レーテー 顧みられぬ犠牲
4-1
第三位格との戦い以来、鋭い痛みにうずくまることがたびたびあった。階段をのぼったり伸びをしたりしたときに、引き裂かれるような苦痛を感じる。それはシーシュポスが傷を負った箇所だ。特に切断された両脚がひどい。廊下で発作が起きたときは、誰にも見つからないところまで行き、見つからないことを祈りながらやり過ごした。立っていられない。うずくまるのも痛い。
霧島にも端末で相談したが、感情をあまり高ぶらせないことだ、としか答えてもらえなかった。黒江とは、寮が外出禁止なので会えていない。それに、感情を殺して試験を受けねばならず、それ泥子ではなかった。
試験の翌日、諸隈が寮の様子を見に来てくれた。来客を知らせてくれたほたるに礼を言いながら、修は応接間に向かう。
寮を訪れるのは彼ばかりではない。生徒の家族や報道関係者が詰めかけている。テレビのスタッフは、戦いの間も勇敢にとどまった学生たちというテーマで番組を作るのだ、と意気込んでいる。嬉々として取材に応えている者も多く、それを制止する教師の姿も見られた。
だが、修はあまりニュースを見ない。どんな風に報道されているかなんて知りたくもなかった。情報が伏せられているとはいえ、毎日のように寸断された交通網や迂回ルート、解体される機神について報道されるのにうんざりしていたからだ。正しいことをしていると確信しているし、何を言われようともそれは揺るがないが、それでもなお、批判的な声を聴くのは避けたかった。
それに、こちらはあくまでも戦いを仕掛けられた側であり、正義がこちらにあるのも明確であったにもかかわらず、機人から降りているときには高揚感とは無縁だった。歩いていると痛みを感じるし、破壊された都市の傷跡にも胸が痛む。もしかしたら誰かの思い出の品も失われたのかもしれない。ひどく怪我をした者もいるかもしれない。あるいは、命を落とした人も。
だから、戦いのせいで腕を骨折した諸隈の痛々しい姿を見て、修はタカマガハラ族への怒りを新たにするが。同時に罪悪感も覚えた。なのに、彼は優しげに言う。
「大丈夫だったか」
「僕は大丈夫です。あれからすぐに逃げられました。諸隈さんこそ怪我をしてしまって」
「どうということはない。仕事には差しさわりはない」
「ですが」
「避難するときにパニックに巻き込まれたんだ。凍傷のように厄介じゃない。そっちのほうが大変じゃなかったのかな」
修は機人に乗っていたので現場のことなど知る由もない。ただ、漏れ聞こえてきた証言をもとに話を作る。
「病院に搬送された人も多かったようですけれど、全員無事でした」
「そうか」
彼はうなずいているが、心はここにあらず、といった風だった。まるで修の心の傷をいたわるみたいだ。どうすればこれ以上修を傷つけずに済むのか、と間合いを測っているようにも見える。そして、諸隈はやっとのことで切り出した。
「今日は大切なことを伝えないといけない」
「なんですか?」
「俺は仕事で西域に向かう」
修は息を飲む。
西域。それは大八洲国西部一帯を漠然と指す呼称だった。かつては都もあったらしいが、今は人口も希薄でその面影はない。そこに向かうのは、実質的にはタカマガハラ族の支配領域の外に出ることになる。赴くのは生活が立ち行かなくなった者や、後ろ暗い事情を持つ者ばかりだ。普通の市民生活を送る者には縁がない。
「いつですか」
「すぐにでも」
あまりにも急な話に修は口を開いたままだ。
「やはり、俺が聖蓮と交際していたことが問題となってな。上司からは別に非難する言葉はなかったが、雰囲気で押し流された。君は何も悪いことはしていないが、職場内の秩序を考えるとやむを得ない処置だ、とか」
「でも、それって」
まるで流刑じゃないですか。だが、修はその言葉を飲みこむ。旅立つ人に向かってあまりにも失礼だ。けれども、諸隈は修が何を言おうとしたかわかったようだった。彼は黙っている。
「……そんなの卑怯です」
修は震える。こんな人柄の青年が荒くれ男たちのいる辺境でうまくやっていけるのだろうか。けが人の回復を待つことなく辺境に追いやるとは。修は諸隈が社内で置かれている立場がどのようなものかを生々しく感じる。けれども諸隈は微笑む。
「君は、聖蓮に似て本当に優しい。他人のために本気で腹を立てることができるなんて。君は正しいことを選べる人間だ」
違うんです、と修は叫びたい。他人が自分と同じ目に合って、しかもそれに抗うことができないのを見ていると、自分の無力さを痛感されられてつらいだけなんです。結局、自分が見ていられないというだけの理由で我慢ができない。他人を心底から思いやっていた姉のようにはなれないと、自分が一番わかっている。
だが、彼が去っていくことにどれほど憤ってみせても、それを変えることはできない。彼は諦めを含んだ優しげな顔で続ける。
「大丈夫、メールは届く。それに、旧世界の遺産を掘り当てれば、かなりの報酬が手に入る」
確かに、それは人が西域に向かう一番の理由だ。だが、そのようなことは滅多にない。そんな僥倖を当てにする人々も多く、それゆえに食い詰めたものが西域に向かう例が後を絶たないが、ほとんどの者が数年もしないうちに諦め、無気力に労働し続けることになる。
「……僕も行きます」
修は機人に乗らなくてはならないことを忘れそうになる。最初から、こうやってタカマガハラ族の世界から抜け出す手段もあったのだ。どんなにつらい生活でも、タカマガハラ族とは一切かかわらずに済む。
だが、諸隈は首を横に振る。
「君はまず学業を優先するんだ。俺にしたって西域にいるのは数年だけのことだ。ほとぼりが冷めたらこちらに帰ってくる」
「でも」
「必ずだ」
修だってわかっている。彼が修の旅立ちを承諾するはずはない。
「……わかりました」
「それじゃあ、また。次に会えるのは、君が進学しているか、社会人になっているときだろうな。楽しみにしている。君が正しいことを求めるように、俺も正しいことを選んでみせるから」
こうした旅立ちは、駅で行われるようなイメージがあったのだけれど、それはただの幻想だった。別れ際はあまりにも何気ない。もう会えないとは信じられない。
そうして修は、半ば夢のように、聖蓮とのつながりをまた失う。
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