3-8

 ほたると落ち合い、繁華街の中心を目指す。人混みはあの日と同じように、ひたすら流れている。

「このあたり、歩いても平気?」

「うん」

 それは爆心地近くに足を踏み入れることで聖蓮の記憶がよみがえらないかという配慮だが、修はうなずくことができる。

 ほたると歩いていると、それほどひどい不安には襲われない。このままずっと進めば、聖蓮の消えたところなのにもかかわらず。あの赤熱した、溶融したガラスの爆心地。今となっては誰も気にしない。すでに整地されて、何事もなかったかのように見える。まるで、心にした蓋のようだ。

 直視したくない。考えないようにしていて、それでいてずっと考えていた。けれど、今日は大丈夫だった。別の誰かと一緒にいるからかもしれない。それとも彼女には人の不安を軽くする才能があるのか。もっとも、ほたるは爆心地からずっと手前にある喫茶店に入ったから、聖蓮の消えた地点を直接目にすることはなかったのだが。

 二人は紅茶とアイスコーヒーをそれぞれ注文し、くつろいだふりをした。そういえば聖蓮が入れてくれたコーヒーを最後に飲んだのはいつだろう。コーヒーを飲むだけで姉を思い出すから、無意識にコーヒーを避けていた。

 修が紅茶を飲み干してしばらく経った。ほたるはグラスについた水滴をみつめながら、身を乗り出して切り出す。

「庵地君って、もしかして、海原さんのこと好きなの?」

「は?」

 思いもかけない言葉に間の抜けた声が出る。

「ほら、庵地君って、最近海原さんと一緒にいるじゃない?」

「そうだっけ?」

 修は焦る。それは二人の関係に感づいている人が他にもいるかもしれないということだからだ。彼女は続ける。

「よく一緒に帰ってるし、廊下であったときには目が合ってるし。何か二人だけの秘密とか持ってそうな雰囲気があるから」

「……」

「二人とも接点がないでしょ? 庵地君は特に部活やってないし、教室も離れてるし」

 まさかこれだけのために呼び出されたのか。修は奇妙な安堵とともに、彼女の誤解を解こうとする。

「そういうんじゃないんだ。ただ、勉強を見てわからないところを聞いたりとか」

「私じゃだめ?」

「いや、そういうわけじゃないけど、槻は委員会で忙しそうだし」

「でも土日とか」

「休みの日くらい、一人でぼんやりしたいとは思わない?」

「……」

 じっと見つめるほたる。修は空になったカップをかき混ぜる。

「図書室で勉強してたらわからないことがあって、たまたまいた海原ならわかるかなって尋ねたのがきっかけだ。それに、あいつはトレーニングの仕方についても詳しかったし。なんというか、面倒を見てもらっている感じだ」

「そっか。でも驚いたな、あの海原さんと仲良くできるなんて」

「そう?」

「なんか海原さんって、あまり人と関わりたがらないっていうか、大人の女って感じがするんだけど」

「ふうん?」

「どんな話をしてるの?」

「基本的には勉強のこと」

「他には?」

「それ以外は、……最近読んだ本だとか」

「たとえば?」

「教科書に乗ってるようなのだよ。『神曲』とか『失楽園』とか。……話してみると意外と普通だった」

 本当は彼女のことを何も知らない。どこまで底が深いのかもわからない。でも、ここは普通らしいことを話そう、と思う。

「黒糖系のお菓子が好きなんだってさ」

「へえ」

 もっとも、これくらいのことしか彼女の人間的な面を知らないのだ。いや、修にとても優しくて、一度など抱きしめてくれたことなどは、人間的だと言えなくもないだろうけれど、そんなことは言えるわけがなかったし、あのとき彼女が何を考えていたのかは今でもわからない。厳しさと親しさが、心の中でどう同居しているのか。

「それで……槻が相談したいことって、結局何なの?」

 その言葉が出たのは、これ以上追及されるのが困るのもあったが、先ほどの諸隈とのように、結論になかなかたどり着かない会話がもどかしかったからでもあった。

 ほたるは声を低める。

「ねえ、あの巨大ロボットのことは知ってるでしょ」

 修は唾液を飲む。

「あれについての情報って検索しても遮断されちゃうのね」

「ああ」

 それはそうだろう。タカマガハラ族の検閲しないメディアはない。

「そんな世の中だからかな。私、決断できないことがあるの」

 機人のことが出てきて肝が冷えたが、どうやら主眼はそこにはないらしい。

「何に迷ってるの?」

「和田先生が言ってたんだけれど……あ、これ、自慢してるって思われたくないんだけど」

「うん」

「特進クラスに行かないかって言われてるの」

 修はきょとんとする。別に秘密にすることでも何でもないし、ここに呼び出すだけの要件でもない。

「……いいことだと思うんだけれど」

 彼女はうつむく。まるで恥じらっているかのように。

「そうだよね。でも、特進クラスってなんだか私が思っているのと違うみたい」

「というと?」

 彼女の眼は泳いでいる。

「先生が言うにはね、転校して特別な訓練を受けることになるんだって。でも、それがどんな内容なのか全然教えてもらえないんだ。ネットで特進クラスについて調べても、公式サイトにさえほとんど情報がないし、寮の先輩に聞いても、特進クラスに行った子が家族と全然通話しなくなったとか、特進クラスの子と連絡がつかないとかって話ばかり。世の中を動かしている人のほとんどが特進クラス経験者だって先生からは聞いたし、現に著名人のプロフィールを見ると軒並みそうなってるけど、なんだか不安になっちゃって」

 少女はいつの間にか涙ぐんでいる。

「ねえ、どうしたらいいと思う? 私、怖い。ただでさえ転校すると友達と離れなきゃいけないのに。先生も何か隠している気がしてなんだか信用できなくて。夏休みの間にじっくり考えていいよっていわれたけれど、……」

 涙が彼女の膝に落ちた。

「あのロボットが出てきてからアクセス禁止の情報も増えたし」

 嫌な予感がした。世界を動かしている人々というのは、例えば政治家や資本家のことだろう。彼らは陰に陽にタカマガハラ族の影響を受けている。保守派はタカマガハラ族に対する礼拝を欠かさないし、革新派にしても自由と平等を訴えるのにタカマガハラ族の道徳を引き合いに出す。勉強会の名のもとに様々な人脈がめぐらされている。真偽のほどは定かではないが、タカマガハラ族と直接面会する者もいるという噂だ。

 ほたるは支配者層に取り込まれようとしているのだろうか。話を聞く限りまるで秘密結社だが、危険はないのか。黒江に一度尋ねてみるべきかもしれない。

「確かに、聞いてて不安になってきた。僕もいろいろ調べてみる」

「……話を聞いてくれてありがとう。少し安心した」

 黒江に質問することを決めただけのことでここまで感謝されることに、少しだけ罪悪感を覚えた。だが、彼女のお礼の最期の声が発音され終わるのと同時に警報が鳴った。ほたるは息を止めた。一度は安らかになった彼女の心が、また不安に支配された。

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