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 それから修は、黒江からもらったプログラムで鍵を開け、先日と同じ経路でタルタロスに降りた。端末の指示に従って無数の廊下を曲がる。やはり様々なロボットの気配がする。それらが体温まで持っているようにも感じられるのは、ヒトの形をしているからだろうか。

 待ち合わせの部屋を開けるとそこは和室で、畳も新品同然だ。その香りのよさに修はため息をつく。あのロボットたちは本当に旧世界の時代から、たった三人のためにこの快適な環境を維持し続けてきたのだろうか。その部屋の中心で、黒江は運動着に着替え、正座して待っていた。隣には、修の分の着替えも用意されている。

「黒江……さん」

「『さん』はいらない」

 黒江は淡々と訂正する。修は言い直すが、姉以外の女性を名前で呼ぶのはどうも慣れない。

「黒江、この部屋は」

 彼女はそっと立ち上がる。こうしてみると、彼女のほっそりとした体格がはっきりする。華奢なのではなく、むしろ無駄な脂肪がごっそりと落ちているために軽いのだ。

「この間強くなりたいって言ってたでしょ」

「ああ」

「試しに近所を走ってみてどうだった」

「……意外と体力がないんだなって思った」

 彼女はうなずく。

「でも、修は第二位格と戦うとき、シーシュポスに自律させることを拒んだ」

「あれは耐えられなかった」

「でも、敵はますます強い機神を繰り出してくる。つまり、修が強くならないといけない。それに、仮にいくら機人に格闘技のプログラムを流し込んだところで、修の身体がそれを覚えていなければ、この間の戦いと同じことが起きるだけ。修がどのように体を動かすのか、どうやって敵にダメージを与えるのか、身体で学ばないといけない。そうすることで、修の脳に戦いのシークエンスがインストールされる。シーシュポスから体の制御を取り返しても、戦い方がわかっていないとどうしようもない」

彼女は何かの武道の型のような所作をする。後ろで結んだ髪が揺れた。

「護身術くらいなら、教えられるかもしれない」

 確かに、出会ったときから思っていたが、黒江にはまったく隙が見られない。

「部活でやってたのか」

「無手勝流。でも、不審者を警察に突き出したことは二三度あるかな。……とりあえず、修は着替えたら私に向かってきて」

黒江の背後で着替えながら思う。いきなり同じ年頃の女の子に飛びかかるだなんて、そんなことはできない。けれど、黒江は厳しい目でこちらを見る。

「遠慮しないで。まるで私がタカマガハラ族の一人であるかのように、修の怒りをぶつけてくれて構わない」

 修は、どんな技も知らないので、ひとまず彼女に向かって走っていった。そこにやましい思いがまったくなかったと言えば嘘になる。彼女の身体に触れてみたいという気持ちだ。機人の第一位格を倒して彼女から抱き留められたときのあたたかさが、どうしても頭に残っていた。若くて、みずみずしくて、新芽のような硬さを持っていた。

 だが、あまり失礼にならないような肩か背中といった部位に触れようとした瞬間に、気づけば転倒して背中から落下していた。強烈な痛み、危うく後頭部を打ちそうになる。それは、機人の中に入っていたときとはまた違う痛みだ。重力の感覚が違い、痛みが神経を伝わる速度に差があり、そして何よりも生の経験だ。

 黒江は近づいてきて、照れたように笑う。修を放り投げた人間のものとは思えない。

「ごめんなさい。そういえば、受け身の取り方を説明していなかった」

 そういって彼女は修を助け起こす。差し出された手を修は痛みの中で思わずつかみかけ、その直後に聖蓮の記憶と混濁する。二度と誰かと手をつなぐまいと思っていたのに、思わず握り返してしまう。

 黒江も聖蓮も、修と比べれば小さくてかわいらしい手をしているけれど、その指や爪の形、そして握る力がまるで違う。黒江のほうが少しだけ大きい。そして、はかなさの代わりにしなやかさがある。

 だが、そんな戸惑いのことなど一瞬のこと。体に触れなければ戦いかたを教わることなどできない。修はその心の震えを、強さを求める気持ちによって隠す。ただ立ち上がるのに手を借りるだけだ。聖蓮のときのように心まで預けているわけではない。そうやって修は体を固くする。彼女の心は聖蓮と違って修には向かっていないはずだ、と。

 黒江は修の体に手を当てながら、人体の急所はどこか、身を守るにはどうすればいいか、機人とどう違うのか、さらには武道の心構えを教えてくれる。守破離だとか、残心だとか、そんなことだ。その言葉を聞くと、無手勝流だなんて嘘だとしか思えない。実際、彼女の繰り出してくる攻撃は、護身術程度のものではなかった。

 もちろん、攻撃の手段も教えてくれる。拳や蹴りの打ち込み方。修の体力を考えて適度に休憩を挟んではいたものの厳しかった。まるで、今日だけですべてを教え込もうとしているようだった。ジョギングの後だからといって容赦はなかった。終わった後は全身が濡れていた。


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