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 端末には避難ルートが表示されていたが黒江はそれを無視し、修を物陰に引っ張り込んだ。避難民の流れからはそれほど遠くない。修は、まだ彼女の指の感触が残っていることに戸惑い、それをごまかすように尋ねた。

「何なんだあれは」

 黒江が答えを知っていると期待したわけではない。思わず漏れた言葉だった。だが、黒江は修を、目をそむけたくなるほどまっすぐ見る。

「あれは機神ウーラニアー、天より来たれる者。……タカマガハラ族のしもべにして世界を滅ぼす存在。その第一位格」

 その言葉が聞こえたのか、巨体がゆっくりとこちらに顔を向けたように見えた。いかなる冒涜の言葉も聞き逃さないように。だが、黒江は恐れることなく言い放つ。

「あれが存在する限り、人類に未来はない」

 轟音とともに、ビルがひとつ、またひとつと崩れ去る。修の住んでいた建物も形を失うが、それを現実のものとして受けいれられず、何の感慨もなくそこを後にする。端末からは、巨人は内陸に向かっているので、周囲の住人は避難するように呼びかけられていた。

 彼女が案内したのは、修がいつも通学に使っている地下鉄だった。すでに多くの住民が退避しており、すれ違うこともままならない。運転見合わせのアナウンスが繰り返され、人々は不安げに電光掲示板を凝視している。しかし、そこを黒江はぬって歩く。もう一度手を握るつもりはないらしく、修は必死になってついていく。

 黒江が導いたのは、人気のほとんどない「関係者以外立入り禁止」と書かれた区域だった。けれども、黒江が端末をかざすと難なく開いた。修の家の鍵を開けたのも同じ仕組みだったのだろう。

そこは物置のような空間へと通じていた。だが、そこは何年も使われた形跡がなく、埃が分厚く床を覆っていた。本当に駅の施設かどうか疑わしい。彼女はよく磨かれた靴でそこをためらうことなく歩き、思いのほか長い廊下の先まで進む。

「よくこんなところがあるとわかったな」

「いいえ。私はただ、端末からの指示に従っているだけ。ここに通路があるなんて初めて知った。……私の端末は、機神への切り札と繋がっている。私たちはいわば、彼に案内されていることになる。おそらく、この駅舎は一度滅びた世界の遺構を使いまわしたもの。だからこんなところが残っていた」

 そして、床に用意された入口の蓋を軽々と持ち上げ、埃を払うと中へ導いた。

「この空間を私はタルタロスと呼んでいる」

「タルタロス?」

「そう。かつて神々に逆らった者たちが落とされた冥界の底」

 光の加減か、その言葉に彼女が笑ったように見えた。

 長いはしごを伝って着いたのは、人跡の絶えた地下鉄の構内らしき空間だった。果てのない通路が続き、反響する音が方向感覚を失わせる。どこに何があるのかも見当がつかず、どれほど歩けばいいのかもわからない。視界の端には虫のようなものが走り回っている。猿のような声までする。どれほど歩かせる気なのか。不安げな修に黒江は言葉をかける。

「大丈夫。向こうを見て」

 そこには何年も使われていない線路があり、車両があった。乗り込むと複雑なパネルが点灯し、黒江が操作するとたちまち動き出した。

「機神は海岸沿いに北上することに決めたようね」

 黒江はモニタの地図を指す。機神のルートが表示されている。一度内陸に進路を取ったのち再び海に引き返していた。

 こんな空間が自分の足元にあったことに呆然としていると、黒江が語りかけてくる。

「ここは無明時代以前の人類が作った空洞」

「まだ旧世界が栄えていた時代ってことか」

「その通り。もう何千年も昔のことになる」

「よく崩れなかったな」

「それだけの技術を、当時の人間たちは持っていたってこと」

 話すうちに終点へ至る。アーチを抜けると広い空洞に出た。

 そこは天井がかすむほど高く、床と壁は無機質なコンクリート製。飛行機の発着所のように進行方向を示す記号類が黄や橙のペンキで記されている。そして、何世代にもわたって放置されたままのように大気は淀んでいた。

だが、最も目を引くのは上向きに聳えるレールに固定された、頭部がかすんでしまうほど巨大な人型の存在。目を凝らさずともその大きさはわかる。

 突然明かりがつく。目も眩むほどの明るさの中、修はその姿を認めた。

それは機神と同じようなひとつの存在としか言いようがなかった。あえて表現するならば聖典に語られる人間の原型、神話学者や神秘主義者がその奔放な想像力をもって描出した楽園追放以前の光輝に包まれた原人アダム。その神と人の似姿は沈黙を守っている。王者の風格を持つ虚ろな瞳は前方をひしと見つめつつ、深い赤を基調とした重々しい色の肉体に、射してきた光を反映させいていた。まるで呼吸しているようだ。いや、実際に威圧的に身じろぎしている。

「これが……、僕らの切り札なのか」

「そう、BMI搭載型遺伝子登録者専用兵器、機人ゲーゲネイスシーシュポス、すなわち大地より出し者。私たちの持つ唯一の対抗手段。古代から眠り続けてあなたを待っていた。……でも、あなたが乗らなければこの巨体も空っぽの人形にすぎない」

事実、巨体は完璧な肉体をしている。だが、精神を宿していないために未完成なのだ。淡い目の光は、自分の内部を満たしてくれる魂を求めている。

壁に掛けられたモニタには地上で機神が動き回っているのが映し出されていた。鈍重に、野蛮に、有無を言わさずに。黒江はそれを指さした。

「あいつはシーシュポスを探している。なぜなら、目覚めたシーシュポスは機神同様の、あるいはそれ以上の力があるから。つまり、機神は機人が覚醒する前に葬り去ろうとしている。そして、機神を倒すことができるのはあなただけ」

 修はその台詞の途方の無さに言葉を失った。何かの冗談ではないかとも思った。しかし、黒江は誰よりも真剣だった。

「機人を目覚めさせられるのはあなたしかいない。だから、あなたが戦わなければ、世界は滅びることになる」

 そう言って、こちらをじっと見つめた。

けれども、修は怒りがわき上がってきた。それは、いきなり黒江が現れて勝手なことを言いだしたからでもあったが、それよりも、もしも自分にそれだけの力が備わっていたのなら、なぜもっと早く教えてくれなかったのか、という憤りだった。自分があれだけの巨体を打ち倒すことができるのだとすれば、聖蓮を救うことだってできたはずではないか。思わず呪詛が口をついた。

「世界なんて、どうなってもいい」

 思わず顔が熱を帯びる。

 修にとって、聖蓮のない世界など無意味だった。この世界など、今やまったくの無に等しい。姉のいない世界に残された心の空虚は、何をもってしても癒すことができなかった。

「みんなあいつに押しつぶされて、死んでしまえばいいんだ」

 その言葉に黒江は冷たい怒りをみなぎらせ、平手打ちをするために手を上げかける。冷徹な機人が二人を見下ろしている。だが、修の震えている体の奥に潜んでいる悲しみと苦痛を見て取ったのか、彼女は落ち着きを取り戻し、静かに答えた。

「あなたは、滅んだ世界を見たことがないからそんなことが言える」

「君は世界の終わりを見たことがあるのか」

悔しさのあまり震えながら尋ねたが、黒江の顔は答えを拒んでいた。ややあって、彼女は問いかける。

「こう考えてもいいかもしれない。あなたは死後の世界を信じる? タカマガハラ族の言うように、私たちはあの世で裁きを受けて、善人と悪人にはしかるべき報いがあると」

 修は首を横に振った。かつては信じていたけれど、何ひとつ罪を犯していない姉が殺されるのならば、この世にもあの世にも正義は存在しない。そして、タカマガハラ族の教えが虚偽である以上、来世も考えられない。そう伝えると黒江はうなずく。

「そう。あなたはもうそんなことは信じられない。そして、もしもあの世がないのだとしたら、あなたのお姉さんがどんなにひどい目にあったとしても、それをつぐなってくれる場所など存在しないことになる。タカマガハラ族も罰を受けることなく、こんな世界が続くことになる。それはある意味、人類の終末」

 つまり、姉の死には意味が一切なかったことになる。

「それでもいいの?」

 修は首を横に振る。そんな残酷なこと、絶対に認められなかった。復讐はなされねばならない。それが修の望みだった。

「そう、あなたは報復をする権利がある。あなたはタカマガハラ族の支配を終わらせて、お姉さんの仇を討たないといけない。そうしないと、いつまでもあなたのお姉さんは浮かばれないでしょう」

修は神々に対する反逆者を見上げると、全身に激しい闘争心と復讐の念が満ち溢れた。なすことは定まった。明白だった。

地響きが大きくなる。なにごとか、と思う間もなく、モニタに機人が映し出される。影はうずくまり、その拳で大地を激しく打っていた。それは何かを後悔しているかのようであり、同時に奴隷に懲罰を与えているようにも見えた。ここを攻撃する意志だった。明らかに、ここの直上を狙っていた。すでに修たちが地下にいるのだと気づいているようだった。もはや時間はなかった。

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