3-12

 タルタロスに吐き出された修は床に倒れていた。全身に針で刺された痛みがある。血の跡がある。みみず腫れができていて、皮膚の下で機神に注入された何かがうごめいているのではないかと不安になる。

 地下の気温は低下していた。流れ込む冷たい空気は刺々しい。機人の体液のぬくもりはすぐに奪われる。急いで全身をタオルでぬぐうがそれでも寒い。

 窒素が気化したせいで酸素が足りなくなったせいだろう。息苦しい。それでも呼吸ができるのは、あちこちで酸素ボンベが開かれているからだろうと、周囲の音から判断できた。だが、暖かな空気はどこからも漏れてこなかった。

 修は足を引きずりながら、霧島のところに歩く。彼は少女とともに戦況を見守っている。どこから取り出したのか、まるで極地探検のような装いだ。それなのに彼は虚弱に震えている。

 彼は、黒江が戦っているにもかかわらずのんきに修のほうを向く。

「やあ。大丈夫だったかな。とりあえず今は彼女に任せておけばいい。……ああ、それとその刺し傷だけど、機人の体液は止血も消毒もやってくれるから、あまり心配しなくていいよ」

「でも、どうしてシーシュポスの傷が僕に」

 第二位格のときだって火傷の跡が残った。あのときは興奮していて、それを当然のこととして受け止めていたけれど、よく考えれば不可解だ。

「人間の意識にはそうした作用がある。自分が負傷したという信念を強く持てば、実際に症状が現れても不思議はない。それに、感情が高ぶると、機人の搭乗者にはそうした作用が現れることも知られている。君はそれだけシーシュポスと一体化しているんだ」

「それと、さっきから関節が凍結したみたいに動かないんですけれど。おかげで足を引きずらないと歩けないんです」

「それも神経性のものだから大丈夫だよ。たとえ機人が斬首されても、切り傷くらいはできるだろうが、君の首はつながったままさ」

 縁起でもない、と呟く。

 だが、それより戦いに戻らなければならない。今すぐ黒江に加勢したい。そして、自分の手で高校を、聖蓮の思い出を守れないのがもどかしい。

「……どうすれば治るんですか」

「時間はかかるだろうが、安静にしていることかな。あとは、シーシュポスに乗っているときに、それが治ったという感覚が得られれば戻る。結局は暗示の問題だから。……しかし、それにしても寒い」

 突然少女に近づき、耳元に何事かささやく。少女は小さな声で、認証、とだけ呟くと、全身を震わせて眠そうな眼付をし、霧島に身をゆだねた。

「何をやってるんですか」

「見ればわかるだろう」

「わかりません」

 彼は息を吐く。

「暖房が破壊されたからね。やむを得ず彼女の回路であたたまる。本当は彼女の負担になるから、あまりやりたくはなかったんだけれどね」

「構いません。私にとって、ヒトの生命維持が最優先ですから。ほら、安吾さんの体温が上がっていくのがわかります」

 春香の言葉は優しかったが、その思いやりもあらかじめプログラムされていたものだと思うと、修は不快感を隠せなかった。内面のない祈りの言葉のように不適切に感じられた。

「どうせだったら、もっとたくさんの女性型のアンドロイドを侍らせたらどうですか」

「なるほどね。それも悪くはないだろうな」

 しかし霧島は、春香と呼ぶ少女に執着する。その姿勢は、彼女から守られているばかりではなく、彼女を何かから守ろうとするのにも似ていた。春香は霧島が他のアンドロイドを呼ばないのを怪訝そうに見上げる。

「大丈夫ですか。私だけで本当にご満足ですか」

「ああ、とてもあたたかいよ。ありがとう」

 春香は微笑んで、霧島の両頬を小さな手でなでる。その様子は、雪の深い日、幼い修の頬を冷たいと言って笑った聖蓮そっくりだった。確か、修がはじめて雪が積もるのを見た冬だったはずだ。少なくとも、それが一番古い雪の記憶だ。

 そのとき修は、どうして自分がこれほど霧島の行いに嫌悪を覚えるのかに思い至った。春香は聖蓮と似ているのだ。いつも誰かを思いやっていて、傷ついた人には手を差し伸べずにはいられない性質がそっくりだ。それに気づくと顔立ちまで似ているように思われる。そして修の心にも春香に近づきたい思いが芽生え、そんな自分にぞっとする。それは、交際していたわけでもない女性にそっくりの人形を抱きしめている霧島のしていることと同じくらい歪んでいる。姉は諸隈のように霧島を修に紹介したことなどなかった。当時から顔を合わせているはずだから、その程度の関係だったのだろうに。

 春香は消え入りそうな声で続ける。

「安吾さんが温まったのはいいのですが……長時間電源を発熱に使っていると、休眠モードに移行しなければいけなくなります」

「眠ってても抱きしめててあげるよ」

「ですが、私にとってそれは意識の断絶です。それは自己の消失に似て恐ろしいのです。おかしいでしょうか」

「いいや。知的な存在なら当然のことだ。でも、夢を見るかもしれない」

「夢、ですか」

「ああ。大抵の知的な存在は夢を見るものだよ」

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