飛翔
昨日、ようやく親父の歳に追いついた。
この日を待ち詫びていた。親父の没年齢を追い越せば、きっと俺は親父のこと
を、もう頭に思い浮かべることが無くなる。そんな考えに救いを求めていた。
だが、実際は、昨日から、親父のことばかり考えている。
親父が死んだのはもう二十年も前のことなのに、親父の顔が、今でもはっきりと目に浮かぶ。
俺は、どうにもたまらなくなり、数年ぶりに実家を訪れていた。お袋は、仕事で夜まで帰ってこないだろう。
俺は、親父の部屋の戸を開く。長く閉じられたままだったせいか、きいっという、錆び付いてでもいるかのような音がした。
部屋の中は、親父が死んだ時から何も変わっていない。お袋がそうしたのだ。遺品の整理も、一通り目を通したら、すぐ元の場所に戻す、という手順を踏んで行われたと言う。俺はその作業には加わらなかった。心神喪失の状態だったからだ。
親父は、俺の目の前で死んだ。スーパーの入り口で、不意に飛び出してきたダンプカーに轢かれたのだ。
俺が親父に遅れること数分、買い物袋を下げて自動ドアから出た、その瞬間だった。
親父はゴムマリみたいに吹っ飛んで、そのまま血だまりの中で、帰らぬ人となった。
埃でむせかえりそうだ。昔と変わらず、ラジコンカーや、ヘリが、大きな棚に所狭しと並んでいる。
親父は本当にラジコンが好きだった。親父は俺とも一緒にラジコンで遊びたがった。インドア派だった俺はそれがだいぶ億劫で、大抵、むべもなく断っていた。今では少し後悔している。
親父が一番気に入っていたラジコンヘリを、手に取ってみる。
こいつは今でも動くのだろうか。
すぐそばに置いてあった操縦機を手に取り、スイッチを入れて、レバーを倒してみた。反応は無い。
そういえば、電池を入れていない。思いがけず、急に長く放置することになった時に備えて、液漏れを防ぐために、いつも電池を抜き取っておくのが親父の習慣だった。
居間に戻り、電池を入れて、再度レバーを倒した。
しかし、反応は無い。故障しているらしい。
不意に、記憶が蘇る。そうだ。親父は、このヘリが壊れたと言って、深く嘆いていたのだった。
だが、もういいだろう。
この部屋に居てもしょうがない。それが良く分かった。
気持ちの整理など、何もつきはしないのだ。
しかし、部屋を出ようとすると、そのラジコンヘリが俺を、恨みがましくにらみつけているような気がして、どうにも気分が落ち着かなかった。
嘆息して、ラジコンを手にとって、部屋を出る。
母に、ラジコンヘリを持って帰る旨を端的にメモして、実家を出て、家に帰った。
時刻はまだ昼前だ。俺は、こいつを直すのにうってつけの人物に電話をかけた。
「よー、アキちゃん。久しぶりぃ。どったの?」
間の抜けた声が聞こえてくる。
ちょっと直してほしい物がある、とだけ伝えて、今から来れるか、と聞いた。
そいつ――赤城純(あかぎじゅん)は、二つ返事でOKしてくれ、俺は純の到着を待つことにした。何だか、気分が昂ぶっている。
しばらくして窓を見やると、純が、ひょこひょこと、軽妙な足取りで、家に向かってくるが見えた。窓を開け、声をかける。
「遅ぇぞ、純」
「何だよ、アキちゃん。来てやったのに、ご挨拶だなあ」
断っておくが俺は可愛らしい女の子なんぞじゃなく、立派な、深津彰(ふかつあきら)という名前があるのだが、こいつは、お互いにいい歳になっても、意地でもアキちゃんという愛称で呼びたがる。もう諦めているが。
「まーいいや。直して欲しいものって何。また単車?」
「もっと小せぇモンだよ。今持ってく。縁側に座って待ってて」
俺はラジコンを手に取り、純のところへ向かった。
「縁側っていいよなー。今時珍しいよね。憧れちゃう」
純はつなぎを着た足をパタパタさせながら、太陽を仰いで、目を細めた。
「てっきり単車かと思って、工具もそれっぽいのばっか持ってきちゃったよ。何なの?」
「こいつだよ」
「ひゃあ、ラジコン。縁側並に、今時ラジコンかよって感じだね」
「うるせーよ。直せる?」
「パーツにもよるけど、ま、何とかなるでしょ」
純は、すぐに仕事に取りかかった。何をしているのかさっぱり分からないが、相変わらず素早い手つきで、どんどんバラバラにして、また組み立てていく。さながら魔法のようだ。
「これ、ひょっとしてアキちゃんのお父さんの?」
「そうだよ。親父がラジコン好きだったって話したっけ?」
「いや、世代的にそうかと思っただけ。昔の男の子が好きだったでしょ、ラジコンって」
「よく分かんねーけど、そうかもな」
「一緒に遊んだりした?ラジコンで」
「いや。あんまり」
「お父さん、可哀相に。まー、アキちゃんはラジコンってキャラじゃないか」
くっくっ、と笑う純。
「殴るぞ」
「ごめんなさい! もう。アキちゃんって凶暴なんだから」
そう純に言われて、そう言えば、昔の自分はこういう人格では無かったな、と思い出す。
変わったのは、親父が死んで、少ししてからだ。
俺は荒れ始めた。お袋に悪いと思いながらも、不良行為を止められなかった。
万引きも喧嘩もしたし、暴走族にも入り、何度も警察にしょっぴかれた。お袋を何度も泣かせた。その度にもう止めようと思いながらも、やはり、変わらなかった。20代の前半ぐらいまでそんな調子だった。まっとうに働くようになってから、ようやく少しずつ落ち着き始めて、今に至る。
「親父のせいだよ」
純に言っているのか、独り言なのか、自分でも分からないまま、呟いた。
「本当に、親父が死ななきゃなあ。もっとまっとうに生きられたさ」
言ってて自分でも情けなくなる。くそだせぇ。親父に責任を押しつけるようなことじゃない。
でも、じゃあ俺は何で今、こんなに胸がざわついているんだろう。
「でも、ちょっと羨ましいよ」
純が、修理の手を止めて言った。
「何が」と俺は聞きかえす。
「そういうお父さんが、さ。
俺の父さん、ひでーからさぁ」
そう言えば、長い付き合いになるが、純が父親のことを話すのを聞いた事は無かった。
「ひでーって、何が」
「まぁ、平たく言って、アル中ってやつかなあ。母さんや俺のこと、しょっちゅう殴ってさ」
聞いたことを後悔した。安易な言葉はかけられない。
「そうかよ」
絞りだすように、俺は言った。興味が無い風を装って。
「あ、気にしなくていいよ。今はもう酒やめてっしさ」
「そうなん?」
「まー、ちょっとはマシになったよ。変なこと言って、ごめんな」
純は、父親のことが、少しでも好きだろうか。
俺は不意に、そう考え、そして自分の葛藤の原因に気がついた。
俺はずっと、自分が親父のことを忘れたいと思っている、と感じていた。
だが、それが間違いだった。
本当は、逆なのだ。
俺は親父のことを忘れたくない。親父の没年齢を追い越したくない。
いつまでも、親父が親父のままで居て欲しい。
好きだから。大好きだったから。
「親父が生きてるだけいいだろうがよ」
俺はぶっきらぼうに言った。言った後、無神経な自分の発言に後悔した。
でも、純は、こだわりなく微笑んで、頷いた。
「そーだね」
純が、ヘリを俺に差し出す。
「ほい、できたよ。動かしてみて」
俺は、促されるまま、操縦機を手にとり、レバーを引いた。
パタパタ、と音を鳴らしながら、ヘリが浮上する。
「俺、操縦の仕方、分かんねーんだけど」
「だいじょーぶ。難しくないって」
ふらふらと、頼りなくヘリが宙を飛ぶ。
「親父さんとの、これからも消えない絆だね」
微笑んでそう告げた純の言葉に、思いがけず、目頭が熱くなった。
「大事にするよ。せっかく直してくれたんだしな」
そーしなよ、と純は言う。
操縦にも、だいぶ慣れてきた。
ヘリは空高く、飛翔する。
親父のいる、天国に届くかのように。
(終)
2018年10月13日 執筆
サニディンの短編小説集 サニディン @sanidine
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