第25話 沙夜の時間② (番外)
テスト一日目の放課後。
私は麻百合が来ることを願ってベンチにいた。
祈凜からは、用事でこれないとメッセージを受けたので、麻百合がくる理由はなくなってしまった。
しかし、私がいるかもしれないと思って来てくれたら嬉しいな、何て思っていたりもした。
待ってる間、暇なので動画でも見ようと、黒いイヤホンを取り出す。
結構高価なイヤホンである。確か、四、五千円はした。
私は自分で言うのもなんだが、物持ちがいいので、かれこれこのイヤホンを三年は使っているだろうか。
動画の再生ボタンを押して動画を見始める。
もちろん。私の好きな司会者が出ている番組だ。
何で好きかと言われれば、何でだろうと思った。
特段、昔からその人を見ているわけでもないし、親が熱烈なファンとかでもない。
何でなんだろうなと自問自答しつつ、動画をみてくすりと笑う。
司会者がゲストの大物芸能人と絡むところがあるのだが、それをみるといつも笑ってしまう。
大物は大物なだけあって、むっとした顔をする時もあるのだが、その司会者は出演者のことを最大限引き出せるのだ。いつも感心しながら見ていた。
急に後頭部に刺激があった。
痛くはないけど、手刀かなにかでぽんっと頭をやられた。
振り向くと、麻百合がいた。
内心テンションMAXである。
来てくれたことに対して、本当に嬉しかった。
当然、麻百合は何故私がいるのか気になっているようだが、適当に答えておく。
そんな事よりも、久しぶりに二人っきりなのだ。
話すことはそんなにないが、二人っきりという事実がわたしの胸を高ぶらせる。
「この前のこと、まだ私許した覚えないんだけど」
話すことなんてない。私はそう思っていたが麻百合はそうではないらしい。
そりゃあ、そうだ。
いきなりあんなことされたら、相手にどうしてと尋ねるのが自然である。
そして、私が許されていないのも知っていた。
私は申し訳ないとは思うが間違ったことをしたとは思っていない。
とりあえず、知ってると答える。
「…私の初めてだったし」
ちょっとした衝撃事実だった。
麻百合くらいまわりに愛想良く振り撒いていれば、彼氏の一人や二人くらい今までいたものだと思っていたからだ。でも、初めてであればあの初な反応も理解できた。
そして、私が最初であると知って少し嬉しいと思う反面、申し訳なさもあった。
私は麻百合が初めてだったとは実際には知らないが、知ってると答える。
「今日、祈凜さん来ないよ」
それは知っていた。
メッセージが私にもきたからだ。
何の用事かはわからないが、確かに祈凜が来ないというのを聞いた。
私は知っていると答える。
「今日、久しぶり…でもないけど、二人っきりだよ」
さっき、私が自分で思っていたことだ。
私だけじゃなく、麻百合も二人っきりだということを意識してくれていて、変に照れてしまう。
だんだんだが、今この状況で自分のそういう気分が高まっていくのを感じながら、知ってると答える。
麻百合は良く見れば、なんだか震えているようだ。私のせいだろうか。
その麻百合の調子を気にしていたら、麻百合が私にまた質問してきた。
「私に変なことしない?」
その言葉は私の耳をくすぐった。
その言葉で私のエンジンが完全にかかってしまったのだ。
その問いには。
「知らない」
と答えた。
私は直ぐに、麻百合の方向に体を向けて麻百合を見つめた。麻百合も私を見つめ返してくる。
これが合意のサインだと思った。
麻百合の綺麗な顔に私の顔を近づける。
麻百合はそれに何も言わない。
手を伸ばして華奢な肩を抑える。
少し強めにだ。
麻百合は一瞬顔をしかめるが、私はそれでも強引に顔を近づける。
近くで麻百合を見るとホントに綺麗だった。
透き通った綺麗な目に、無駄のないそれぞれの顔のパーツ。長めの髪の毛は後ろで三つ編みにし、ハーフアップアレンジを加えている。
この子が何でこんなにも愛しいのか、自分だけのものにしたいと思えるような独占欲が心のそこから湧いてくる。
あと、数センチで麻百合の唇を奪える。
今回は、前回みたいな短いものではなく、もっと長くしたかった。
あと、ちょっと、もう少しだ。
しかし、現実はそれほど優しくはなかった。
麻百合が私の肩に手を当て、少し強めに押し返てきた。
「え?」
私は目を見開く。
まさか、麻百合がそんな行動をとるとは思っていなかったからだ。
焦っていた。
麻百合が怒っていることくらい容易に想像できる。
重要なのは何と言われるかだ。
しかし、それは私が想像していたよりも私にダメージを与える言葉だった。
麻百合は私に冷たい視線を向けて言う。
「……もう、私に関わらないで」
そして、鞄を持ってその場から立ち去っていった。
◇
テスト二日目。
もちろんテストなんてやってる場合じゃなかった。
なんとか麻百合に謝らないとと思っていた。
昨日のことがあってから、何回もメッセージを送っている。
しかし、一向に既読がつくことはない。
泣きたい気分である。
でも、泣けないと、泣いてはいけないと、静かに自分を律していた。
ベンチになら来るかもしれないと、待ってみた。
来なかった。
来るわけがなかった。
完全に心が折れてしまったような気がした。
流石に諦めざるおえない。
完全に接触を拒否されているのだ。メッセージも無視され、ベンチには来なくて。
何であのときあんなことを、などとは思ってはいない。思ってはいけない。
もう、どうでもいいと、自分に言い聞かせる。
そして、私は寂しく、帰路についた。
私は電車に乗っていた。
帰路につこうと思ったのだが、何故かこの前の喫茶店のことを思い出して、無性にあの女性に会いたくなったのだ。
今なら女性が暗い表情をしていた理由がわかるような気がした。
店に入ってちょっとした違和感を感じた。
店は相変わらずレトロな雰囲気だ。
違うのは、あの女性が酔ってはいないということだ。
「あら、この前の。いらっしゃい」
接客スマイルで迎えてくれる。
私はこの前座っていたあのカウンター席に座った。
もちろん誰もいないので、荷物は隣の空いている席である。
「何か注文ありますか?」
今日の女性は、ずいぶんと丁寧である。
前回は本当に酔っていたのだろう。
最初がああだったせいか、私の脳は違和感としてしかとらえられなかった。
それに今の私は丁寧な扱いを受けたい気分じゃなかった。
「…この前のと同じ物をもらえますか?」
あのシードルの味が忘れられなかったのである。
そう頼むと、女性は返事をして奥へと消えていく。
そして、今回はビアグラスに注がれた状態で出てきた。
泡もたっていないことから、おそらく普通に入れたのだろう。
それを口に注いだ。
相変わらず美味しい。
私の表情をみてか私が求めていなかったことに気づいてか、さっきのかしこまった態度をやめて女性が話しかけてきた。
「フラれたかい?」
直球である。
私は頷いた。
認めたくはないけど、麻百合がああやって言うってことはフラれたと同義だ。
「そうか、若いのに大変だね」
私はもっとけなして欲しかった。
認めて欲しいわけではない。
でも、女性はそんな事は言わなかった。
「あんたみたいな綺麗な子をフるなんて、相当勇気がいるだろうにね」
女性は的はずれなことを言ってくる。
麻百合は勇気とかそんな事じゃなかったと思う。
でも、少し女性の言葉が胸に染みた。
そして、何故か無性に笑いたくなった。
笑いたくなったのだ。
笑おうと思った。
顔の筋肉を必死に吊り上げて笑おうと思った。
お笑いの動画を見ているときのようにくすりと笑らおうと思った。
でも、笑いたいのに、笑いたいのに。
前が見えなかった。
目も、鼻も、口も、耳も。
みんな言うことを聞かない。
みんな笑ってなんかくれない。
ただこぼれちていく雫を無視して、少し気の抜けたシードルを口に含む。
女性はいつの間にかいなくなっていて、それを確認した私は一人で嗚咽を漏らしていた。
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