5-13

 修は、荒れ果てた大地の上にいた。

 風は冷たく、どこまでも廃墟が続いていた。平野全体が虚無に覆われている。シーシュポスに視野を拡大させると、小田原から東には人影が見当たらなかった。樹々は枯れ、あたりは埃に覆われ、乾ききっている。熱くもなく寒くもないが、ぬくもりがない。何が起きたのだろう。恐ろしい想像が去来するが、心はなぜか冷たいままだった。

 西の方にも延々と無人の土地が広がっている。だが、富士山をはじめとした山の形が少し違う。その上、そこにはあるはずのない都市の骸があった。平地を埋めている建築物の群れだ。どういうことなのだろう。思わず首をかしげる。ここは過去なのか、未来なのか。

 もう一度東側を振り返ると、いつのまにか一人の少女が立っている。春香と同じようにかわいらしい衣服を身にまとっている。なぜここに彼女が。疑問に思って近づくと、自分で自分に隠していたあらゆる記憶が芽吹いて息を飲む。

 聖蓮だった。どうして見間違えてしまったのだろう。修は聖蓮と少し離れていただけなのに、顔も忘れてしまったのか。言葉を失う。自分の記憶力のはかなさと、姉から心が離れてしまった自分の冷淡さが思われて、息が苦しくなる。

いるはずのない人がいて、見えるはずのないものが見えている。考えてみれば、シーシュポスと彼女が同じ大きさのはずがないのに、彼女は修の肉体と同じ大きさをしている。気がつけば、修はいつの間にかシーシュポスを身にまとっておらず、修自身になっている。それでいて、シーシュポスと同じように五感が鋭くなっている。矛盾が許容されている。

「ここは死後の世界なのか」

 思わず尋ねてしまう。夢のような曖昧さといいかげんさから、自分が死んでしまっているのではないかと思われた。そう考えれば、この廃墟のような世界も納得がいく。そもそも、あの雷撃を受けて生きていられるなんて考えられない。ここはあれほど霧島が存在しないと叫んでいた場所なのか。それがこれほどの実在感を伴っている。あまりにも荒れ果てているのは、修の犯してきた罪の重さを知らしめるためなのか。

 少女は思考を読んだのか、首を横に振った。

「残念ながら違う。ここはあの世ではない。あなたの身体はまだ生きている。これは、シーシュポスがかつて見た世界。無明時代のずっと昔に一度滅んでしまった旧世界」

「どうしてわかるんだ」

「これは、私の頭の中にある景色だから」

 彼女は困ったように笑う。はにかんだように眉が下がる。この笑顔をもう一度見るために戦ってきたのだ。そう修は思った。だが、彼女はまた首を横に振った。

「ごめんなさい。私はあなたのお姉さんじゃない。どんなにそっくりでも、それはあなたの心が生み出した姿だから」

 ならば君は何者なのか。目でそれが伝わったのだろう。彼女は続ける。

「私は、シーシュポスの中に残された聖蓮の記憶の痕跡。わずかなパターンの偏差から再現された模擬人格」

 しかし、そこにいたのは姉そのものだ。声も姿も、心もそっくりで、どうしてもその違いが見つけられない。どこが違うというのか。

「それは私にもわからない。私は『修から見た聖蓮』というイメージそのものだから。それに、彼女が搭乗したときの記憶だって持っている。あなたが区別をすることはできないでしょうね」

 懐かしくて、あたたかい。この再会の時を修は待ち望んでいたはずだった。だが、ひどく寂しく思われた。本物と偽物の区別もつけられないなんて、自分の愛情が足りないのではないか。だが彼女は、人間の知覚なんて簡単にだませてしまうから、と慰める。

「しかも、どこからがシーシュポスでどこからが聖蓮の痕跡かなんてのは、定義のしようがないこと。それは熱帯低気圧の渦を見て、どこからどこまでが低気圧そのものなのかを決めようとするようなもの。それは相対的なものだし、観測者の主体によるところの方が大きい。だから、どっちにしたって同じこと」

 同じじゃない。聖蓮は聖蓮だ。代わりなんていない。そう言いたかったけれど、目の前にいる彼女があまりにも本物らしく、反論することができない。

「君がシーシュポスの中に残されたパターンだとしたら、……戦いのさなかに語り掛けてくれた聖蓮の声も」

「それも私。浮かんだ走馬燈は、私の記憶、といえるかもしれない」

「諸隈が犯人だって教えてくれたのも君なのか」

「あれは、修の中に元からあった言葉を見つけてあげただけ」

 彼女とともに荒れ果てた街の中を歩く。誰もいない街というのはこれほど胸を突くものなのか。深夜の街のように人がいない。いや、ここは建物の中にだって人の気配がないのだ。一度滅んだ世界を見た黒江も、この寂しさを味わったのだろうか。

 彼女は緑があふれていたのであろう公園に入り、ベンチに腰掛ける。不思議と彼女の座ったベンチは埃にまみれていることもなく、あたりの樹々も少しだけ光と緑をよみがえらせる。修も隣に腰かける。

「私が何者であれ、私はずっと修と一緒だった。修が頑張ってきたのも見てきた。とても立派だった。かっこよかった。私は、あなたを誇りに思う」

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