1/18 電線
複雑に絡みあう電線が愛おしく思えた。ぼんやり暗い日暮れの帰り道、空を見あげれば当然のようにそれが、送電鉄塔をつむいでいる。
鉄塔たちはいい。勝手に電線たちが縁を取り持ってくれる。以前鬱らしい気分になったのも上司の説教のせいだったはずだ。そのときは電線など気にもかけなかった。
中学生のときに、彼女とよく電線を見あげて話したのを、いまさらになって思いだした。刻々と色を塗りかえる世界に、俺は口のなかを噛んだ。
「優花、電線って、なんでずっと見ていても飽きないんだと思う」
「ううんと。わたしはさ。電線の重なったところを数えるのが楽しいかな。目に映るところの編み目を数えて、わからなくなって、また最初から数えるの。いつまで経っても数え終わらないけど」
彼女と見る電線は、ひどく複雑な蜘蛛の糸みたいに、繊細で美しかったように思う。
「なにそれ。変な理由」
「彰吾だって、おんなじでしょ。ずっとここにいるんだから」
そこらにあったガードレールに身体をあずけた。どうも重くて仕方がない。
彼女はいま、なにをしているだろうか。こうやって電線を見あげて、あのときみたいにだれかと言葉を交わしているのだろうか。それとも、俺のことを思いだしてはいないだろうか。
たとえそうだとしても、その隣には俺がいない。重なりあった編み目はほどけて、数えることもできなくなってしまった。血の味が口のなかに広がっていく。はるかにそびえる鉄塔の、懐かしくて生々しい味だ。
手足が蜘蛛の巣にからめとられて、どんどんと動かなくなっていく。鉄塔はもはや色を失い、線すら世界に溶けていた。
人生は不可逆なのに、その幸福を心底味わうべきなのに、なぜかその瞬間ごとに忘れてしまう。
絡みあった蜘蛛の糸は、ほどいてしまうともう戻らない。結局いま残された俺は、このざまだ。
身体がしびれてくる。電線に流れる高電圧のせいだろうか。夜の暗さで前が見えない。このまま俺は死ぬのだろうか。
いや。こうやって電線を見あげて、あのときを思いだしながら、安らかに死ねるのならばきっとそれでいい。蜘蛛に食べられるのに、苦しくないのならそれでいい。
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