第39話 交換条件

 覚悟……覚悟ね。

 私はこの前沙夜が言ったことについて、教室で悩んでいた。

 

 あの時、言われた覚悟を決めること。つまり、誰かと責任を負うような関係になること。付き合うことだ。

 相手は沙夜か、祈凜さんか、もしくはそれ以外の誰かか。


 でも、そんなことを言われたからといって、誰かと付き合うというのは自分でもどうかと思う。だからといって、沙夜の言葉を無視する気には自然とならなかった。


 教室の前の方では祈凜さんが行儀のよさそうに自分の席に座っている。

 なんとなく、こういう風に悩んでいないで、今すぐに祈凜さんの元にいって話でもしていたいなとも思う。

 でも、そうはできない理由がある。

 花音がいるからだ。


 私と祈凜さんのことがバレたんだから別にいいではないかとも思いはするが、バレたとしても唯や三月からなにも言われないということは、まだ言ってはいないんだろう。

 花音は何かしらの思惑があるのかもしれないが、不用意に祈凜さんに接触するのは危険である。


 それに、この間花音を怒らせた手前、話し掛けるわけにもいかない。


 いやに長く時間だけが過ぎていた。



 それは授業が始まっても変わらず、悩みに悩み続ける。

 この前の沙夜はその言葉の後、何か真面目なことを言うことはなかった。

 結局、私へのアピールなのか。それとも単純な忠告なのか。


 沙夜の変なところは、変わることは無さそうだ。そんな、変なことに今までは、こんなに考えることもなかった。

 沙夜には悪いが、余計なお世話である。でも、沙夜に言われなければ、考えたくないと割りきって、こう悩むこともなかっただろう。


 悩めば悩むほどの堂々巡り。

 誰か、この悩みを話せる人はいないだろうか。いや、いるわけないか。


 それにしても、退屈な授業だ。

 あと、数時間も授業があると思うだけで憂鬱である。


 今は現代文の授業か。

 現代文と言えば、沙夜が、何かしらの文章を書いてみれば、と言っていた。

 特に書くような題材もなかったので今まで、試してはいなかったが、試しに今の悩みでも書いてみようかな。


 そう思い、残りの授業の時間に、ノートの一番後ろのページを開いてシャープペンを走らせた。




 やがて1日最後のHRも終わり、放課後になる。今日は沙夜の顔を見る気にはならないが、行くべきだろう。

 重い身体を動かして、ベンチに向かう。

 教室を出る瞬間、一瞬視界に祈凜さんが入るが、どうやら掃除の当番のようで、モップを持っていた。


 一緒に行くために待つのも、変なので先に行くことにする。


 雨でも降らないかな。そうすれば、ベンチに行かなくても自然だ。

 良く考えれば、ベンチに行くようになってから、あまり天気が崩れることはないなぁ。もしかしたら、沙夜が凄い晴れ女なのかもしれない。


 そんなことを考えて廊下を歩く。


「麻百合、待って」

 しかし、予想外のことが起きて、足を止めることとなった。

 私に、話しかけてくる人物がいたのだ。


「何?」


 花音。

 完全に不意討ちだ。まさか、話しかけてくるなんて思わないだろう。

 そして、話しかけてくるからには何かしら目的があるのだ。嫌な気がするが、それでも聞かないという選択肢はなかった。


「ちょっと話があるんだけど」

「だから何?」


 こっちは沙夜のこともあり、決していい気分ではない。自然と不機嫌な声で答えた。

「場所変えよう」

「…分かった」


 ベンチへ向けていた足を、花音の歩き始めた方向に向ける。

 どこに行こうとしてるのかは分からないが、ただついて行くだけだった。


 そんな中私は、もし私が誰かと付き合ったとしたら。そんなことを考える。

 想像の相手は沙夜か祈凜さんだ。

 まず、付き合っているという一種のステータスのようなものを手に入れることができるだろう。会う回数だって増えるし、楽しいかもしれない。


 でも、リスクはある。

 例えば、自分の時間が制限されるとか、束縛されるとか。

 それに加え、もし唯達にバレたら? 私は同性で付き合っていると聞いても、何か思うことはない。

 だが私以外は、普通じゃないと思うだろう。そうすれば、自然と私は集団から離れていく。集団は同類を集め、特殊な人間を遠ざけるものだから。

 それはきっと、私には耐えられない。


 なら、私が覚悟を決める理由はあるのだろうか。メリット・デメリット、両方を兼ね備えたものだ。


 沙夜がそこまで考えて言ったかは分からないが、責任を負うということは、私の中の大切なものを捨てることでもあるのだ。


 結局結論は出ないまま、花音は目的の場所についたようだ。

 そこは化学室だった。

 化学部でもない花音がなんで、という疑問はない。あの胡散臭そうな女の化学教師に花音は好かれているのだろう。

 暇な時は出入りしていると聞いたことがある。


 私が入るように促されたので、ただ頷いて化学室に入り、続いて入った花音は扉を閉めた。

「で、なに?」

 あくまで、私は機嫌が悪い。花音にはもうバレたのだから、装う必要性も感じられなかった。


「へぇ。それが、素の麻百合なんだ」

「……」

 その言い回しに少しイラッとくるが、イチイチ反応するのも馬鹿らしく感じるので、無視する。

 こういうところは、普段沙夜と話しているから、歯止めが聞くようになってるんだろうか。直接は言わないが心の中で感謝の言葉を述べておく。


 花音は私が無視したことが気に入らなかったのだろう。露骨に不機嫌そうな顔をするが、でも用件はしっかりとあるようで、切り替えたのかすぐに真剣な表情に戻ったのだった。


「取引しようよ」

「…取引?」


 それを告げると、花音は髪をポニーテールに結んでいた髪をほどきだした。

「そう、取引。私の提示する条件を飲んでくれれば、麻百合の秘密は黙っておく」


 私の秘密とは、祈凜さんとのことだろう。

 正直に言えば、喜んでその話に乗りたい。だが、花音の提示する条件というのがどうも引っかかった。


「条件ってなに?」

「それは、取引が成立したら教える」

 

 事実上の脅しである。つまり、祈凜さんのことは黙っておくから、一つ言うことを聞けということだ。

 多分、断ったら私のことを本気でバラす気だろう。

 

「分かった、取引する」


 そう言う他なかった。

 花音は勝利を確定したような顔。嫌な感じだ。再び、髪をポニーテールに結び直し始める。

 祈凜さんのことがバレる前までの花音との関係なら、こんな表情見ることはなかったんだろうか。


「オーケー、取引成立だね」


 条件とは、一体なんだろうか。

 万が一、祈凜や沙夜に関するもので何か害を与えるような条件なら、取引を切り上げる気でいる。ここだけは譲れない一線だ。


 ふと、思い出す。この前、沙夜のことがあまり好きではないと思ったが、こうして頭に沙夜のことが浮かんで来る限り、好きではなくても大切なのことには変わらないだろう。もちろん祈凜さんも。


「じゃあ、条件だけど」


 少し緊張する。

 花音も心なしか、表情が強張っているような感じだ。


「私の」


「…」


「私の恋愛相談にのってほしいの」


 私は心の中で、またかと呟いた。





 その頃、ベンチでは。

 祈凜と沙夜が二人で、重い沈黙を作り出していた。


「…ま、麻百合さん来ないですね」


「…だね」


「……」

「……」


「…そのー、週末とかどんな感じで過ごしてます?」


「ふつーに過ごしてる」


「…あ、いやその…出掛けたりとかは」


「……しない」


「……そう、ですよね……」


「……嘘。この前の週末は麻百合と遊びに行った」


「え? ふ、二人でですか?」


「そう」



「……どうして……」


「ねぇ、祈凜」


「……な、なんですか?」


「祈凜って私のこと、」


 ブーブー


「あ、えと、すみません……あっ、麻百合さんからです」


「どうしたって?」


「……えーと、しばらくベンチには…来れないと」


「「……」」

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