3/15 愚者

 わたしは祝いの席に立って憤慨ふんがいしていた。こともない。新郎の顔が存外によくなかっただけだ。無教養で洗練されていない、根っから愚者の顔をしている。


 乾いた拍手に包まれ、式はつつがなく進んだ。だれも彼も幸福と愛の色に染まり、祝福を交わしていた。無関心と嫌悪を携えてきた人間はわたしだけに違いない。


 新郎が新婦に誓いのキスをする光景などそれはもう、ゴシップ好きの主婦があくびするほどありきたりだ。それなのにみな、涙を流し感嘆の声をあげている。わたしは新郎の顔を憎らしくながめながら、緩慢かんまんな拍手を送った。


 ちょっと歯車がずれていたのなら、あそこに立っていたのはわたしに違いないのだ。情欲に濡れた記憶が呼び覚まされ、わたしは頬を引きつらせた。あんな放蕩の生活さえなければ、こんな苦しみを噛みしめなくてすんだはずなのだ。しかしあれがなければ、栄光ある地位にはつけなかった。


 披露宴ひろうえんになって、みな落ちつきと、いささか疲れの表情を浮かべていた。同席した旧友はわたしの顔を見るなり、


「あそこに立つのはお前だと思ってたけどな」


などと口走った。なるほど彼は愚にもつかない馬鹿者らしい。彼の鼻をつまみながらわたしはこういってやった。


「俺があそこに立っていたら、こんな退屈な式になんてしてないさ」


 色をなおして新郎新婦が入場した。近くで見るとなおさら新郎は愚かしく、新婦は輝いて見えた。わたしは席からしばらく彼女を観察した。どうもむかしより美しくなったらしかった。よろこぶべきかもしれないが、そこにあるのは妬みと怒りだけだ。


 そして宴会が進むにつれ、彼女の幸福な笑顔は輝きを増していった。ちょうど宝石が自ら輝きを増すことができないように、彼女も周囲から光を受けてさらなる美しさを見せているのだろう。会場の熱気とともに、わたしの嫉妬も喉からあふれそうだった。


 ことさら横からながめる笑顔が愛らしかった。以前との対比がそうさせるのだろう。むかしのまま。筋の通った鼻に艶やかな唇。怒りや嫉妬は姿を変え、胸痛となった。


「来てくれてありがとう、ヒロキくん」


 ふたりがテーブルを回りはじめ、とうとうわたしのグラスを満たしに来た。ますますわたしの胸痛は強まり、めまいすら感じるようになった。


「おめでとう。本当に綺麗だ」


 そんな言葉を吐かなきゃいけない。差しだす手が震え、眉間にしわが寄ってしまう。新婦はいまだ完璧な笑顔を見せたままだ。


「体調でも悪いの? 医務室に」


「いや、なんでもないんだ。昨日飲みすぎてね。接待はつまらんよ、本当」


 その言葉を口にしながらも、彼女は笑顔のままだった。胸痛のなかでわたしは違和感を覚えた。


「そうなんだ。それならいいの。苦しんでいってね」


 耳がおかしくなったかと思った。いま、あの女は苦しめといったか。


 注がれたグラスのワインを飲みほして、どうしてわたしがここにいるのか理解した。吐くほどまずいワインの味に、言葉を発する気力すら生まれなかった。




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