった。


 ハルが選んでいいよと言うと、ハルはもう一度写真を眺め始めた。一枚ずつ手に取ってはじっと眺め、傍に置き、次のを手に取る。かと思えば、傍に置いた写真をもう一度手にする。


真剣に吟味している様子に、ハルも星が好きなのだろうかとふと思った。

(だったら、嬉しいな)

星が好きな人間に、悪い人はいない。

これは美月の持論だった。もっと言うと、源七の持論でもある。

ハルはロボットだが、ロボットでも同じことだ。


 そんなことを思う美月の側で、ハルは「これを貰っても良いだろうか?」と、五つほどの流れ星が写り込んでいる写真を選んだ。


「うん、良いよ。一枚だけでいいの?」

「ああ、充分だ」


 ハルは、一枚の写真をずっと眺めていた。

他の写真をバッグの中にしまいながら、

「この写真に写ってる星のどれかに、今までハルが訪れた星もあるのかな?」と、

ふと感じたことを口にした。

「可能性は低いが、無いとは言えない」


 ハルは写真に目を落としたままだ。


「そっかぁ。……ハルの故郷の星も、写っているかな?」


 旅人といっても、ハルが生まれ、そして育った故郷の星はあるだろう。

これも何てこと無い質問だった。


 しかしハルは、ぴくりと体を動かしたかと思うと、そのまま固まってしまった。

写真を持っていた手をだらりと下げ、頭を下に向ける。


「……それは無い。ここからは、あまりにも遠い場所にあるからな」

 呟かれた声は小さく、低かった。ココロがそんなハルの姿を腕の中から見上げた。

下を向いているため、ハルの顔であるテレビ画面は、美月から見えない。


 美月は口を開きかけて、しかし何を言えば良いのかわからなくなった。

「あ、私……。余計なこと言っちゃったのかな……。あの、ハル、ごめんね?」

 何か、傷つけるようなことを言ってしまったのだろうか。

何とかそれだけ謝ると、ハルは顔を上げた。


「いや、謝らなくていい。ただ、私も長い間ずっと旅をしていて、もう故郷の星からはすっかり離れてしまっているんだ。戻ってもいないし、もう帰れないんだ」


 離れているというのは、物理的な意味でか、心の距離としての意味か。

いずれにせよ、この話は御法度なのだとすぐにわかった。

ハルから、この話題は出すなと言う気配が暗に伝わってくる。


 美月はもう一度ごめんなさいと謝ると、「そろそろ帰るね」と告げた。

さすがにもう気まずくて、ここに居続けるのは辛い。


 そそくさと帰り支度をする美月を、ハルは出口まで見送ってくれた。

無邪気に手を振るココロに手を振り返しながら、美月は宇宙船を後にした。


 宇宙船の中に入ったという高揚感よりも、先程のハルの反応が気になっていた。

もう一度、改めて謝りたいなという思いが、美月の胸中を渦巻く。


 いくら何でも、少しずけずけと入りすぎてしまったかもしれない。

反省と後悔でモヤモヤする心を引きずりながら、美月は家路についた。

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