第42話 花音の恋路③
「ねぇ、人の彼女になにしてんの?」
「え……沙夜?」
そう、私の前に現れたのは沙夜だった。
「は? 彼女? てか、めっちゃ美人じゃん。ねぇ、もしよかったら俺と…」
「失せて」
「え?」
この男は、どうしてこんなに表情をコロコロと変えられるんだろうか。一瞬怒りが収まったようだが、また、顔を真っ赤にし始める。
だが、そんなことどうでも良かった。
私は男のことなんか気に出来ないほど、あることで呆気にとられていた。
沙夜の表情だ。
今まで一度も見たことがないくらい、沙夜は凄い剣幕で男を睨んでいた。
「こんのっ……」
「それ以上何かしようとするなら、警察に連絡するから」
まくし立てるような、言い方。
沙夜はこんな表情しなかった。沙夜はこんなしゃべり方じゃなかった。
「ちっ、ざけんなよ! ただのレズどもが!」
そんな、捨て台詞と共に男は去っていった。
しかし、張り詰めた空気感は溶けるどころか、増長してるような気がした。
「……」
「……」
沙夜は男が歩いて行った方向に体を向けて、私の正面に体を向けようとはしない。
駅の客なども騒ぎが終わったと思い、ほっとしたのか、先ほどまでと比べて騒ぐように話し始めた。
ただ、私の耳にはどんな言葉も聞こえてこない。ただ、沙夜を見つめていた。
「…ねぇ、麻百合」
沙夜がようやく言葉を口に出す。でも、こちらを向くことはない。そして、どこか震えた声。
「自分で何してたか分かってる?」
「…ごめん」
私はそう言って、ゆっくりと沙夜に近づいた。
「…私が来なかったらどうなってたか、分かってる?」
「ごめん」
「急にベンチ来ないって、私や祈凜がどれだけ心配したか、分かってる?」
「…ごめんっ」
「麻百合が……」
それ以上、沙夜の言葉を聞きたくなかった。例え、それが私を思う言葉だったのだとしても、私はそれよりもやらなきゃいけないことがあると思ったから。
だから、私は沙夜に抱きついた。
「ありがとう、沙夜」
一度、離れて沙夜の正面に立つ。
「こんなに泣いて。ホント沙夜って泣き虫だよね」
沙夜と喧嘩したあの時だってそうだった。
でも、今回は違う。完全に私が悪かった。沙夜は私を助けてくれて、そして泣いてくれた。
「沙夜、ありがとう」
私はもう一度、沙夜を抱き締めた。
私のためなら泣いてくれる人。それがどんなに尊くて、それでいて、少しうざったくて。
今、私の中での沙夜という存在は、消して普通などではなく、特別なものに変わっているような気がした。
その特別が一体どんなものなのか、今はまだ良く分からなかった。
◇
「麻百合、ごめん」
そう言って私に向かって頭を下げてきたのは、花音である。
放課後の化学室。
「いやいや、花音は何もしてないじゃん」
今思い出してもあの男はイライラする。もう今後、合コンと名のつくものなんか行かないと、誓った。
「何もしてないからだよ。周りはどう見てたか知らないけど、麻百合、言い寄られてた時イライラしてたでしょ?」
「ま、まぁ」
だいぶ私のことを理解してきたのか、単純に私の態度が露骨だったのか。ともかく、私が嫌がっていることに気づいたのだ。少し驚いた。
「それに、私のために参加してくれたのに、結局何も出来なかったし」
「それは……」
確かに、そうだ。でも、本人にそう言えるほど私は花音のことが嫌いではないのかもしれない。例え、私のことがバレていても。
「ごめんね麻百合」
「うん、いいよ。じゃあ合コンのことはこれで終わり! じゃあ、次はどうやって花音の出会いを探そうか」
「え?」
花音が驚いた顔をする。
「いや、もうやめるの? 恋愛」
「でも、私、麻百合に迷惑かけたし……」
私はわざとらしく、ため息をつく。
「だから、もうそれはいいんだよ、どうでも。今、大切なのは続行するかしないか」
正面なところ、私はこうして花音と二人で話すことが楽しいと思っていた。
続けるのなら、まだ続けてもいい。
それにまだ、ちょっとだけ沙夜と顔を合わせるのが恥ずかしかった。
「……やめようかな」
「…どうして?」
「だって、好きな人なんて無理に見つけるものじゃないって、今回のことで思ったから」
そうか。少し残念である。
「だから、ありがとう麻百合」
「ううん、別に。結局、何か出来た訳じゃないし」
そう、私が何か役にたった訳ではないのだ。なんとなく、それだけが心残りだった。
「ねぇ、麻百合。もしさ、また私に好きな人が出来たら、相談のってよ」
「もちろん、いつでも言って」
「……あとさ」
「ん? どうしたの?」
「…えーと、これからもよろしくね」
「そう、だね。よろしく」
こんな感覚はいつ以来だろうか。
私はなんとなく、今後も花音と一緒にいられる。そんな気がした。
◇
私は花音と別れた後、久しぶりにベンチへと向かっていた。
どうしても、あの場所に行こうとすると、沙夜を意識してしまう。
別に、会いたくない訳じゃない。でもどこか恥ずかしいものがあるのだ。
いつか沙夜が言っていた、覚悟をすること。決して覚悟が固まった訳じゃない。
まだ大丈夫。
何故かそんな風に思っていた。
「あ……麻百合さん」
「祈凜さん」
私が歩いていると、ベンチの方向から祈凜さんが歩いてきた。
「帰り?」
「うん。麻百合さん、戻って来てくれたんだね」
「そう、ごめんね。しばらくこれなくて」
「いいの。また明日から楽しみにしてるね」
祈凜さんにとってみれば、沙夜と二人きりで過ごせた時間だったわけで、きっと楽しかったのだろう。
もしかしたら、私が帰ってくればただの邪魔者かもしれない。
「そうだね、明日からまた一杯話でもしようよ」
でも、祈凜さんはそんなこと私には言わないだろう。私も祈凜さんにはそんなこと言わない。
祈凜さんと会えたのは嬉しかった。いや、正確には会ってはいるのだが、こうして話すことが出来たのは久しぶりだ。
「それじゃあまた」と一言交わして、祈凜さんは帰って行く。
私もゆっくりとベンチに向かって歩き出す。
この時間であれば、沙夜はまだ帰ることはない。今は恥ずかしくても、会いたい。
なんとなく意識して呼吸をする。より深く、より多く。
そんな時だった。
「麻百合!」
その声に驚く。
私は、今歩いてきた道を振り返った。
すると。
「私、負けないから」
それは、祈凜さんだった。
しかし、私には祈凜さんの言っていることがよく分からない。何に負けないのか。
だが、そんなことお構い無しと祈凜さんは私に向かって、言葉を紡ぐ。
「私、沙夜さんには負けないから!」
そう言い残して、祈凜さんは駆けるように去っていった。
私には、どういうことか分からなかったが、自然と嬉しい気持ちになったような気がする。
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