第43話 祈凜と沙夜

「久しぶり」


「…いや、この前会ったじゃん」


 私と沙夜の最初の一言はこうだった。


 久しぶりのベンチ。でも、沙夜は久しぶりじゃない。思えばこの短期間で沙夜とは色んなことがあった。


「ここでは、久しぶりでしょ」

「まぁね」


 でも、その場所はこのベンチではなく、他の場所なのだ。だから、沙夜の久しぶりは正しい。


「座れば?」

「言われなくても」


 私は沙夜の横に腰かける。

 久しぶりのベンチはちょっとひんやりしていて、それでいて懐かしい感じ。

 そんなに長く離れていた場所じゃないけども、ここにいると懐かしいと心で呟いてしまうのだ。


「祈凜さん、なんかあった?」


 私はさっき、祈凜さんが言っていたことを思い出す。

『沙夜には負けない』

 意味は分からないけど、なんとなく、嬉しくなる言葉。

 それが、不思議でしょうがなかった。


「……別に」


 また、新たな疑問が増える。

 沙夜は明らかに言葉を濁していたからだ。


 恐らく、何かあったのは確かだろう。でも、無理に詮索しようとは思わなかった。


「…そう」

 ただ、心の中でもやもやする部分があって、それだけに少し声のトーンが下がったような気がした。


 もう日も落ち、町では明かりが灯り始める時間。

 ただ、ここの居心地が良くて、もう動く気にもなれない。


 なんとなく心の中での幸福感が満たされてくのを感じた。


 沙夜が唐突に、自分の鞄に手を入れ始めた。

「どうしたの?」

「久しぶりに、ね」

 そう言って取り出したのは、私が沙夜の誕生日にあげたリボン。


「確かに、久しぶりだね」

 実は私は、沙夜の髪を結んであげるのが好きである。でも、最近はやってと言われなくなっていたので、本当に久しぶりだ。


 私がリボンを受け取ると、沙夜は私に背を向ける。


「沙夜の髪、綺麗」

「髪が綺麗な女の子好きでしょ?」

「別に女の子が好きな訳じゃないっての」


 幸せな時間。

 こうして、沙夜と二人きりの時間を楽しいと思えるようになったことが嬉しい。


「ふふ」

 沙夜が笑い出す。

「くすぐったかった?」

「いや、全然。むしろ、気持ち良いくらいだよ」

「じゃあなんで笑うの?」


「嬉しくて」


 そんなこと言わないで欲しい。

 

「うっさい」

 そう言って沙夜の頭を小突く。


「痛いよ」

「はいはい」

 手を動かす。


 そして。

 

「はい、出来たよ」

 私がそういうと、沙夜はポケットから小さな手鏡を取り出して、確認し始める。

「麻百合、やっぱり下手だね」

「分かってるって」


 自然と笑みがこぼれた。

 沙夜も笑顔を浮かべている。


 あぁ、そうか。きっと、沙夜と会うのが恥ずかしいなんて、思い違いも良いとこだった。また、こうやって笑いあえないかもしれない、それが不安だったのだ。


 そんな、不安とは違うもう一つの不安。


「ねぇ、沙夜」

 私が考えて、考えたこと。


「何?」

「覚悟って、しないと駄目かな?」


 私は沙夜の言ったあの言葉が今でも引っかかっていた。

 誰かと時間を共にする覚悟。


 沙夜は真剣な顔だ。


「するかしないかは、麻百合の自由。でも、私はしてほしい」


 それが、沙夜の願い。そして、私の悩み。


 やはり、考えないでおいておくのには無理があるだろう。私はこの結果を出すべきだった。


 もう散々悩んだ。嫌だった。でも、こうして考えられたからこそ、沙夜や花音に対する見方が変わったのだ。

 変われたのだ。


 花音は好きな人はいないけど、付き合ってみたかった。私は好きな人がいても付き合いたいとは思わなかった。


 私は、本質では責任かをどうこうなんて、どうでもいいと思っているのかもしれない。

 付き合って、ただ好きと言い合えるそんな関係が欲しいのかもしれない。


「じゃあ」


 私は……。


「覚悟を決めるよ」


 それは、宣言である。

 私は付き合いたいんだ、私が好きな人と。


「そう」


 思ったより素っ気ない反応。でも、沙夜が私のことを思ってくれているのは分かっている。


 それが分かっているからこそ、私は嬉しかった。





 麻百合がベンチに来る少し前。

 相変わらず、特にお互いに干渉することのない二人がベンチで並んで座っていた。


「……」

「……」


 沈黙。だが、二人は決して空気が重いとかそんな風には感じていない。


「……」

「…ねぇ」


 だが今日に限っては、その沈黙も長くは続かなかった。


「何ですか?」


「私がこの前聞こうとした時のこと覚えてる?」


「…いえ」


「そう」


「麻百合さんのことですか?」


「そう、だね。麻百合のこと」


「麻百合さんのことで、私に聞くようなことって沙夜さんにはないですよね」


「いや、あるよ。聞かなきゃいけないことが」


「……何ですか?」


「祈凜はさ、麻百合のことどう思ってる?」


「……」


「…私のことはもう好きじゃないんでしょ?」


「……」


「なんで黙るの?」


「…どうしてそう思ったんですか?」


「自分が好かれてるか好かれてないかくらいは分かるよ」


「…そうですか」


「麻百合のこと、好きなんでしょ?」


「いや……いえ、そうですね。私は麻百合さんのことが好きみたいです」


「へぇ、案外普通に答えるんだね」


「沙夜さんには隠す必要はないですから。それに、言わないとフェアじゃないですし」


「ふーん。じゃあ私達はライバルって訳?」


「そういうことですね」


「……私、祈凜のそういう割りきった感じ好きだよ」


「……ありがとう、で良いですかね」


「ええ。祈凜、これからもよろしくね」


「もちろんです」


 二人は握手を交わす。これは互いに宣言しているのだった。

 負けないと。


「じゃあ、帰りますね」


「ええ、また明日」


「はい。また明日です」

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