心から願うこと

 オレは庭を出た近くの広場にごろりと横になった。雲の合間からうっすらと日が差している。のんきなもんだな、とあくびをした。

「お前さ」

 オッサンの声に、オレは反射的に上体を起こした。

「素人ってんのに合図も様になってきたじゃねえか」

 オッサンはどっかと近くに座る。誉め言葉を聞いたのは初めてだったが、素直に喜ぶ気にもなれなかった。

「本当に素人か?」

 オレはオッサンから目を逸らした。

「勉強中なんです」

 オレはやっとのことで職にありつけた。入社した建設会社はどの部門も人手不足で、新人だろうが出来損ないだろうがのどから手が出るほど人材が欲しかった、らしい。オレも現場に出ながら少しでもできることを増やす、まずは免許を取って重機を使えるようになり、ゆくゆくは資格を取って設計なんかをやってみたい。

「勉強中、か」

 オッサンはつぶやいた。

「俺もまだまだ勉強しねえとな。嫌いだけどよ」

 オレはちらりとオッサンを横目で見た。手にしていた紙を広げる。

 覗き込んで見えたのは、素人目にも雑すぎる設計図だった。見られていたことに気付いたオッサンは舌打ちをした。

「いつまで経っても下働きだもんなあ、俺は」

 必要以上にでかい声を出した。

「細けーことが苦手で、勉強なんてなんじゃほいと思ってたらよ、あっという間に同期が追い抜いていくんだ。あー、そうだよ。噴水くらいならできんだろって高括ってたんだよ。

 ――これでも20年同じことやってんだぜ?」

 オレがそんなに苦い顔をしていたのか、オッサンは愚痴をぺらぺらとしゃべりだした。確かに作業自体はキャリアがあればできそうに見える。でも、細かい設計をしていないと、ピッタリはまらないのだ。何となく、タカさんの方が今目の前にいるこのオッサンよりはできそうな気がした。タカさんは、自分の病気を治す方法を、オレが退院する最後の日も探していた。あの粘り強さを見ていると、タカさんだったら、ピッタリ当てはまるように何度も計算して緻密に設計できる気がする。

 弟も、セイジも高校の成績は良かったと聞いている。大学に進学できれば本当にやりたかった仕事に就けたんじゃないだろうか。

 なんで、オレがすべて受け取ってしまったんだろう。

 タカさんには、叶えたい夢があった。セイジには、やりたいことを我慢させてしまった。何にもないオレに、臓器も、お金も、与えられてしまった。だから退院してからは、造園師になって、早く大役を任せられるようになって、両親に楽をさせてあげたかった。

 もし退院前に死んでいたら。もっと早く死んでいたら。治療費は他のところに回せた。臓器だって他の誰かの命をつないでいたはずだ。何で、なんでオレが生きてしまったんだ……。

「おい、坊主、どうしたんだ。急に泣き出しあがって」

 オッサンはおろおろしていた。泣いている場合でもないのに。

「そんなにお前、この設計がダメか?」

 設計書を見せるオッサンの手を振り払う。こんな顔なんて見られたくなかった。

 ひとしきり泣いたくらいで、オッサンに「何そんなことに謝ってんだ!」と胸倉をつかまれた。

「生きててごめんなさいだ? そんなこと考えてんなよ」

「セイジは、タカさんは」

「ダチか? よくわかんねえけど聞いてやるよ」

 流れですべてオッサンに話してしまった。意外と、泣くことと話すことは心を落ち着かせるらしい。とりあえず鼻水をかんだ。

「そりゃあ、結果論てやつだ。どうこう言ったって仕方ねえだろ」

「でも」

「でもじゃねえ。立派じゃねえか。家族のために仕事すんだろ? ダチのために夢叶えんだろ?

 あのなあ、世の中にゃ仕事できる体なのに年中ゴロゴロして誰かに養ってもらうことを屁とも思わない連中がうようよいるんだぜ? それに比べりゃお前は十分世の中のためになってるよ。だからよ、もっと堂々と生きろよ」

「そんなことない」

「あー、めんどくせえ! とにかく岩埋めて噴水つくっぞ。兎にも角にも俺のために働け」

 オッサンに首根っこを掴まれて無理やり作業に戻らされた。何度も泣かされながら、岩並べは終了し、隙間を土で埋める作業に入っていった。

 すべてオッサンが確認すると、もう1回噴水の操作を試してみることになった。結局言うことを聞かないらしい。

「本当は1時間に1回盛大に噴水が上がるようにしてもらったんだがな」

 後輩任せにしたのか、とオレはため息をついた。盛大に噴きあがっているところを見ないということは、プログラムがうまくいっていないのだろう。オレたちは明らかに何時間もぶっ続けで作業していた。いつもなら絶対にありえない。次はもっと休憩時間を取ってください、と抗議した。

「でもおめえよお、本当に庭づくりでいいのか?」

 オレは口をつぐんだ。セイジの夢は分からない。なら、タカさんの夢を叶えるという選択肢しかなかった。オッサンはため息をついた。

「何なら俺が言ってやる。お前がやりたいことは、少なくとも庭づくりじゃねえってことだな」

 きゅっと胸が締め付けられた。やりたいこと。オレはまだわがままをいうこと、願っていたことをかなえる資格があるのだろうか」

「やりてえことにフタすんじゃねえ。大丈夫だ、お前の考えることなら、誰かを幸せにできることだろうからな」

 俺にはできなかったからな、と片づけを始める。手伝おうとしたら、要らん、と制止された。

 心からやりたいと願っていること。オレの願い……。

 仮設住宅から抜け出すため、そして僕のために、再び家を手に入れようと頑張っています。

 テレビに映るセイジの声が聞こえてくる。そうか、オレがやりたかったことは、家を建てることだ。安心して帰れる家で、温かく家族を迎え入れることだ。

「オッサン!」

 オレは叫んだ。オッサンはもうダンプカーにすべての荷物を積み込んでいるところだった。

「そういえばお前、川から落ちたって言っていたな」

 でかい声で言う。

「必死でもがけ。なるべく上まで手を伸ばせ。最後まで助けを求め続けろ。あきらめるんじゃねえ」

 そう言い残して、オッサンは庭をあとにした。

 オレは戻る。生きて夢を叶える。大丈夫だ、命尽きるまであがいてみせる。

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