5-8

 逃げ場がない修に諸隈は微笑んだ。

「俺と一緒に来てくれ。君と俺が合わさることで機人が二体になる。それに、俺たちにこそ復讐する権利がある。海原さんに対しても、タカマガハラ族に対しても。そして俺たちは正しいことをしなければならない。……もはや、君に帰る場所なんてないんだから」

 なるほど、と修は暗い笑みを浮かべる。それは、初めてシーシュポスに搭乗したときの決意と比べて、ずっと暗い微笑だった。あのときの修は、姉の報復さえできればいいと思っていた。今となっては、何をしても姉は戻ってこないのだという事実だけが頭に残っている。自分にできることは、戦い続けることだけなのかもしれない。

 だが、と修は思う。ほたるはどうなる。あの少女は修が帰還するのを待っている。彼女は修のことを恐れてはいるかもしれないが、見放すことを考えると胸が痛む。それに黒江だって、あのままでいればどんな目に合うかもわからない。けっして不死ではないのだ。最悪の可能性を検討する。まだ怒りが体を支配しているけれど、見殺しにできるほどの憎悪は浮かんでこない。

 それに、修がいなくなればタルタロスに残される機人は、真っ二つになったのを再生しようとしているティテュオスが一体あるだけだ。だとすればすぐにタカマガハラ族の手が及ぶだろう。見せしめに徹底的に破壊される恐れがある。タカマガハラ族は、かつては黒江が目撃したように過去の世界を一度滅ぼしている。独立を宣言した南部を放ってはおかないだろう。修の決断一つで、何百万の人間を見殺しにすることなんてできない。

「互いに後には引けないんです」

「背負っているものがあるから、だな」

「それに諸隈さん。あなたは間違っています。確かに、僕は報復したいと思っていました。でも、僕はそれだけのために戦ってきたわけじゃありません」

「戦うのが楽しいから、ではないのか」

「何ですって」

「機人の副作用だ。感情が増幅される。好きだとか嫌いだとか、悲しみや怒りだとか。君にも覚えがあるだろう」

「……」

「さらには、君の恋もそうした勘違いが生み出したものである可能性がある。深い仲になってしまえば、それが増幅されるだろう」

 黒江に対して感じる愛おしさや、隠されていたかよわさへのいたわりも、すべては気の迷いであったのか。そして戦いのすべては八つ当たりであったのか。いなくなった姉に帰ってきてほしいという、叶うはずのない願いだったのか。

 苦悶していると、ふと、目の前に姉のイメージが浮かんだ。どこから来たのかはわからない。けれどもそれは確固としたものであり、そばにいてくれていると感じた。それは、シーシュポスのように修を取り巻いていた。姉は失われたのではない、と錯覚しそうになるほどだった。そして、それは教えてくれた。修がほたるを守るためにも戦ってきたことを。学院を守ろうとしたり、できるだけ誰もけがをしないように立ちまわったりしたことを思い出させてくれる。復讐だけではない。修はそこまで冷酷ではない。そう告げる声がする。これも、シーシュポスの神経塊の増幅効果なのだろうか。

 修はその未知の意識に導かれて答える。

「違います」

 修は顔をあげる。

「僕らは過去に閉じ込められていたくないんです。僕はタカマガハラ族に罪を認めさせたいんです。彼らに自ら行動を改めてほしい。僕と同じ悲しみを背負う人間が二度と生まれない、そんな世界を作るために戦ってきたんです」

 修は、自分の中から答えがあふれてくるのを感じる。

「正しいことをするためには、確かに力が必要かもしれません。だからと言って、それをいつも振り回さないといけないわけでもない。ましてや、タカマガハラ族を全滅させる必要なんてないんです」

 しばらくの間があった。思案しているのだろうか。ややあって、諸隈は祝福するように呟く。

「修君、立派になったな。聖蓮も喜んでいることだろう」

そして彼は微笑んで見せた。

 だが、修は違和感を覚えていた。それは諸隈の姉に対する冷淡さと、正しいことがしたかったのだという主張の薄さだった。どうして修のように、聖蓮に言及するときに感情を昂らせないのか。彼にとっての正しいこととはいったい何なのか。単に正しいことをするためだけに戦いたかったのだったら、なぜタルタロスに残らなかったのか。そうすれば新しい機人を掘り出し、修の代わりに機神を倒すことができたはずだ。修が自分でも怖くなるくらいの力を振るってきたのだから、彼のようにたくましい男ならもっと戦果を挙げることができただろう。

 混乱する修の頭の中に、先ほどと同じように思念が流れ込む。まるでシーシュポスが自分の一部となって、知恵をささやいてくれているみたいだった。

 こちらになくて、あちらにしかないもの。それはなんだろうか。まずは味方として付いてくる人数。だが、今や相模と武蔵南部を手中にした修にとっても同じことだ。では、他に何があるか。それは統帥権だ。つまり、自分がリーダーになる機会。修は黒江や霧島と対等に議論しながら機人の力を及ぼしている。単純に修がシーシュポスに何ができるのかすべてを知らないからというのもあるが、基本的に話し合いで動かしている。だが、反乱軍の長である諸隈にはその必要がない。そして現に、彼は西域をはじめとした人口が希薄な地域のすべての指導者となっている。もしも諸隈が最初からこれを狙っていたのだとしたら。

 修はその想像に鳥肌が立つ。

 だが、だとすれば諸隈の行動のつじつまが合う。諸隈が姉に近づいたのは、機人を手に入れる手段を狙ってのことだった。だから、十分な知識を得たのちに密告し、殺害した。そして、誰からも怪しまれることなく西域に忍び込み、みずから機人の搭乗者となった。

「そういうことだったんですね。あなたが聖蓮を」

 諸隈はひるんだ。なぜそんなことを思いついたのか、そしてなぜ悟られたのかと動揺していた。だが、すぐに修が味方になりえないことに気づいた。

 光線の加減で、機神は苦虫を噛み潰したような顔になる。映像の送信を切断する音がした。

「やむを得ない処置だった。俺の知る聖蓮はもういなかった。だから俺が手を下さねばならなかった」

「よくもそんなことが言えますね」

 自分が力を手にするためならなんだってやる男が諸隈の正体だった。彼の報復への誘いは、結局のところ動かせる機人の数を増やしたいということに過ぎない。修を意のままになる子供として扱っている。

 修は怒りのあまり声を上げた。同時にシーシュポスも口を開き、低い声を山の中にとどろかせた。シーシュポスの発声器官は深く震えていた。

「俺が聖蓮を愛していたのは本当だ。けれども、彼女はより大きなもののために犠牲になる運命だった」

「結局は権力欲ですか」

「違う。世界を救うためだ。その点では君と変わらない。海原を見ろ。彼女は所詮タカマガハラ族だ。彼女がいれば革命はタカマガハラ族主体のものとなってしまう。それでは俺たちの生活は取り戻せない。それに聖蓮は優しすぎた。その優しさのせいで、正義の執行が徹底されない恐れがあった。今の君にしたって彼女そっくりな甘さがある。君がタカマガハラ族を全滅させないのは市民を巻き込まないための優しさかもしれない。だが、それは将来への禍根を残すことでもある。最終戦争を起こさないためには、虐殺だって許される」

 修は震えていた。足元がぐらついている。立っていられない。今までの、タカマガハラ族に仕掛けた戦いは何だったのか。敵は目の前にいたのだ。これだけつらい思いをして、こんなところまで連れてこられて、挙句の果てにやっと事実にたどり着く。修の復讐は見当違いの人々に向けられていた。全身の痛みがよみがえり、肉体と心の傷跡が開きかけていた。神経や血管が引き裂かれ、全身に痛みがひきつれ、走る。

「今すぐあなた……お前の首を絞めてやりたい」

「復讐はむなしい。たった今そう言わなかったか。さっきまで立派なことを口にしていたのに。本当のところ、こんな世界なんてどうなってしまってもいいと、君も思っていたのだろう」

「違う!」

 歪んだ世界ではあったけれど、もしも世界が今あるとおりの姿でなければ修も聖蓮も生まれなかった。黒江やほたると出会うこともなかった。それに、間違った世界ならば、生まれた人間たちが改めていけばいい。

 ただ、人の命を奪って何も感じていない人物が、のうのうと暮らしているのは間違いだ。

「違わないさ」

「復讐じゃない。正義の執行だ」

「正義か。正義とはなんだ。俺だってそのためにずっと活動してきた。結局のところ、君だって私的な怒りによって動いているに過ぎない」

 二人は見つめあっている。修の体内では機人の体液が沸騰している。その平衡はすでに乱れ、怒りをつかさどる黄胆汁が体中から汗のように噴出している。オペレータの声がなくてもそれが理解できた。諸隈は言い放つ。

「交渉は、決裂だな」

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