第6話 マネージャーさん

「えと、はじめまして。大海麻百合おおうなまゆりです」


「はい、はじめまして。椎名咲桜さんのマネージャーをしています、門脇涼子かどわききょうこです」



 良く晴れた日曜日。

 私はあるミュージック事務所にきていた。

 移動は朝から電車で揺られること1時間。

 都内にあるその事務所はもちろん、椎名咲桜が所属している事務所だ。

 祈凜さんから連絡があり、マネージャーさんが話をしたいということだそうだ。

 もちろんだが、私一人では事務所になんて入れる訳もないので祈凜さんと一緒である。


 事務所に入って通されたのは、第1から第12まである会議室の第3会議室だった。


 中には、黒いパンツスーツを着た女性がいた。そして、その人がマネージャーの門脇さんだった。

 マネージャーさんというので、なんだか少しだけ怖いイメージがあったが、そういったことは全然なく、優しそうな感じの人だ。


 門脇さんの外見は、スーツがよく似合う女性だ。皮肉ではなく、本当に仕事ができるという雰囲気を醸し出している。

 肩に触れるか触れないかくらいの髪を一本で後ろで束ねていて、つり目が印象的である。

 全体的に顔が整っていて、身長が高く、スレンダーで大人な女性という感じがした。


「…門脇さん、それで話というのはやはり……祈凜さん、いえ、椎名咲桜さんのことですか?」

 机の反対側に座る門脇さんに質問しつつ、隣に座っている祈凜さんを見る。

 今日の祈凜さんは茶色いパンツに白いニットを着ている。


「はい、そうです」

 そう言いながら門脇さんは一瞬だけ祈凜さんに視線を向けた。


「すみません、少しいいですか?」


 会議室に入ってから一言も声を発っしていなかった祈凜さんが会話に入ってくる。


「なんですか?」

 優しいトーンで門脇さんが祈凜さんに問いかける。


「あの、麻百合さんについてなんですが、多分秘密保持契約をしてもらう予定なんですよね?」

 祈凜さんは確信めいたような口調だ。


 朝、祈凜さんと一緒に来るときに『少し、契約とかそういう面倒くさい話になるかもだけど、心配しないで、なんとかするから』と言っていたのを思い出す。


 なんとかすると言っても、契約ってことは社内のことだから、祈凜さんの一存では決めれないような気もするが、任せておく。


「はい、そうです。大海さんには秘密保持契約をしてもらう予定ですよ」

 門脇さんはさっきと変わらず優しいトーンでしゃべりながら、何かの書類を机の上のファイルから取り出した。

 多分、秘密保持契約とやらの書類だろう。


「その契約なんですが、麻百合さんが契約を結ぶ必要性はないと思うんです」


「え? …そ、それはなんでですか?」


 門脇さんは少し驚いたようだ。


「えと、今回椎名咲桜のことが麻百合さんにバレたのは私が原因なんです。私が麻百合さんの前で歌なんて歌うから……ですから、麻百合さんにご迷惑をかけるわけにもいかないし、なおかつ、麻百合さんは私のことをばらしたりするような人じゃないので大丈夫だと思うんです」


 まだ、2回しか会ったことのない私と祈凜さんだが、祈凜さんが私のことを信頼してくれているような気がして嬉しい。

 少し感情論な気もするが、果たしてこれで門脇さんが納得するだろうか。


 門脇さんは「うーん」難しい顔をした。

 ここまで言ってくれた祈凜さんには悪いが、やはり私が秘密保持の契約をすれば済む話でもあるのだ。

 しかし、その契約で祈凜さんとの今後の関係に制約などが出来てしまったらと考えるととても嫌だ。



 15秒ほど門脇さんが悩んで、言葉を発した。

「…幌萌さん…その、私の一存ではそれは決めることができません」

 やはり。仕方がない。


「…あの、それなら、私契約しますよ」


 祈凜さんには少し悪いと思ったが、仕方がない。

 多分、祈凜さんがどう言ったところで、私に契約をしてもらわなければ『椎名咲桜』の正体がバレてしまうことにもなりかねないのだ。


「え? ま、麻百合さん…どういう…」


「祈凜さんごめんなさい……門脇さんその契約内容なんですが詳しく教えてもらっていいですか?」


「……はい、分かりました」


 私の言葉を聞いた祈凜さんは少し落ち込んだ様子だったが、しばらくして納得したのか黙りこんだ。

 そして、門脇さんから契約内容の詳細を聞く。


「ええと、内容については……」

 門脇さんが丁寧に教えてくれる。


 内容は主に椎名咲桜に関することだ。もちろん、椎名咲桜が祈凜さんであることを話さないことも契約の内容のうちだ。

 そして、問題の今後の祈凜さんとの関係性についてだが。


「そして、今後の幌萌さんとの交流なのですが、極力控えて頂きたいです」


 その言葉に、私は落胆した。

 まぁ、一ファンである私だけが祈凜さんと特別親しくするのは確かに不公平でもある。

 だけど、好きな人である祈凜さんに関わることが駄目となると、私自身相当に辛い。


「ま、待って下さい!」


 すると、黙っていた祈凜さんが声を上げた。


「麻百合さんと私との関係にも制約が入る必要性はないんじゃないですか?」

 祈凜さん焦ったような感じで、門脇さんに言う。


「ですが、大海さんがファンとなると、正体を知ってしまっているので、他のファンの人達にも公平ではなくなってしまいます」

 門脇さんの言うことは最もだ。

 私もそれは仕方がないとは思う。


 祈凜さんもさっきのように納得して引き下がると思ったのだが。

「でも、私と麻百合さんにおいてはファンとアーティストという関係よりは、学生同士という関係です」

 祈凜さんは一歩も譲ろうとはしなかった。


 二回しか会っていないが、祈凜さんは私との関係を切るのではなく続けさせようとしてくれているのだ。

 好きな人がそういうことをしてくれている。

 そう考えるととても嬉しく感じると同時に、関係を絶たなければいけないであろうこの状況が悲しくもあった。


 門脇さんだってやりたくてやっているわけではないのだが、このままだとどちらも譲らないであろうことは容易に想像がついた。



「しかし、先ほども申し上げたとおり私の一存では……」


 仕方がない。辛い選択ではあるが、元はと言えば私が祈凜さんとのことについて、変な感情を持ってしまったのが悪いのだ。

 自分から身を引けば、三角関係なんて面倒なことにならなくて済むし、そもそも、女同士なんて言うのがおかしいのだ。


「あの、私…」


 バンッ。


 私が喋っているのを遮るように会議室のドアが開いた。

 室内にいた三人ともドアに目線がいく。



 ドアの前には。


「話は聞かせてもらいました」


 百七十センチメートルはある、謎の女性がたっていた。

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