第24話 沙夜の時間① (番外)

「麻百合ってさ、祈凜のこと好きなんでしょ?」


 私は麻百合が祈凜を連れて来たときからわかっていた。

 好きな人のことだ。当たり前である。

 でも、わかっていても、なんとなく目を背けていた。


 そしたら、抑えきれなくなったのだ。

 今の自分が暴走しているということはわかっている。


 そう、暴走だ。


 私は欲望のままに麻百合を求めている。

 麻百合の全てを知りたいと思っている。

 その全ての思いが…暴走したのだ。


 頭では理解できていないのか麻百合が困った表情をしている。そんな姿が凄く好きだ。

 どこまでも貪欲に愛したい存在だ。


 ここで、気付く。

 私は自分のものにしたいと思っている。

 麻百合の責任を自分が背負ってあげたいと思ってる。


 私が付き合ってと言ったら、麻百合はイエスと言ってくれるだろうか。きっと言わない。

 そういう人を好きになった私が一番知っている。


 きっと、これ以上やったら元に戻ることはできない。そういう理解もしていた。

 でも、今この気持ちを止めたらまたいつ爆発するかわからない。


 良いのだ。


 私は何か言おうとしていた麻百合の口を、私の唇でふさいだ。


 体が熱い。

 思考が停止する。

 前が見えなくなる。


 まるで麻薬でもやっているかのような気分だった。

 ちょっと触れただけでも、全身で快楽を味わえる。


 永遠のように感じていたが、触れたのは一瞬。

 すぐに顔を離した。


 まだしたかった。

 もっと私は麻百合を求めていた。体は麻百合を求めていた。心は麻百合を求めていた。


 でも、そこでふと冷静になる。

 流石に暴走と言っても限度があったのかもしれない。

 麻百合はこの状況にあまりにも理解が追い付いていないようだ。

 こんな状態の麻百合を無視して、欲望のままに行動するほど私は傲慢ではない。

 人の唇を急に奪っておいて今更な感じもするが。


 事後。

 私は今日泊まる予定の祈凜のアパートに向かって歩いていく。と、帰る前に一言だけ言っておかなければいけないことがあった。

キスまでしたんだから後戻りはできない。


「私、付き合いたくなっちゃった」


 もしかしたら、私は泣いていたのかもしれない。



 祈凜さんのアパートに戻った。

 麻百合は相変わらず、難しい表情をしている。

 私もさっきのことを思い出すと、顔に出てしまいそうなので、最近見たお笑いの動画でも思い出しながら、平静な態度を保っていた。


 ちなみに、帰る途中に麻百合に言った、テストの日はベンチに行かないというのは嘘である。

 行く気満々だ。

 もしかしたら、私がそう言ったので、麻百合はベンチに来ないかもしれない。

 私が来ないから、麻百合も行かない。そういう選択肢をしてくれたら嬉しいな、なんて思っていた。


 祈凜なんかより、私を選んでくれたらいいな。


 それにしても、気まずい。

 私がキスをしたせいで、麻百合が私と目も合わせようとしないのだ。

 まさか、こんなに初な反応を目にするとは思いもよらないだろう。


 こんな感じで今日は夜を過ごせるだろうか。

 という疑問が浮かんだ。

 多分、無理である。


 こんな調子なら、耐えられない。

 下手をすると、また私自身でも制御がつかなくなる可能性だってある。


 それなら、さっさと用事があると言って帰ろうかと思ったが、せっかく祈凜がカレーをつくってくれているのだ。

 流石に食べずに帰るのは失礼な気がした。


 そして、ご飯を食べたら帰ろう。



 カレーが食べ終わった。

 先ほど決めた通り帰るつもりだ。


 まだ食べ終わったすぐ後なのでゆっくりとしていたい気分なのだが、ゆっくりしていれば、きっと長く居座ってしまうことにもなる。


 私はそれを望んではいない。


 祈凜に向けて、帰ると短く言った。

 一応、麻百合に言ったとおり、私はテストの日はベンチに行かないという嘘もつけてだ。


 幸い、勉強道具以外のものは広げて居なかったので、さっと荷物をまとめることができた。


 麻百合はその私のその行動をただじっと見ているだけだ。

 麻百合はたまにそういう行動をするときがある。なんだか目がその人をみていない感じ、まわりに感心が無さそうな感じだ。


 私はそんな、麻百合を一瞥して、アパートを出た。


 私を呼び止める声が聞こえたが、無視をした。流石に今から戻るなんてことをするくらい神経は図太くない。


 さて、どうしようかな。

 スマホをつけて、時間を見ればもうすぐ10時になるところだ。

 確か、10時発の電車があったと思う。

 走れば間に合うだろうが、正直面倒くさい。


 次の電車は11時ちょっとで、一時間以上ある。待つのも少し面倒くさかった。


 まぁ、補導されない程度にブラブラしていれば、すぐ一時間くらい経つだろうと思い、祈凜のアパートから、あえて駅の反対側を進んだ。


 よく分からない、ジグザグした道を進んでいく。

 何ともまぁ、不気味な場所だ。

 この道に来る人なんてろくなやつはいないんだろうななんて思う。

 そんな事を言って、私自身もろくなやつではないか。


 でも、自然と引き返そうとは思わなかった。

 この先に何かあるとか、行ってはいけない気がするとかそんな事は感じない。

 ただ、なんだかわくわくしている自分がいた。


 しばらく歩いていると、灯りが見えた。

 こんなところに灯り?

 訳のわからない道を歩いていって、灯りが見えてくるなんて、どこかの童話でありそうだ。


 灯りに近づいていくと、その正体がわかった。

 洋風な木造の喫茶店である。

 凄くレトロだ。

 店名は『Feliz banco幸せのベンチ』となっている。何てかかれているのかはわからないが、多分スペイン語だ。そして、立て掛けてある看板には営業中とかいてあった。

 なんだか、金曜日の映画の放送でカントリーロードを歌っていそうな感じだ。


 こんな夜遅くに何で喫茶店がとも思うが、今は入ってみたいという好奇心の方が強かった。


 ドアを開けようと軽く力を入れてドアを引く。

 硬くて開かなかった。

 余程、古い作りなのだろう。

 今度はなるべく、力を入れて引いてみた。

 ドアベルがチリチリと音を立てて、ドアが開いた。


 ちょっとしたことなのに少しおかしかった。


 中もレトロという言葉が良く似合う感じだった。でも、その中の異質なものがあった。

 カウンター席に座っている。四、五十代の綺麗な女性だ。


 長く綺麗な栗色の髪が特徴的でそれを後ろで縛っている。

 顔はシワなどが全然なく、また、少しヨーロッパ系外国人の顔をしていた。

 おそらく外国人が親戚にいるのだろう。


 その女性が、ビアグラスに注がれた黄色っぽい炭酸を飲んでいたのだ。

 多分お酒だ。


 女性はドアベルの音を聞いて私の方をみると、驚いたような顔をした。

 まぁ、普通の反応だ。少し安心した。

 こんな夜中なのに、こんな喫茶店に入ってくる高校生がいたら誰でも似たような反応はする。


「いらっしゃい」


 でも、女性は私にそれ以上のことは言わず、目で座ったら? とでも言うように自分の座っているカウンター席の隣を見た。


 いらっしゃいと言うからには、この人が喫茶店の店員さんなんだろう。いや、一人しか見当たらないから店長さんか。


 私は、示されたとおり、女性の隣に座る。

 持っていた宿泊荷物は空いている隣の席に追いた。


「何か飲む?」

 女性は「もうこんな時間だし、ただにするよ」と言って、メニューを渡してくる。

 少し酔っているみたいだ。

 でも、その優しい言い方からして、普段の生活でも優しい人なんだなと思った。


「あ、でもお酒はだめだよ?」

 と付け足して言ってくる。

 私は元から飲む気はないが、女性の飲んでいる黄色いお酒は少し興味があった。


 少し食い入るように、女性のグラスを覗く。

 見たことのないお酒だった。

 まぁ、未成年でもあるから知らなくても普通だとは思うが。


 女性は私のその様子をみて、聞いてくる。

「あぁ、シードルね。ノンアルコールもあるけど飲んでみる?」


「…いいんですか?」

「ええ、もちろん。少し待っててね」

 そう言ってカウンター席を立ち、調理場のようなところに戻っていった。


 その間にスマホで女性の言っていた『シードル』を調べてみる。

 それはスペインやフランスといった、主に地中海付近で飲まれているお酒のようだ。

 リンゴのお酒である。


 女性がビアグラスとノンアルコールと書かれたシードルのボトルを持ってくる。


 それから「見ててね」と言って、ボトルを開けた。

 プシュッと炭酸ならではの音がする。


 女性はシードルのボトルを頭より高い位置持っていって、腰の高さくらいにグラスを持って、上から下へ注ぎ始めた。


 もちろん炭酸であるから、泡がたっている。

 コップ一杯分を注ぐと私の目の前においてきた。

 女性はどう? と満足そうな顔をしていた。

 何だか凄くアバウトで変な感想かもしれないが、ヨーロッパという感じがした。


 私は、ビアグラスに注がれたシードルを口に注ぐ。口の中で炭酸とリンゴの強い香りが弾けた。


「あ、美味しい」


 かなり美味しくて、つい口から出た。

 女性をみると笑顔で笑っていた。


 しかし、その後急に暗い顔になって、

「そう…良かった」

 と言った。


何かあったのだろう。

 でも、別に親しい間柄でもないし、話を聞きたいとは思わなかった。




 しばらくして女性が「電車はいいの?」と聞いてきた。私はスマホを開いて、もう11時前だということをに気付く。


 今度は流石に遅れられないので、少し焦った。


「えーと、お代は?」

「お代はいらないよ」

「でも…」

 私は流石にお代を払わずに帰るのは失礼かなと思って言ったが、女性は頑なにいらないと言った。


「それより、電車は」

 そう言われてまた時間をみると、もうここをでないと間に合わなくなってしまうことに気付く。


「…えーと」

 女性は早く行きなさいと目でいってくる。


 そして、私が折れた。


 私はありがとうございますとだけ言って、喫茶店をでた。



 改めて考えてみると、不思議な場所だったな。

 私はなんとなく、またここに来ようと思っただった。

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