第37話 ため息

「はぁ」

 それはもう、ため息しかない。


 いつものベンチ。だけど、少しいつもより遅い時間のベンチだ。

 というのも、祈凛さんがすでに電車の時間で帰ってしまっているのだ。

 なので、今このベンチは私一人の現実逃避の時間な訳である。


「現実逃避?」

「……」

 おっと、沙夜がいたのでした。

 私にだって一人になりたい時くらいあるのに、まぁ、沙夜だからいいや。嫌なら無視……は流石に酷いか。


「そんなとこ」

 とりあえず、素っ気なく返しておく。こんな返事の仕方をすれば、当然何かしらの反抗か何かがあっていいものではあるが、沙夜に限ってはそうではない。そういうところは、沙夜の美点の一つでもある。

「何? その素っ気ない感じ」


 ……前言撤回。

 今度からは、言葉を選んで話そうと思った。

「別に……私にも現実逃避したい時くらいあるの」

「ふーん……なんかこの会話あれね」

 沙夜が人差し指を立てて何かを思い出した様子である。

「デジャブ? ってやつだね」

 確かに、言われて見ればこんな会話をした気がする。


「そうだね」

 私は別に会話をしたくて、今ここにいるわけではない。しかし、沙夜からしてみれば意中の相手と二人っきりなわけで、テンションも上がっているんだろう。

「はぁ」

 本日二度目。

 どちらも心からのため息である。


「何があったの?」

 沙夜が聞いてくる。純粋な好奇心から聞いてきているのだろうか、それともまた別の何かからか。全く表情では沙夜のことがわからない。


「ううん、なんでも」

 私は答えない。それが正解だと思っているから。

 多分、今さらながらに気づいたが、私は沙夜のことがあまり好きではないのだ。私の好きな祈凛さんが、沙夜のことを好きだから、嫉妬して、なんてことではない。

 もっと、単純に、人間として好きじゃないのだ。


 なら何故私はこうやって、沙夜と一緒にいるのか。理由は自分で分かる。

 唯達やその他大勢の人と、同じ存在なのだ、沙夜は。

 沙夜と一緒にいたいと思うのは、唯達と同じ、嫌われたくないのだ。私自身がどう思っているかは関係なく。

 一人に嫌われるのと集団に嫌われるのは全然違うことかもしれない。でも、その一人が何の集団にも属さない者だったら? 

 集団ではない個人にも好かれたい。自分以外の全ての人に嫌われたくない。みんなどこかにしまっているこの感情。私はこれが人よりも確実に強いのだ。


 今まで、沙夜とは特別な関係だと思っていた。別に恋愛感情とかの話ではない。

 だが、私が祈凛さんと出会ってから、私は沙夜に対してどんな感情を持っていたか。多分、大切ではあったんだと思う。でも、それは特別な大切ではなくて、普通の大切。私が集団の一部でいたいように。沙夜には私といて欲しかった。

 だから、ベンチにだって居場所を作った。沙夜と一緒にいることを選んだ。

 でも、こうして自覚してしまうとあっけないものだ。私は沙夜と本当の意味では向き合ってはいない。かといって、気付いてしまったからこの関係を終わらせたいとは思わない。


 祈凛さんのため。それも理由の一つだけど違う。何度も言うように、私はみんなに好かれたいのだ。目立ちたい訳ではない。しかし、みんなに好かれるなんてこと無理だって分かっている。そんなに私は馬鹿ではない。

 だから、少しでも近くにいる人には好かれておきたい。私のワガママだ。

 そんな私のワガママに付き合わされてる、沙夜が少し哀れに思えた。


 多分、ぼーっと考え込んでいたんだと思う。それでも、沙夜は私に何も話しかけてこない。


 本当に私のことが好きなのか。疑いたくなるくらい、沙夜は私とのスキンシップを取ろうとはしない。

 私はこれで満足してる。問題は、沙夜の不満だ。多分、沙夜自身も自分でも分かっているんだと思う。私が全く沙夜に対してなんの感情も抱いていないことに。


 それは、きっと凄く苦しいことなのだ。私も感じることがある。祈凛さんが見ているのは私ではなく、沙夜であるからだ。

 きっと、この感情が溜まればいつか爆発するだろう。それこそ、こんな関係が元には戻らないくらいに。


 私はそれなりに、祈凛さんに話しかけることで、その感情を押さえ込んでいる。祈凛さんとの秘密もあるし。

 しかし、沙夜はどうだ? 最近はリボンを結んで欲しいとはあまり言わなくなってきたし、私と話す機会は減った。

 

 心配ではある。いくら、私にとって沙夜が特別な存在ではなくても、大切な人であることに変わりはないのだから。

 それでも、当人である沙夜が何も言わない以上、私がどうこうできることでもない。


 花音のことといい、沙夜のことといい。最近、私は人間関係に悩んでばかりだ。

 そりゃあ、現実逃避でもしたくなる。

 

「はぁ」

 ついついまた、ため息である。

 


「じゃあ、そろそろ」

 もう、すっかり日も落ち、部活動の生徒ですら帰宅している。

 流石に、これ以上ここにはいれない。まだ、春先でもあるから夜は冷える。


「分かった」

 

 沙夜もぼそっと私に返事をして、帰る支度を始めたようだ。

 私は先に帰ることとする。


「また、明日ね」

 さっきまでのことを思い出して、こんな言葉をかける私はホント最低である。

 もう、あきれて、ため息すら出てこない。


 私はベンチを後にして、帰路についた。

 すると、私のスマホに振動があった。多分、誰かからのメッセージだ。

 頭に花音や唯達のことが浮かぶ。もしかしたら、花音が唯達に言ったのかもしれない。


 少し緊張しながら、メッセージ画面を開く。


「ほへっ?」


 メッセージは全く関係ない人物からだった。



『明日は学校休みだよ』


『…まぁ、それも踏まえてなんだけど。明日会えないかな?』

 


 メッセージは沙夜からだった。

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