3/9 月と線香花火
ふたりきりの車内に暗闇で、話は弾まない。外へでてようやく、彼の静寂につまった喉は解放された。
海岸には人も灯りもすくなかった。車の音は背からわずかに響き、ざあと押し寄せては引いていく音が彼らを飲みこんでいく。
「いつだったかしら。こうやって三人で花火したの」
「高二のちょうどいまごろ。月が浮かんでないのもおなじだ」
彼女はコンクリートに腰をおろした。彼へと、彼女の髪の鮮やかさと潮が溶けて香る。
「娘がいなくなってから、幸雄さんのことをよく考えるの。心の強さっていったいなんだって。人を思うがゆえにじぶんを傷つけるような強さなら、そんなのない方がいいわ。でもあの人は、魂だけは強くあれ。そう残した」
「それが幸福だから、だろうな。終末期の患者だって強い方はいくらでもいた。がんの痛みに侵されながらも、身体がすこしも動かなくても、強かったんだ。そう、その人たちはみな幸福だった。人の生き死になんて、心の強さで伸び縮みしない。なら幸福であるべきだと思わないか」
彼女は海を向いていたが、シルエットとなってこちらを振り向いた。
「むかしからそんな人だったかしら。素敵なこというのね」
「むかしからこんな人間だったら、お前に認められてるさ」
彼は立ちあがって砂を払い、海へと歩いた。彼女もそれを追った。ながめながら彼女は動かず、彼はせわしなく足を動かしていた。何度も波が寄せては引いて、いつか彼女は時計を見た。
「さ、はじめましょうか。そろそろ時間でしょう。空もちょうどよさそうね」
彼はああ、といってたずさえた袋から線香花火と精霊馬を取りだした。精霊馬は地面に並べて迎え火をたいた。
「風もない。帰ってくるには絶好だな」
「あの巨体にこの大きさで大丈夫かしら」
彼はしわで固められた顔に笑顔を浮かべ、きっと大丈夫さと落ちついた低音でつぶやいた。そして彼女はろうそくに火をつけ、コンクリートに置いた。
「せえので火ね。どっちが長く燃えてるか」
そして彼女は声をあげ、ふたりで
「いまのはちょっと風が吹いただけだ。もう一度」
「そういう子供っぽいのは変わってないのね」
彼女は蝋燭に照らされたはかない笑顔を輝かせた。そして彼は線香花火を渡し、彼女がもう一度声をあげた。彼女の背が照らされはじめ彼はふと顔をあげた。
「あいつ、帰ってきてる。うしろ」
彼女は髪をくゆらせた。するとうしろを向いたきり振りかえることがなかった。ふたりの線香花火は燃え尽き、地面に弾けた。
「ねえ、もう一度やりましょう」
「俺はいいよ。ふたりで」
「だめよ、三人でやらなきゃ意味がないの」
はるか水平線の向こうに浮かぶもうひとつの線香花火は、じりじりと燃えていた。彼は火花を散らす月と線香花火を重ね、それが落ちるまで見守っていた。
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