1-4
きしむエレベータで仮設の台までのぼると、機人の頭を見下ろせる場所に近づいた。機人の息遣いがする。かすかに湿っていて、何かのにおいがする。食事をするとはとても思えないので、腐敗した食べ物のにおいではありえないし、そもそも不快ではない。ただ、生命を感じるとしか形容できない。
「これに着替えて」
受け渡されたのは、全身に密着するスーツとヘルメットだった。ただし、顔の部分は宇宙服と違って空いている。
「どうやって着ればいい?」
「全部脱いでから着て」
「……」
「恥ずしがらなくても大丈夫」
からかうような調子はなく、事務的だった。
「直接肌に触れるようになっているのは、搭乗者の状態を常にモニタしておく必要があるし、機人はあなたの神経から情報を読み取って動くから。大丈夫、後ろを向いていてあげる」
黒江の背を見ながら全部脱ぐ。普段は風の当たらないところを冷気が吹き抜けていくのは奇妙な感覚で、しかも随分と高いところだったので身の縮こまる思いがする。床が金属の網になっていて、下が見えるせいでもある。
「もういい? 大丈夫?」
「最後のファスナーを上げてくれれば」
背中で音がすると、スーツは全身に吸い付くようにフィットした。ヘルメットも同様だった。
「あとは、機人の口の中に飛び込むだけ」
黒江は何でもないことみたいに言う。その言葉を察知したのか、機神は首を持ち上げて、落下してくる果実を待つように口を開いた。修は鳥肌が立った。先ほどは高貴に見えていた機人が、思いのほか人間離れした存在のように見えた。そこには肉食獣じみた凶暴さと、知性を持つもの特有の悪意が入り混じっていた。鋭い歯も裂けた口も薄気味悪かった。
「……機人は機械じゃないのか」
機人は口をすこし開け閉めして見せた。
「大丈夫。口の中に飛び込んだら意識が一瞬なくなるけれど、それは機人とあなたが一体化するために必要なことだから」
「飛びそこなって床に激突したら」
「必ず機人が受け止めてくれる」
「噛まれたりは」
「しない」
修はシーシュポスの赤黒い口腔の中を凝視する。中で舌のような器官がうごめいている。吐息でバイザーが曇る。
ためらっていると轟音がし、天井から埃が落ちてくる。埃とばかりか、砂粒ほどの大きさの欠片がヘルメットに落ちる音がする。思わず黒江をかばう。修の腕の中で黒江は懇願した。
「早くシーシュポスに乗って。あなたが飛び込まないと、すべてが失われる」
天井にはすでに大きなひびが入り始めていた。もしも大きな欠片が落ちてきて修を押しつぶしたら、それでおしまいだ。いや、それほど大きな石でなくても、頭に当たれば致命傷だ。ヘルメットをしているとはいえ、あくまで神経を読み取るための装置であり、頭部を保護する機能があるとは思えない。
修は歯を食いしばり、機人の気配を感じ取る。怯えているのではない。ただ、自分がこれを動かすことになるのだと思うと戸惑いがあった。本当にこれは機械なのか。操縦することができるのか。そもそも、人間が制御できるものなのか。
だが、飛び込みさえすれば姉の復讐が成就するのだ、と修は己に言い聞かせる。それに、万一黒江の言葉に偽りがあり、自分がこのままこの生物とも機械ともつかない存在に食われてしまったとしても、姉のところに行けるのならそれはそれでよいのだと思われた。決意とともに飛ぶ。
修が宙に身を躍らせたかと思うと、まるで爬虫類が昆虫を捉えるときのように巨大な口が反射的に動き、シーシュポスは修の肉体を取り込んだ。全身を圧迫する不快感とともに、強烈な光線が内部に満ちる。足元から居心地の悪い振動が伝わり始め、力が抜けていく。痺れが切れたような言いようのない不快感だ。続いて何の警告も前兆もなく、もっと異質な感触が襲う。脳の最深部から異常極まりない振動が全身の末端神経へと流れていく。己の肉体が限りなく拡散し、溶けていくようだ。そして、そこから先は思考が形を取らず、修は異質な閃光や音響や臭気の中で昏倒した。
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