第21話 ありがとうとリボン

 ベンチに向かっているとは言ったものの、その前にやらなければいけないことがあった。


「麻百合さんの家?」

「うん、そう。少し忘れ物をね、取りに行かないと」

 そう、忘れ物だ。


 祈凜さんには、悪いがついて来てもらおうと思う。

「家って言っても、少し家の前で待っててくれればいいから、駄目?」

「…ううん、もちろんいいよ」


 でも、どこに置いたっけな、あれ。電車に揺られる間に必ず思い出さないと。



 そして、駅のすぐそばの私の家の前にやって来た。


「じゃあ、少しだけ待っててね」

 祈凜さんには家の前で待っていてもらい、急いで家に入る。


「おかえり、麻百合」

 お母さんの声が聞こえるが、急いでいるので無視だ。


 自分の部屋に入って探し始める。

「……あった」

 幸い部屋の机の上にそれはあった。


 私は部屋を飛び出てすぐに玄関に行く。

 靴をはいていると、お母さんが顔を出してきた。

「あんた、またどっかいくの?」

 母親としては当然の質問であるが、今急いでる私にはしないで欲しい質問だった。


「そう! じゃ、行ってきます」

 簡潔にそれだけ述べ、家を出た。

 最後に母親が何かいっているようだったが、聞く気もないし別にいいかと心の中で呟いた。


「お、遅くなってごめん」

 家の前には、待っていてと言った祈凜さんが待っていて、なんだかほっとした。

 まぁ、待っていてと言ったんだから待っていてくれるのは当たり前か。


「遅くないよ、と言うか早いよ」

「そ、そうかな」

 どうやら、急ぎ過ぎたかもしれない。


「ま、いいや。さ、学校いこっ」

 私がそう言って、二人で歩き出す。


「ベンチに何しにいくの?」

 祈凜さんの純粋な疑問なのだろう。

「……今はまだ、言えないかな」

 でも、そこは言えない。



 学校についた。

 そろそろ、日が落ち始める時間でもある。


「……」

 祈凜さんは私の言ったことがまだ、納得いっていないのだろう。

 何とも言えない表情で黙っていた。


 校舎をどんどん歩いていく。

 途中でいくつかの部活動の声が聞こえたが、気にはしない。


 そろそろ日も落ち始め、夕日が綺麗な時間帯だ。


 そして、ベンチのもうすぐそこまで迫る。

 あとは、角を曲がるだけ。


 一瞬、行くのを躊躇って、それでも足を進めた。



 ベンチには、誰もいなかった。



 しかし、私達の、私の前には沙夜がいた。


「急に飛び出してきて、びっくりした」

 私は沙夜にそういう。

 沙夜は私を見て固まっている。感動しているのか、怒っているのか、わからない表情だ。


 だが、それも一瞬のことで、急に私に抱きついてきた。

 祈凜さんもいるのにと、思いながら沙夜の頭を撫でる。


「沙夜…」


 今抱きつかられている沙夜に対して、自然と憤りは感じなかった。


 祈凜さんは私達を気遣ってか、単純に驚いてか、何も言葉を発しようとはしない。

 よって、自然と沙夜の荒い息だけがこの空間に音をもたらしていた。



 しばらくすると、沙夜は私から体を離す。しかし、うつむいたままで顔は良く見えない。


「ベンチ座ろ」

 私がそう言うと、沙夜はうん、と顔を縦に小さくふった。


 ベンチには私と沙夜だけが座り、祈凜さんは何故か座ろとはしなかった。

 何故座らないのか理由を聞きたい気持ちもあるが、先に「理由は聞かないで」と言われたので、聞けない。


 私が朝から散々やって来たこともあるし、仕方なくそれにはしたがう。


「ふぅ、沙夜そろそろ顔を見せてよ」


 うつむいてる沙夜に対してあえて耳元に小さくそう言う。

 正直、沙夜のこんなに弱っている姿をみるのは初めてだった。それに、私が原因と考えると心が痛む。


「…沙夜?」


 沙夜は一向に顔を上げようとしない。

 私も何としてでも顔を上げさせたい訳ではないので、それ以上は何も言うつもりはない。

 ただなんとなく、私だけがこうして話しかけているのは嫌だった。


「沙夜はまだ、私のこと好きなの?」 

 だから、私が今一番聞きたい質問を直球で投げ掛けてみる。どんな反応でもいい。沙夜の反応が見たかった。


 今この会話のことを祈凜さんは聞いているが、関係ない。元々、昨日この話し合いの場を設けると決めたときから、聞かれてもいいと思っていた。

 多分、驚いているだろう。でも、いいのだ。


「……」

 沙夜は、黙ったままだ。


 仕方ないかもしれない。

 だって私なら、好きな人にこんな姿を見せて自分が惨めだと思ってしまう。自分を知らず知らずのうちに責めてしまうのだ。きっと。


 沙夜が私と同じであれば、まだ私を好きな証拠でもある。


 ちょっとおかしいと、思った。

 あんなこと言われて、それでもまだ私が好きだと思っているかもしれないのだ。


 私は慰めるとか許すなんてことはするつもりはなかったのだが、沙夜の気持ちを考えると、声をかけたくなった。


 でも、先に言いたいことを言う。


「…沙夜………ありがとう」


 何に対してか。

 そんなものは決まっていた。

 私がベンチにいられたこと、沙夜が私を好きになってくれたこと、そして、こうして私の呼び出しに応じてくれたことだ。


 沙夜は私の言葉を聞いて顔をあげた。

 ただそれだけの行為。でも、それに感動してしまう私がいた。


 沙夜の顔は、泣きはらした後があって、肌がいつもに比べカサカサで、顔色もそんなには良くなくて、でも、綺麗だと思った。


「…沙夜は綺麗だなぁ、私にはかなわないや」


 すると、沙夜の頬を伝う涙がこぼれた。

 少し、鼻水も出しながら、泣いていた。


 私はポケットからハンカチをだして沙夜の涙を拭う。


「……沙夜は本当に、綺麗だね」


 惨めだなんて思わない。

 本当に、泣いた顔も、拗ねた顔も、笑った顔も、怒った顔も、全て綺麗である。


「でも、気持ちは変わらない。私は、祈凜さんが好きだよ」


 祈凜さんにはバレてしまうが、覚悟してた。


「え?」

 祈凜さんの声が聞こえた。

 驚いているようだ。

 実際、祈凜さんは思いもしなかったんだろう。私が祈凜さんを好きだと言うことを。

 これは、私なりのけじめ。祈凜さんだけが知らないのはフェアじゃないから。


 私はポケットから、先ほどのゲームコーナーでとったあれと、家から持ってきたあれを取り出す。


「…沙夜、これ」


 そう言ってふたつを沙夜の前に差し出した。


「……なにこれ」

 ここで初めて沙夜がしゃべった。

 随分としわがれた声だ。まるでおばあちゃんみたい。でも、それがなんだか懐かしかった。


「…今日、誕生日でしょ? あと、沙夜の忘れ物」


 そう、今日は沙夜の誕生日だった。

 沙夜の誕生日についてはいつか話したことがあった。だから、覚えていたのだ。


 そして、誕生日プレゼントと一緒に渡したのは、沙夜が大切にしていたおばあちゃんからもらった髪ゴムだ。


「…何で、麻百合が?」

「だから、忘れ物だよ」


 沙夜がそう思うのも仕方ないだろう。

 確か、祈凜さんが最初にこのベンチに来た時、つまり私が祈凜さんとあった日に沙夜が忘れていたものだった。


 余程、見つかったのが嬉しいのか髪ゴムを見る目が輝いていた。

 そして、私があげた包装された誕生日プレゼント見て、私に「みていい?」とでも言うような視線を送ってくる。


 私はそれに頷いて返した。

 それを見て、沙夜は包装を綺麗に開けていく。


 そして中には。

「…リボン?」

 そう、ゲーセンで取ってきた白いリボンだ。


「沙夜に、似合いそうだなって…」

 ちょっと恥ずかしかった。

 でも、沙夜がなんだか嬉しそうなので良かった。



「……結んで」

「え?」


 沙夜がじっとリボンを見つめていたと思ったら急に私に背を向けて言ってきた。

 結んでと言われても…。

 私は昔から人の髪を縛ったり結んだりするのが苦手だった。


「結んで、麻百合」


 後ろを向いた状態から振り向いてそう言ってくる。

 ちょうど良く夕焼け空がバックになっていて、涙目な沙夜に、ドキリとしてしまった。


「…下手くそだよ、私?」

「いいの、麻百合に結んでもらいたいだけだから」


 私は沙夜からリボンを受け取り、沙夜の髪に触れる。


「……」

「……」


 一本一本がきちんと手入れされていて、触ってるだけで気持ちがいい。


「…できたよ」

 少し不恰好ではあるが、私的にはに上手く結べたような気がする。


 沙夜が自分の持っていた鞄から鏡を取り出し、リボンの具合を見る。

 するといきなり、ぷっと吹き出した。


「はははっ、ホント、下手くそだね」

 酷いことを言う。

 しかし、自然と腹は立たなかった。


「ふふふっ、沙夜酷いよ」


 私も自然と笑みがこぼれたのであった。



 完全に二人の世界に入っていて、しばらくすると声が聞こえた。


「お二人さん、私だけ仲間外れですか?」

 少し放って置かれて怒っているのか、拗ねた顔の祈凜さんの声だった。


「あ……ごめん」

 完全に忘れていた。


「別に、いいです」

 と、どうやら、そこまで怒り心頭という訳ではないみたいだ。


 祈凜さんは沙夜の髪をじっと見る。


「き、祈凜? どうしたの?」

 沙夜は戸惑っているみたいだ。


「いや、麻百合さんって結構不器用なんだなと思って」

 私の心にグサッとくるものがあった。


 なかなかに辛辣な言葉である。


 沙夜はその言葉に笑って、

「だね、不器用だ」

 と言ってきた。


 沙夜にも笑われてしまった。

 少しへこむ。


 でも、こうやって三人で笑うのは初めてのことで、なんだか嬉しかった。

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