第137話 幕間の物語-旭一行と夏の聖典(C96) 3日目の始まり-
「おはよう、昨日はよく眠れたか?」
俺は部屋の中で体を伸ばしているとある人物に問いかける。
今日は8月12日で時間は午前4時を少し過ぎたところだ。
ここはソフィアが展開した隔離空間で、現在は秋葉原駅の上空に停滞している。
もちろん【透明化】を施してあるので、日本の技術程度では見つけることすらできないだろう。
そして、部屋の外にあるモニターには始発待ちしているコミケの参加者と思われる人達が駅前のシャッターに張り付いているのが見えていた。
いつの間に現れたのだろうか?
その姿はさながら名前を呼ぶのを忌み嫌われるGの如く。
……そこまでして待機列に早く並びたいのだろうか。
転売ヤー以外の始発組の戦いは客観的に見ると思うところがある。
転売ヤーは……生きている価値はないと思わざるを得ないが。
「ふあぁぁぁ……。まさかここまでゆっくり寝ることができるとは……。魔法の力というのはすごいな」
「……ったく。秋葉原の街を彷徨っている姿を見たときはビビったぞ。……彰」
部屋で寝ていたのは八神彰だ。
俺達が乗り込んだ隔離空間が秋葉原の空中に辿り着いたその夜。
幽霊のように深夜の秋葉原を徘徊している彰の姿を見つけた。
というか、メイドのお姉さん達に同情されたり、キャバ嬢の送迎を見送っているキャッチのお兄さんに声をかけられたりしていた。
そんな彰が見ていられなくて、思わず助け舟を出した……というわけだ。
「いや、本当に助かった。オフ会で日付が変わるまでカラオケに参加したのはよかったんだが……。まさか秋葉原のネカフェやカプセルホテルといった宿泊施設が全部埋まっているなんて思わなくてなぁ」
「翌日もイベントがあるんだから埋まっているのは当然だろうが……。メイドバーに行こうとしている時点で回収できてよかったわ本当」
彰曰く、メイドバーで時間を潰してから日帰り温泉の2時間コースで始発まで時間を潰すつもりだったらしい。
ちなみに温泉施設で座れなかったら更衣室の椅子の上で仮眠を取るつもりだったとか。
並行世界の俺は計画性が全くないと言ってもいいだろう。
ちなみにその彰はきょろきょろと部屋の中を見渡している。
「なぁ、旭。今って何時なんだ?体感的に7時間以上は寝ていたような気がするんだが」
「ん?今は朝の4時だぞ?なんかかなり疲れているようだったから【遅延空間】を使っておいた」
俺の言葉に彰が目を見開いた。
……なんでそんな反応を示すんだ?
別におかしいことはしていないと思うんだが。
「おいおい……。まさか自分が【遅延空間】を体験することになるとは……。なんで寝ていたんだ、俺は!!」
「いや、疲れていたんだからそこは寝ておけよ……。というか、お前が万が一にも俺の嫁に襲いかからないように拘束していたのになんで嬉しそうなんだ」
彰的には自分が魔法の効果を受けていることに気がつかなかったのが悔しかったらしい。
唇を噛み締めた彰はバンバンと枕を叩いている。
レーナ達が起きてしまうから正直やめてほしい。
ちなみに、先ほど俺が言ったように、彰にはレーナ達による【狂愛ノ呪縛】でベッドにくくりつけられていた。
彰が起きた時に自動で解除されるようにしていたとはいえども、あれは普通の人間なら気絶してしまうほどの効果を持つ魔法だ。
だが、彰はツヤツヤとした表情を浮かべている。
「……ん?あれは【狂愛ノ束縛】の強化版だろ?レーナ達を大切に思っているのは俺も同じだ。自らが生み出したキャラの重い愛情を受け止めることができるなんて……それが嬉しくない男がいると思うか?」
「……すまん、俺が愚かだったわ。彰からしたらレーナ達は自分が創造した登場人物の1人。レーナ達も並行世界の俺ということで無意識に愛情が勝ってしまったんだな。……べ、別に悔しくなんかないし。彰のことが妬ましくて殺してやろうとか思っていないし」
俺は彰の言葉を聞いて、プルプルと小刻みに体を震わせた。
その右手には【魔王の洗礼】が圧縮されてきている。
彰にも愛情が注がれているのを知った俺が嫉妬したことによる無意識の圧縮だった。
嫉妬したのは……並行世界の俺だとしてもレーナ達の愛情がそっちに向かってしまうことにやるせなさを覚えたからだ。
ここまで心の狭い人間だったかなぁと思いつつ、そんな人間だったわと考え直す。
しかし、彰は俺からレーナ達を寝取ろうとしていないとわかっているので、なんとかして殺意を抑え込もうとする。
「おいおい……。その片手に圧縮している【魔王の洗礼】は俺に撃つなよ?チートな能力を持つ旭と違って、俺はただの一般人なんだからな?それに俺は伊吹姫の件で、恋愛にはもう興味ないんだ。寝取られは俺も好きなジャンルではないし、この姿をレーナ達に見られたらまたBLネタにされるぞ?」
「……わかっている。これは……こうするんだよ。……【百鬼夜行:ダマスク】」
俺は彰の言葉に頷きながら、ダマスクを召喚する。
本来であれば【百鬼夜行】はリーアが創造した魔法だが、全魔法適正を持つ俺も使用できるのだとリーアから聞いていた。
そんな俺が召喚したのは、元奴隷商人のダマスクだ、
リーア以外に召喚されて戸惑っているダマスクに無言で【聖断】を展開し、そこに押し込んで圧縮した【魔王の洗礼】を解き放つ。
『…………!?ナ、ナンで呼び出されテこんな仕打チ……ガァァァァァァァァ!!』
「……最近ダマスクの扱いが雑じゃないか?こいつがリーアにしたことは確かに許されることではないし、俺も作中で同じようなことをしているが……」
「いいんだよ。今のあいつはリーアが使役する妖怪の一種で、俺のやり場のない怒りを発散させる都合のいいサンドバックなんだから」
断末魔の悲鳴をあげて送還されていくダマスクを見た彰は呆れたような表情を浮かべていたが、「俺も同じ立場なら似たことをしているか」と1人納得していた。
さすがは並行世界の俺。
俺の考えをすぐに理解してくれる。
だが、そんな楽しい時間ももう終わりのようだ。
「……おっと。彰、そろそろ外の世界は4時15分になるが、駅に向かわなくていいのか?」
「うおっ!?もうそんな時間なのか!じゃあ、名残惜しいが一旦荷物を置きに家に帰るとするよ。昨日も言ったが、イベント会場で売り子をしているから是非来てくれよな」
「あぁ、昼前にはそちらにいくと誓おう」
俺と彰はそう言葉を交わし、お互いに腕を交差させた。
まだレーナ達は起きていないので、生温かい視線にさらされることもない。
俺は彰を駅近くに転移させて、レーナ達がいる部屋に戻った。
さて……。まだ起きるには早いからもう少し寝るとしよう。
▼
「ねぇ、にぃに。昨日よりも人多くない?」
「まぁ、3日目の今日が本番といっても過言ではないからなぁ。朝早くから並ばなくて正解だったわ」
彰を見送ってから7時間後。
俺達は国際展示場駅に立っていた。
周囲には【聖域】を展開してあるから、人混みが俺たちにぶつかることはない。
だが、多くの人は早く待機列に並ぼうと早歩きで会場を目指していた。
「旭お兄ちゃん。今日はずいぶんゆっくりといくんだね」
「……ん?あぁ、今日は特に欲しいものがあるわけでもないしな。会場を見て回っていい本があったら買おうと思うんだ」
「この待機列を見るとそう考えるのも仕方ないよねぇ……。お兄ちゃん、彰さんのところには何時頃行くの?」
レーナの質問に答えた俺の服をリーアがくいくいと引っ張ってきた。
晴天に綺麗な銀髪が輝いているが、太陽の光を吸収したりしないよな?
俺はリーアの頭を撫でながら、のんびりと人混みを眺める。
「そうだなぁ。今から並んだら13時までには入れるだろうし、その時間帯かな。最初に彰がいるブースに顔を出すとしよう。……えっと、南館は……こっちか」
俺達はゆっくりと南館に向かって歩き始める。
すると、イベント会場であるビックサイトからアナウンスが響き渡った。
時刻はまだ11時だが……なにかあったのだろうか?
『只今の時間をもちまして、一般入場がフリーとなりました』
「……11時に一般入場規制の解除?1時間早まったのはなぜだ?何か問題でも起こったのか?」
会場のアナウンスが告げたのは、一般入場規制を解除したというものだった。
通例通りなら12時頃に解除されるはずだ。
もしかしたらどこかで問題が発生したのかもしれない。
[旭、ここで立ち止まっている場合ではありませんよ。私達にはぶつからないとはいえども、たくさんの人間が押し寄せてきています。ここは早く会場の中に入るべきでしょう]
俺が首を傾げていると、ソフィアが先に進むべきと提言してきた。
周りを見ると、我先にと早歩きで会場に向かう人がどんどん押し寄ってきている。
ちなみに人混みに紛れて、レーナ達に痴漢しようと目論んだバカもいたが……。
そういう奴は全員「アッーーーー!!」の罰を与えている。
人の女に手を出す輩は男としての機能を失うべきだ。
(それに……この世界での厄介事はこの世界の人間が解決すべきことです。旭がいれば問題なく処理できるとは思いますが、その後に来るマスゴミの対応等を考えるとここは我慢するべきかと。テレビを持っているからといって集金しようとする合法ヤクザのN◯Kに目をつけられるのも……正直面倒なので)
ソフィアは周りの者に聞こえないように、念話で補足の説明をしてきた。
というか、マスゴミて。
報道関連の会社を批判しているのは、このイベントの前にあったアニメーション会社の放火事件に対する報道陣の人権を軽んじた取材を見たからだろう。
合法ヤクザの件については……何もいえないな。
あいつら宅配便と称して集金しようとしてくる犯罪者だし。
「じゃあ、行くとしようか。俺とソフィアから離れないようにしろよ?何か欲しいものがあるときはすぐに言うように!」
「「「「[はーい]」」」」
俺の言葉を聞いた5人は元気よく返事を返してきた。
今回は俺の前にルミアとソフィア、レーナとリーアは両手をつなぎ、ユミは肩車をするという構図だ。
これならはぐれることもないだろう。
俺達は周りの視線を受け流しながら、彰のいる南館に向かうのだった。
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