5-11

 機神は悠々と降りてきた。そしてシーシュポスのそばに立つ。自分の周囲の重力をキャンセルしているからか、修を潰す力の影響は受けていない。

「どうしてこんなことをするんだ」

 舌が喉の奥で筋肉の塊となって動かない。唾液さえ押しつぶす力となって喉の奥を圧迫する。にもかかわらず、諸隈は修の潰れた舌の作る言葉を理解した。

「俺は憎んでいるからだ。お前にだってわかるはずだ」

「わかりません」

 だが、彼は首を横に振る。

「本当は憎くてたまらないくせに。立派なことを言っているが、結局は復讐が動機なのだ。いくら否定しても証拠はある」

「違う、僕はただ……」

「復讐をしたいという動機に付け込まれただけの癖に、偉そうにするな」

「何」

「俺もお前も同じだ。愛した人を失ったという点では」

「自分で殺したくせに何を言うんだ」

「違うな。俺は、聖蓮を失ったから機神に乗ることにしたんだ」

「……意味が……わからない」

 彼は淡々と続ける。

「俺が機人について教えられてから数日後、いきなり聖蓮から別れてほしいと言われた。理由を尋ねても首を振るばかりだ。まったく、どうしてあんなに頑固だったのか。理屈が通じやしない。だが、もはや俺のことを愛していないのは明らかだった。彼女はもう俺を必要としていなかった。あいつはもう霧島の方を向いていた。あの虚弱で頭でっかちの愚物に、俺は負けたというわけだ」

 修は耳を傾けている。自分の呼吸の音だけがしている。

「彼女を失ってからもしばらくの間は、聖蓮とどのようにしてタカマガハラ族に対抗すべきか話し合った。お前にどうやって聖蓮が戦いに赴こうとしているかを告げるかどうかについても議論したんだぞ。笑えるだろう。

 だが、俺はもう耐えられなかった。俺以外の相手と楽しげに笑っている聖蓮の姿など見たくない。霧島や海原にお前を引き合わせる予定が迫っていたが、もはやそれはどうでもよかった。俺のことを愛していないのなら彼女など必要ない。あの、物理学者気取りの心を潰したのもその報復だ。そして俺は目が覚めた。聖蓮の作ろうとした新しい世界が、タカマガハラ族の力を借りている限り、間違っていると確信した。それを打ち破るために俺自身の機神を掘り出したんだ。頑迷な彼女の妄想した世界など、秩序も何もあったものではないからな」

 修は寒気がした。何を言っているのだ。まったく破綻している。

「冗談じゃない。……聖蓮はお前を嫌いになったんじゃない」

 修にはよくわかった。姉の性格から判断すると、むしろ諸隈のことをおもんばかってのことだ。自分が戦いに赴くのだから、大切な人とは別れてしまったほうがいい。だが、彼は続ける。

「どっちにしたって同じだ。俺は彼女を失ったんだ。それなら、何の意味もない。聖蓮は雷に打たれる以前に、もう死んでいた」

 自分の手に入らないのなら、相手をどうしてしまって構わない。その理屈の身勝手さに修は全身の汗腺が爆発した。そこからあらゆる感情が流出した。どうして諸隈は聖蓮の立場に立って考えようとしなかったのか。聖蓮がかわいそうすぎる。こんな男と交際していたのか。そして、聖蓮を密告することで、それがどれほど修を傷つけるかも無視していた。何度も顔を合わせた相手にそんなことができたのか。

 このあまりにも自己中心的な考えが本当のものだとはとても信じられなかった。だが、諸隈から流れ込んでくる感情はすべてそれを裏書きしていた。彼の嫌悪と軽蔑の中心にあったのは、強烈な自己愛と、意のままにならない対象に対する憎悪だった。BMIを通じて流入する感情によって、彼の醜さが余さず現れていた。そこに改悛の余地はなかった。

 この戦いで修はどれほどのものを壊さなければいけなかったか。多くの人々が不幸になった。その怒りは体の中で暴れまわる。修は全身を縛る鎖を振りほどこうとするように、その感情を解放する。

 修は持てる力のすべてを振り絞り、機神の脚をつかむ。そして己を苦しめる重力場の圏内に引きずり込む。途端に機神はバランスを崩し、たたらを踏む。修は一瞬緩んだ重力から抜け出し、機神に飛びかかる。それは百倍から九十九倍の重力に抜け出た程度であったが、機神に襲い掛かるのには十分だった。

 そして、黒江から教わった技で諸隈を大地に叩きつけ、押さえつける。彼には重力を解除する暇も与えない。必然的に修の重みが彼に食い込む。修の怒りが何倍にも拡大されて彼に落ちてくる。

 彼はうろたえ、もがき、慣れない重力の下であがいている。自分が他人にどれほどの苦痛を与えてきたのかを教えこまれている。修は、怒りに任せて装甲をはがす。それは最初の戦いそっくりだ。だが、それはただ痛みを与えるためではない。二度と動くことがないようにとどめを刺すためだ。諸隈が潜んでいる嚢を見つけ出し、その器官を破壊することで二度とこの機神に乗る者がないようにするためだ。

 だが、動くこともままならない重力の中で機神を叩きつづけていると、重力は徐々に穏やかになっていった。そして嚢を見つける前に、機神は完全に停止した。それは世界全体を閉じ込めた加速器が少しずつブレーキをかけていくのにも似ていた。重力制御装置が壊れたのか、それとも搭乗者が参ったのか。すっかり伸びてしまった機神を見下ろす。

「諸隈さん。あなたの身勝手な言葉を世界中の人が耳にしました。すでにあなたの権威は地に墜ちたと思います。あなたのように身勝手な理由で軍を動かす人に、ついてくる人はいません」

「……」

「投降して、裁きを受けてください。……それがひいては、あなたの身を守ることにもなります」

 機神はうなだれている。そこに力はない。そして修は、これで平和が訪れるだろうか、と思う。いや、リーダーを失った西域の勢力が、難民としてこちらに流れ込んでくる可能性がある。彼らの生活をどの保証するのか。それに乗じてタカマガハラ族がどのようなことをしてくるか。考えることは山ほどあった。しかし、まずは諸隈の身柄を確保することだ。修は、彼に機神から降りるように命じる。

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