第46話 新曲の影で 後編

 私は藤尾さんに連れられ、ライブ会場の近くの喫茶店に来ていた。

 ここは『Feliz banco幸せのベンチ』とは違い、レトロと言うよりはモダンと言った感じ。


 少し冷たい印象のコンクリートの壁が特徴的だった。


「そ、それで、何かあったんですか?」


 四人が二人ずつ向かい合って座れる席に、私は藤尾さんと門脇さん、大人二人と向き合っていた。


 当然、緊張はするし、声も震える。


「まずは、急に連れてきてごめんなさいね」

 藤尾さんが話始める。


「いえ、それは全然大丈夫ですけど……」


 もしかして、私が何かしてしまったのか。そんな想像が頭をよぎる。でも、何かもなにも、祈凜さんに危害を加えた訳じゃないし、もちろん椎名咲桜の正体をばらした訳でもない。


 となると、いよいよこうして連れてこられた理由は思い浮かばなかった。


「大海さん単刀直入に言うわ」


 久しぶりに名字で呼ばれたような気がした。

 そんなこと思いつつ、真面目に藤尾さんの言葉に耳を傾けた。


「あなた、椎名咲桜。いえ、幌萌祈凜に何をしたの?」


「……何を?」


 何度も言うようだが、私は祈凜さんには何もしていない。いや、何もしていない訳じゃないが、それはあくまでプライベートなことだし、関係ないだろう。


 訳がわからず藤尾さんの顔を見ると、どこか困惑した顔をしている。私を問い詰めているという感じの表情ではない。


「…すみません、心当たりはありません」


 それは、紛れもない事実だ。

 だが、藤尾さんは納得いっていないとでも言わんばかりの表情。隣にいる門脇さんもだ。


「すみません、祈凜さんになにかあったんですか?」


 私は思いきって聞いてみた。

 多分、私が聞くべきことではないような気もする。でも、祈凜さんのことであるからこそ、私は強く知りたいと思った。


「社長…」


 門脇さんは私の言葉を受けて、答えるべきかどうかを藤尾さんに尋ねるつもりで藤尾さんの方向を向いたのだろう。

 しかし、門脇さんは次の言葉を話すことはなく、門脇さんが許可を求めようとした相手、藤尾さんが私の質問に対して話をはじめた。


「あなたは、今日の新曲で何か違和感を感じなかった?」

「いえ……あ、曲というよりはライブ全体的に違和感はありましたけど」


 まぁ、それはあくまで私の感じ方の問題で、藤尾さんのいう新曲に対する違和感とは違うだろう。


「そう。今回の新曲の作詞についてなんだけど、実は祈凜の要望だったの。どういうわけか、あの子、一度もそんなこと言わなかったのに急にそう言い出したの」


 それはどういうことを意図しているのか。私の頭では、祈凜さんの行動を理解するのは難しいかもしれない。


「それは、祈凜さんの向上心的なものじゃないんですか?」


「多分、違うの。それに、向上心というなら、今日のライブがあんなことになるなんて……いえ、別にライブ失敗だったわけじゃないの。ただ、あなたも言ってたでしょ、違和感って」


「祈凜さんに何があったかは分からないってことですか…」


 やはり、今日のライブはどこかおかしかったのだろう。祈凜さんを知ってる人物なら分かるごく微細な違いだったのかもしれないが、それでも、祈凜さんがプロの歌手であるのだから、それは許されない。


「門脇、あれを出してくれる?」


「え、でも」


 私の目の前で何を思ったか、藤尾さんが門脇さんに対して言った。しかし、門脇さんは素直には従わず、少し渋っているようだ。

 何か他に祈凜さんに関することがあるのだろうか。


 私は見たくてしょうがない。


「いいの、それにこの子は椎名咲桜を知っているんだから」


「…わかりました」


 結局、藤尾さんに押されて門脇さんは頷いて、持っていた鞄から何かを取り出して私の前に置いた。


 それは、プリントアウトされた用紙で、紙には文字が羅列されていた。


「これは?」


「新曲の歌詞、正確には祈凜が書いてきた修正する前の歌詞」


 藤尾さんがそういう。


 私はその言葉を聞いた瞬間、食い入るようにその文字を読んだ。


「それを読んでなにか分かることがある?」


 そう聞いてくる藤尾さんに、頷づきつつも、文字を読み進めていると、ある一点で私の目は止まる。


『…好きな人は同い年で…』


 おかしい。

 ここの歌詞は実際には歌われていなかったので、おそらく修正されたのだろう。


 でも、明らかに私はこの言葉に引っ掛かった。


 それは、祈凜さんの好きな人は沙夜であると私が思っていたから。

 でも、この歌詞が本当に祈凜さんの気持ちを書いているのだとすれば、ここに書かれていることも本当のはずだ。


 つまり、祈凜さんは沙夜のことが好きじゃないのだ。

 そう考えれば、この前の沙夜との険悪な雰囲気も頷ける。


 なら、祈凜さんは今誰のことが好きなのか。


 なんとなく、分かっていた。

 流石に私だってこのくらいは分かるに決まってる。


「すみません……この歌詞借りてもいいですか?」


「それは…」


「どうぞ」


 私の提案に門脇さんが何かを言おうとしたが、それを遮るように藤尾さんが許可をくれた。


「社長…」

 門脇さんは何か言いたそうに藤尾さんを見るも、その表情をみて言いかけた言葉をやめた。


「その代わり、それは絶対に他人には見せないでちょうだい」


「もちろんです」


 これを外に出せばどうなるかくらい私にも容易に想像できる。

 間違いなく祈凜さんには迷惑がかかるだろう。それでも、私がこれを借り受けたいのには理由があった。


 確かめたいことがあるのだ。


「何かあったら、連絡が欲しいから、はい」


 そう言って、私に名刺を差し出してくる。


「あの、前回お会いした時、頂きましたよ」

「そうだったの。正直者なのね。でも、こういう時は貰っておくものだよ」

「あ、すみません」


 私はそう言って、名刺を受けとる。なんとなく、社会勉強になった気分。


「じゃあ、私は他の仕事があるから。門脇、送ってもらえる?」


「わかりました。じゃあ、麻百合さんいきましょうか」


「あ、あの会計は?」


 私のその言葉に藤尾さんと門脇さんは一瞬顔を見合わせてから、クスクスと笑いだした。


 私、そんなにおかしなこと言っただろうか。


「あのですね、麻百合さん。そういうのも大人の前では言わなくていいんですよ。もちろん私達が誘ったんですから、私達が払います」


「門脇の言うとうりだよ。大海さん、真面目でもたまには肩の力を抜こうか」



 二人とも笑顔である。

 なんとなく恥ずかしくて、でもその表情を見ていると、さっきまで暗かった自分の心が少しだけ軽くなかったような気がした。




「祈凜さんは……のこと好きなの?」


「何か言いました?」


「い、いえ」


 不意にでた独り言がいやに、心に響いた。





 

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