5-10

 だが、諸隈は彼の苦痛にまったく関心を持たなかった。実験動物かシミュレーションを見ているように冷淡だった。

「まったく無意味だ。もう終わりにしよう」

 機神は少しずつ浮き上がり、重厚にかつ威圧的にシーシュポスの直上に浮かんだ。修は息を飲む見覚えのある虹色だ。

「反重力装置!」

 上空からは軽蔑する声がする。

「大抵の機神には何らかの武装がある。莫大な熱であったり、強烈な低温であったり。だが、シーシュポスをはじめとした機人にはそれがない。君たちが掘り当てたのは、すべて整備中で武装が未搭載のものだった。ようするにハズレくじだ。

それにこれは反重力ではない。勝手に君たちがそう呼称しているだけのこと。単に重力の作用する方向を変えただけだ。さっきからお人形さんが壊れて泣いている御仁が興味を持つかもしれないから教えてやるが、反重力は少なくともタカマガハラ族にも知られていない。槻という娘が乗っていた機神のも、重力制御装置だ」

 その言葉が告げられると、途端に修の身体が重くなる。自分と同じような機体を背負わされたようだ。その上、四肢も重くなる。

「浮遊だけではない。他人に倍の重力を掛けることだって容易だ。あの少女は機神の搭乗者として乗せられていただけで、操縦は機神が自律的に行うように設定されていたから使いこなしていなかったが。敵を制圧するときには、本来こうやって使う」

 ぎりぎりと関節が鳴る。骨が筋肉にねじ込まれていく。

「どうだ、つらいだろう。だが、これはたったの二倍だ。重力井戸を抜け出す宇宙飛行士の受ける衝撃に比べればなんでもない」

 立っているのもつらく膝をつく。身体を動かすのも難しい。それをあざ笑うように重みが増していく。同時に、重力制御装置がうなるのが聞こえる。それとも、これは耳鳴りなのだろうか。装置はドライブし、加速する。

 うつぶせになりそうになる。このままでは敵に無力な背中を向けることになる。何とかしてあおむけになる。しかし、視界を確保したものの、それ以上何かできるわけでもない。機神は見くだすように浮遊している。神罰を与えようとする天使のような装甲を身にまとい、手が出せない。

 重力制御装置のうなり声がさらに大きくなり、大地に体が押し付けられる。首を回すのも一苦労だ。血液が体の下に集められ、思考するのに十分な酸素が脳に行き渡らない。心臓が狂った速度で拍動し、血管が破れそうなほど力強く脈打つ。それでも、体の末端で血液が届かずに壊疽が始まっているのではないか、と感じられる。

「君は抵抗できない。どうあがいても俺のいる高さまでは手が届かないし、立ち上がることすらできない。君はみじめに倒れていることしかできない」

 五倍……十倍……二十倍。視覚の隅に変動する重力の値が示される。背が地面にめり込んでいくのを感じる。潰れそうなのは液体で保護された修の肉体なのか、シーシュポスなのかもわからない。どちらにしても同じことか。捻じ曲げられた物理法則に押しつぶされる。

 視野の片隅で、抜け殻となったアンドロイドたちが崩れていく。肉体が重力に屈服していくのが見える。敵も味方もない。金属の塊になっていく。たとえ機械であっても、大抵の者は長く手入れをしたものに情を持つものなのに、諸隈にはそれがない。

 機械ばかりではない。辺りの樹々は異常な重力にゆがみ、その中心である修に向かって枝を伸ばしている。ざわざわと激しい風にあおられているのにも似ている。中には幹から真っ二つに折れてしまうものもあり、痛ましい。そればかりか、どこからか紛れ込んだ野良犬が血だまりの中の肉塊になっている。これが人間のいる戦場に投入された当時は、どれほど残虐な使われ方をしたことだろう。一つの軍隊が容易に壊滅させられたのだ。

 視覚の片隅には活動時間をとうに過ぎたことを示す数字が表示されている。毎秒、冷酷に経過時間は増えていく。赤く示されている値は、それだけ修が生の領域から隔てられていくことを意味している。

 そして、彼からの憎悪が胸の奥の芯に忍び込んできた。直接、悪意が流し込まれている。聖蓮への憎しみと、権力への渇仰が修を蝕む。諸隈の本能が修の精神を汚す。第四位格との戦いが終わり、ほたると心が通じたときにも似ていた。だが、流し込まれるのは毒と呪いだった。

「機神と機人は、脳から情報を読み取って動く。だが、脳と機械がつなげるのなら、機械を通じて脳同士をつなぐことも可能だ。そして今、俺はお前の精神に力を及ぼしている。力ある精神の持ち主には、より弱い精神を支配することは容易だ」

 悪寒がひどく、目の奥がひどく痛む。吐き気がして、あらゆる体液が全身の穴から流れ出る。まとわりつくような冷たい熱に襲われていた。あるいは諸隈の悪意を吐き出そうと、身体が必死に反応していたのか。

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