5-12

 だが、装甲をはがされた機神が身じろぎし、奇妙な振動が全身を通り抜ける。見知らぬ人間に体を撫でられたような、総毛立つ不安が襲う。もう一度重力制御装置が動かされたのだとはっきりわかった。しかし、修の周囲の重力にはほとんど変化が見られない。

「何をしたんだ」

 機神の顔がゆがんだ。

「わかるだろう。この場の揺らぎ、不安定な世界の歪みで。……重力制御装置を暴走させた」

「何」

「捕まるくらいなら、俺は潰れてブラックホールになってしまいたい、ってことだ」

 では、彼を裁きの手に渡すこともできないのか。だが、それだけではない、と彼は続ける。不穏な風が吹いている。

「だが、ブラックホールになったとしても、俺よりも地球のほうがずっと重い。ブラックホールはそのまま下に落ちる。何が起こるかわかるか」

 修は青ざめる。

「まさか」

「君が想像したとおりだ。ブラックホールは地球の核に落下する。確かに質量は微少だが、暴走を続ける炉は少しずつ地球の中心部を食い荒らし、着実に重くなっていく。そいつはやがて頻発する地震を引き起こし、この惑星は居住不可能となるだろう。最後には地球は消滅する」

「なんてことを」

「俺が支配できないのなら、何もいらない」

 それから、機神は機人の足首をつかみ、どこに残っていたのかわからない力で引きずり倒す。そして、信じられないほどの力で羽交い絞めにされる。

「君もブラックホールになるといい。二体分だから、それだけ縮退も早いだろう」

 彼の憎悪が伝わってくる。呼吸もままならない。旧世界が崩壊した理由などわからない。どれだけの者が生き延びたのかも知りようがない。だが、今度は生き延びるものが誰一人いないだろうということがわかっていた。

 あたりがぴりぴりする。雷雨の直前のように空気が震えている。風が激しいのは形成されつつあるブラックホールに流れ込もうとしているからだろうか。枝が揺れているのは渦に巻き込まれているからなのか。ありえないと知りながらも不安がすべてを不吉な前兆だと思わせてしまう。

 修はシーシュポスの計測装置を呼び出す。まだブラックホールまで縮退していない。圧縮が十分ではなく、炉は中性子の塊にもなっていない。

「黒江! 衛星に介入できるか」

 彼女は思いのほか冷静に答えた。

「ティテュオスの脳を使えばいけるけれど、何をするつもり?」

「僕らに向けて雷霆を打ってほしい。ブラックホールが生成される前に機神を破壊する。装甲がむき出しになっている今なら効果があるはずだ」

「そんなことをしたら修も死んでしまう。お姉さんの後を追うつもり? 馬鹿を言わないで!」

「まじめな作戦だ。こっちにはまだ装甲が十分に残っている。僕には生き残るだけの十分な可能性がある。それに、今すぐ撃たないと僕ら全員が死んでしまう。人間も、タカマガハラ族も、ダナイデスたちも。たった一人の愚行のせいでどれほどの犠牲が生まれるか考えてくれ」

 黒江はためらっている。声が震えている。

「だめ、私にはとてもそんなことはできない」

「頼む」

「無理! 大好きな人に手をかけるなんて、私にはできない!」

 全世界に聞こえているにもかかわらず彼女は愛を叫ぶ。冷酷な指導者としての決断ができないことが明かされる。彼女の想いが本物だと知って小さなあたたかさを胸に感じるが、それを無視して修は叫ぶ。

「もういい、僕がやる!」

 修はシーシュポスの脳を発熱させ、無線で回路に侵入する。途端に衛星の視界が目に移り、地球の丸みと散らばる大八洲国の島々が見える。星のようにきらめく演算子の流れを押しのける。宇宙を漂う塵のようにループや条件文がもつれている。

「やめて!」

 だが、修の意志がすべての防壁を突き破る。この防壁は、まるで黒江が必死になって抑えているみたいに固い。でも、修は引き金を引かないといけない。銃口が自分の眉間をまっすぐに見つめていたとしても。プログラムの群れがオペレータのように声をあげる。

「アマツミカボシ。ロック解除」

「全シークエンス、承認」

「生体パス、認証」

「最大出力」

「五、四、三、二、一」

「修!」

「ごめん!」

 それは黒江にかけた言葉だったのか。ともに犠牲になるシーシュポスに向けたのか。それとも、修が置いていくすべての人々に言ったのか。判断する間もなく修の意識は絶たれる。

 記憶にある通りの轟音と光と熱。それらは区別されない一つのものとして体感される。修の意識は深い海の底のような暗闇に落ちる。そこには機人と一体化するときのような喜びはなく、闇に飲まれる。

 

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