3-10

「海原は」

「例の件で準備中だよ」

 シーシュポスに乗った修は新横浜に陣取り、南東から近づく機神を待つ。競技場を擁する広い公園なら、迎え撃つには最適だろうと判断した。シーシュポスの傷が治っていないせいか、第二位格との戦いの傷跡が痛む。

 シーシュポスの手には、第二位格から取り出した銃が握られている。その先には第三位格がいる。

「ぎりぎりで修理が終わったよ。タカマガハラ族の技術だと思って身構えていたが、理解のできないものじゃなかった。結局、同じ物理学の通用する宇宙に存在する生命が作ったものだから、当たり前といえば当たり前だけどね」

 霧島は楽観的だか、恐ろしげな機神を前にしていると余裕など持てない。その姿をどのように形容すればいいだろう。真下に潜り込めば、機人を悠々と覆ってしまうほど大きくて不格好な生物だ。修の知るどの生き物にも似ていない。先カンブリア紀の生物をつぎはぎにしたらこうなるだろうか。非常に細い触手が不規則な動きで絡み合いながら前に進む。歩いているというにはあまりに不器用だ。

 もつれあう触手の上には、大きく傘のように広がった星型の肉塊が乗っかっている。泥の色をしたヒトデに似ていなくもないが、腕の先からは口が開き、鋭い牙の間から唾液を垂らしている。そして、何の規則性もなく体表に散らばった孔が拍動していた。目のような球体がそこかしこにのぞいていたが、その球体は濁っており、光を感じているとは思えない。そのくせ、鮮やかな光を放っている。

 やたらに触手をうごかしながら唾液と涙で街路を汚し、破壊して進む。なんのためについているのかわからないが、背負った袋がぶらぶらと揺れている。

「よし、ここから狙って早いうちに終わらせてしまおう」

「……急所は」

「わからない。構造が人体とまったく異なっているから。まあ、人間の体と似通っているからって急所がそこにあるとも限らないし、そもそも急所があるのかどうか。神経の塊があちこちにある無脊椎動物は多い。たっぷり充電しておいたから、動かなくなるまで撃つんだね。図体も大きいから狙いやすいだろう」

 シーシュポスはうなずき、狙撃の体制を取る。撃鉄を起こす。引き金を握る。第三位格の肉壁に一閃。熱と光。見事に打ち当てる。機神は態勢を崩し、ビルを巻き込んで倒れる。続いてもう一撃、炎上。光を感じない何百もの目が涙を流す。横転して触手がひたすらにうねる。

 修はその柔らかそうな下腹部に開いたもう一つの口に向けて撃った。だが、次の瞬間に機人は吹き飛ばされ、熱を感じる。近くの草木が焦げている。機神からちらりと光が見える。火傷の痛み。修は悟る。鏡だ。光線を跳ね返された。

 あれだけ強烈な光線を受けても融解しないのだからよほど精巧なのだろう。機人が光線銃を持ち出すことを予期していたのか。

 霧島は淡々と続ける。

「だめか。やはり素手の格闘になりそうだ。お役に立てず申し訳ない」

「大丈夫です。ダメージは与えられたはずですから」

 修は光線銃を槍代わりに持ち、迫りくる機神に立ち向かう。

 公園の前で敵は目的もなく、触手を絡ませていた。どちらに進むのかもわからない。それは、イソギンチャクで獲物を捕食するときの動きにも似ていた。

 だが、修が接近すると目が発光した。途端に背中の袋状の器官が突然膨れ上がり、真空を生む。同時に全身から霧と激しい冷気が噴き出した。辺りの大気はたちまち氷点下まで落ち、地面には霜が降りた。

 修は足元の冷たい痛みに声を上げた。

「液体窒素だ。……凍傷に気をつけてくれ。それと、低酸素症にも」

 すぐそばを流れる川や池の表面は凍り付き、流れを止める。辺りを氷の結晶が舞っている。

 ドライアイスを握ったときのようなひりつく感じに耐えながら修は問う。

「シーシュポスはどれくらいの低温にまで耐えられますか」

「研究室と実戦とでは違うね。多少の液体窒素をかぶっても大丈夫だろうが、長時間持ちこたえられるほどではないよ」

 再び膨れあがる嚢。液体窒素はさらに奔流となる。それが建物の隙間を津波となり、排水溝へと流れ込み、下水管を凍結、破裂させる。見えない部分から都市が蝕まれる。

 修は一度公園側に撤退しようとするが、下水の異臭の中でシーシュポスの足の裏が地面に張り付く。無理に引きはがそうとすると痛い。捕らわれた、と冷や汗が出てくる。

 そこに数えきれないほどの触手が、ヒトデの腕に当たる部分から伸びてくる。細く見えるが、それはシーシュポスから見たときの感覚にすぎず、その実は人間の胴体ほどもある。低温下でありながらあれほど滑らかに動くことができるとはどのような材質でできているのか。想像もつかない。

 修は装甲がはがれる強烈な痛みにもかかわらずのがれようとする。しかし、足の裏の生皮をはがされるような痛みに耐えられず、機人は触手に追いつかれる。足の装甲をアスファルトに残して機神のもとへと引きずられる。絡みつく触腕の先からは産卵管のように細い針がつきだされる。無数の針は修の全身をところかまわず刺し貫いた。

 修は痛みで悲鳴を上げる。それは全身のやわらかな部位を探るように次々と侵入する。機人は血を流し、装甲の下からあらゆる体液が流れ出た。赤黒い機人の生命そのものが失われていく。

「血液不足」

「精力が減退していきます」

「感情、鈍麻します」

「黒胆汁、過剰分泌されます」

 機神の真下に引きずられ、ヒトデの口腔を下から眺めることになる。そこからは呼気とともに振動する唇のような器官があり、そこから肉の膜がひたひたと現れた。それは修の全身を包み込もうとする。逃れようにも触手に阻まれて身動きが取れない。液体窒素も降ってきて体が凍結しそうになる。呼吸が困難になる中、手足の自由を奪われる。

 全身をやわらかい物が侵食する。体にあけられた穴から機神の冷気が伝わる。シーシュポス搭乗のときはまた違った感覚が全身を駆け巡る。丸のみにされようとしている。いや、ヒトデの仲間みたいに、胃袋が出てきて消化されて啜られるのだろうか。皮膚全体に焼けつくようなぴりぴりした感じがあるのは消化液か。このまま肉も内臓も脳も溶かされ、骨だけにされてしまうのか。ひたすら暴れても、消化液がまとわりつくのを助けるだけだ。持っていた光線銃も奪われ、そのあたりに転がってしまった。機神が銃に喰らいついている。もう撃つこともできない。これで終わりか。

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